中国訪問記 

その2


さて、北京ではその他天安門広場(凧を揚げている人が異様に多いと思ったら、凧売りのデモンストレーションなのだった!すごくしつこい。日本円で「千円」。大体、どんな品物も千円で売りつけてくる。)とか故宮(いわゆる紫禁城)とか。故宮博物館では、宝物館に入るときに使い捨てのスリッパを買う。床を痛めないためらしい。スリッパだけどゴムがついていて、それで足と固定するんだけど、これがたぶん、27cmくらいの足の人にぴったりなサイズであり、私なんかはつま先もカカトも余りまくっていた。逆に男子では、履いてすぐにぶっこわしたヤツもいて、殆どの人が歩きづらかった。しかも、ガイドさんは履かずにそのまま歩いているし。ガイドの特権?!なんか納得いかない買い物であった。

でも、中身は凄いですよ、故宮。皇帝の持っていた宝物が展示してあって、サンゴとか瑪瑙とか翡翠とかの精巧な髪飾りや置物、衣装や刀。
中国では黄色が一番高貴な色だそうで、屋根の色は黄色いんです。ウィーンでシェーンブルン宮殿を見たとき、壁が黄色で屋根が緑で、なんだかカジュアル、と思ったらマリア・テレジアの好きな色だから、と言う説明を聞いて呆れたことがありますが、中国ではどうして黄色が皇帝の色なんだろう。やっぱり、発色が難しいとか材料が貴重だからとかかしら?日本で紫が高貴な色なのは、発色が難しい(染色の技術が難しいんだったか、材料が貴重なんだったか)だそうで、納得したんですが。

置物や飾り物は、凄い。けれど・・・・台湾にも故宮の博物館というのがあって、中が見学できるそうですが、そこに展示しているのは、この北京の故宮から持ち出したものだそうで、かなりの数の貴重な宝物は、今台湾にあるのだそうだ。つまり、盗られた?!
あんまり大きなものや持ち運びしにくいものだけ残していった、とのこと。だけど・・・・残していったものだけでこれだけ凄いなんて。皇帝ってすごいわ・・・・。
もしも自分に皇帝の財力と権力があったら何をするだろう、きっと何も出来なくて一生を無駄に過ごすんだろうとか、思う。あ・・・SMAPを買収する(笑)というのはどうでしょう。プロデュースとマネジメントはプロに任せる。自分は金を出して、あと希望をあれこれ言うだけ。自分だけのコンサートなんてしてくれなくていいから、その代わり、オーナーとして、必ず張り出しステージ正面1列目で見る!(笑)(←我ながらセコい望み。)そしてそんなことで満足して、死ぬ間際に「あれもさせれば良かった、これも実行すればよかった」と後悔に浸りそうな・・・・
階段の上から、広がる屋根の並びを見て「おお、ラストエンペラー!」とか騒いでまして、これ出口でラストエンペラーの中国語吹き替え版とか売ってたら商魂に敬意を表す、とみんなで言ってたんですが、それは無かったみたい。でも、見たくなりましたね、ラストエンペラー。

あとから聞いた話。
私は行かなかった「腰までスリット」のカラオケ2次会の帰り、タクシーを呼んだらしいのだが、ここで一つの事件が。ガイドのHさんには、仕事中もよく携帯がかかってくる。以前、中国では広大な国土にケーブルを敷設するよりもコストがかからないとの理由で携帯が普及すると聴いたことがあったんだけど、私が接したような人たち、ビジネスマンもお店の女の子も、ホントに誰でも携帯を持ってる。で、Hさん、仕事の話かもしれないけどやけに頻繁だなぁってのは、もしかしてこのせい?!タクシーは1台で、もう1つ来てくれた車が、Hさんの彼氏の車!(Hさん、日本語でその彼の説明をするときに「彼氏が」って言うんですよ(笑))どうやら二人は付き合ってまだ三ヶ月目らしい。三ヶ月目!そりゃあラブラブだろう!なんかねぇ、どうもうきうきした人だと思ってたらね。貿易のお仕事をしてるのだそうです。

北京には3泊しました。そして、空路で西安へ。ガイドのHさんは、国内ずっと一緒とのことで、もうすっかり我々グループに馴染んでいて、一緒の座席で騒いでました。北京では自宅から毎日来てくれてたけど、これからは彼氏ともしばらくお別れだし、みんなでかまってあげよう、ということになっていたのだった。私たちって優しい。


