■ゴジスペは未見でありますが(95/ 2/15)
こちらのボードは初めての書き込みになります。皆様宜しくお願いいたします。ゴジラ談義を拝見いたしまして、ふらふらとやってまいりました。
さて、ゴジラに限らず「特撮SF映画」というものは大きく2種類に分類されると私は考えております。
1.非日常的な空間の中で非日常的な出来事が起こる
2.日常的な空間の中で非日常的な出来事が起こる
こんなところでありましょうか。どちらも魅力的なのですが、個人的には後者が好みであります。例えば……
山村の民家でヒロインが入浴している。ふと窓の外を見ると森の向こうからモゲラの鼻面が……(「地球防衛軍」)。
例えば上記のようなシーンを見たときにグッと惹かれる何かを感じるわけです。いや別に入浴シーンにグッと来ているわけではありません。日常の中に異物が入り込んできた瞬間に日常が崩壊していく、その感覚に惹かれるとでも表現すれば宜しいのでしょうか。
最近のゴジラを見ていて不満なのはこの日常崩壊描写の欠落であります。民衆が殆ど出てこない、大都市しか破壊しない。新宿副都心の破壊は確かに映像としては派手ですが、副都心そのものが既に(少なくとも私にとっては)非日常的な空間ですから、そこに日常から非日常へずり落ちる快感は存在しない。
寧ろ、住宅地を蹂躙してくれた方が映画としては面白いんだがなあと思う私です。そこで私たちの日常が崩壊して行く様を見たいわけです。(ここで、震災で破壊された高速道路と住宅地を頭の中で対比させる私は不謹慎でありましょうか)
初代ゴジラの身長は、人1人を丁度踏みつぶせる足の大きさをまず設定し、そこから逆算したと聞いたことがあります。これに対して現在のゴジラは周囲の建造物に併せて単純に巨大化されてしまった。つまりその時点でゴジラの恐怖は「人間を踏みつぶす恐怖」から「建築物を破壊する恐怖」へと変質してしまったのではないでしょうか。どちらがより観客の日常に食い込んでくるかは明白でありましょう。
ま、そんな訳で木造アパートで胡座をかいていたメトロン星人が大好きな私
であります。
PS1.新作ガメラへの期待を込めて書いてみました。
PS2.ゴジモスも未見でありました。
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