■立花藤兵衛(96/ 9/ 4)
子供の頃(幼稚園児のころっす)、私はXライダーに馴染めませんでした。
手を回さない変身ポーズ。
武器を手にしたライダー。
神話を素材にした怪人達。
消えた少年仮面ライダー隊。
1・2・V3がシリーズの流れに殆ど絡んでこない展開。
僕にとって、それは作品世界の大きな変質でした。V3まで積み上げられ、親しんできたライダーシリーズの流れが、いきなり断ち切られたように感じたのです。子供心に「これ、なんか違う」と思ったんですね。
あの頃、私以外にそう感じた視聴者がどのくらいいたかはわかりませんが、シリーズ中盤で旧作への回帰を狙ったと思われる路線変更(旧作に似た変身ポーズや必殺技にキックを導入)を行わざるを得なかったわけですから、子供達にそれほど好意的に受けとめられていなかったことは間違いないでしょう。
それでも僕がXライダーをライダーシリーズとして受け入れることができたのは、立花藤兵衛がいたからでした。おやっさんだけが世界の継続を感じさせてくれる存在だったのです(このあたり、兜光二がいたからグレンダイザーをマジンガーシリーズとして受け入れることができたのと似てます。)。ア
マゾン・ストロンガーについても同様。だから、スカイライダーでシリーズが再開した際、立花藤兵衛が出ないと知った時には、本当にがっかりしたものです。あれで、見る気が半分以上失せましたから。
そして更に数年後。仮面ノリダー。
私は仮面ノリダーをやってるときのとんねるずが好きでした。あれには愛を感じました。ああ、この人は子供の頃ライダーになりたかったんだなと感じたものです。子供の頃の夢の実現って奴ですね。
これはもう私の思い込みなんですが、とんねるずもまた、小林昭二をおやっさんと呼ぶこと、そして彼に自分を呼び捨てにされることが、唯一ライダーであることを証明すると感じていたのではないでしょうか。ライダーの格好をするだけじゃ駄目だと感じていたんじゃないか。ライダーシリーズには、
時々おやっさんが歴代ライダーを回想するシーンがありますが、彼もそこに加わりたかったのではないか、おやっさんの記憶の中に生きることによって、ライダーになろうとしたのではないか、……なんて思うのです。
本稿、「武器を手にしたライダー」という記述に関しては、その後、V3だって武器を持っていたという指摘があったことを、付け加えさせていただきます。
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