西安。昔の長安。歴史小説好きの日本人にとって、北京よりも馴染みのある地名ではないでしょうか。
ここでは、西安在住のガイドさんがもう一人ついてくれた。Kさん。女性なんだけど、年齢不詳だった。やはり日本語はぺらぺら。
ここは、かなり内陸に入っているし、歴史の古い町でもあるし、敦煌とかと組み合わせて中国歴史の旅、みたいなカンジで来る人が多いらしい。北京の観光客は、中国人の若い人か日本人団体客か中国の農村から来たっぽい団体客、だったのだが、西安は、泊まったのがシェラトンだったせいもあるだろうが、西洋人が多かった。それもシニア。日本人もいるけど、やっぱり中高年の夫婦が主体で。大人が多いというイメージ。私のちょっと前に、けい様が西安に行かれていたというので、もっと日本人独身女性みたいなグループがいると思ってたんだけど、意外でした。

さて。西安でのいちばんの楽しみは、始皇帝の兵馬俑。一言で言うと、巨大埴輪の大集合。高さが人間よりちょっと大きめな、始皇帝の兵士軍団をかたどった人形が何千体と埋設された、皇帝の墓の副葬品です。かなりすごい迫力だった。
発掘は今もまだ続いていて、体育館のようなドーム屋根のついた長方形の建物(ただし、体育館の数倍の広さ)3つに、すっぽりと覆われているのだ。体育館の1階にあたるところが、赤くて乾いた土から兵馬俑を発掘している現場。
すっかりその形が現れてしかも修復の済んでいるところが、観光客に見せているところ。めちゃくちゃに倒れているのをつなぎ合わせてもう一度立たせているのだそうだ。体の上の方は中が空洞に、下の方は身が入っているというように、倒れにくい工夫がしてあるとか。もとは鮮やかな色が塗られていたというその一体一体は、身長も違うし顔の表情も違う。身分や役割によって衣装も違うのだ。そして、金属製の武器を持っていたという。
田圃の畝のように盛り上げた土の間に行列しており、丸太を渡してわらを敷き、その上に盛り土をして、倒れにくくしてあったのに何故めちゃくちゃに崩壊して発見されたのか。それは、あとからそこを掘り起こして武器を漁っていったものがいたから。記憶が曖昧ですが、それが確か、劉邦だったような・・・。聞いたことのある歴史的人物だったんですよね。

最初に兵馬俑を見つけたのは、ここら辺の農民のおじさんでした。今もそのおじいさんは健在で、兵馬俑記念館の事務所で、観光客にサインをしているそうです。会ってみたいと思ったけど、「自分は畑仕事のほうが向いている」と今も思っているとか、フラッシュを浴びて目を痛めてしまったなどと聞くと、気の毒になってしまい、事務所に行くのはやめたのでした。

現地ガイドKさんの話だと、北京は秋がいちばんいい季節だけれど、西安では秋は病気をもたらす季節と言われており、短いし印象的な季節では無いのだそう。春がいちばんいい季節とのことだった。

夜は餃子尽くし会席。10数種類の餃子を食べ比べるというもので、「これは○○入り」「水餃子です」と言って出てくると一斉に箸を出して食い漁るので、持ってきてくれるお姉ちゃんが怯えてしまうほどだった。そんな欠食児童な私たち(団長の偉い上司も含め)、最後には何と何を食べたのかも曖昧になっていた。なんて勿体ない。
惜しいのは、付けて食べる醤油が魚醤だったことかな。日本の香りのいい醤油に付けて食べたいっと思った。でも、唐辛子ベースの調味料がいけたので、これをがらがらと混ぜて辛くして食べたら美味しかった。餃子はどれも美味しかったです。
中国には焼き餃子がないと聞いていたのに、焼きも出てきたというのは、日本人向け?とか思ってしまう。
大体、どこの街でも「観光客相手」のレストランにしか行かなかったのでは。大体食事場所はセッティングされていて、もうバスに乗って連れて行かれるだけだったんだけど、現地の人は見かけなくて、欧米人か日本人、たまに韓国人らしき団体、というカンジだった。


つづく



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