印度訪問記 前編
私の仕事は、いちおうヒミツだが、都内の某民間企業に勤めている。
日頃はドメスティックな市場を相手にしている我が事業部だが、昨今の厳しい事業環境ゆえ、コスト削減、グロバリゼーションの推進など様々な目的の元、海外の企業と組まざるを得なくなった。ここら辺は、私の知る限りではないのでざっと省略するが、とにかく、うちの部が窓口となって、インドの企業とおつきあいが始まった。96年春のことである。
その会社からは、エンジニアや営業の人やらが来て、会議とかするようになった。私も事務局として会議に出席する。
セミナーも開いた。
さぁ次は、現地を視察だ、ということになり、英語が堪能な隣の課の課長が行くことになった。そして、なぜか私も行くことになっていた。
大変だ。私はしゃべれない。聴く方は・・・・私の特技は、知らないのに知ってるふりすると、たいてい勘が当たってることだ。でも、とても仕事に使えるようなレベルじゃあ・・・等と言っているうちに、どんどん日は迫ってきた。
まずは、ビザの取得。それから、予防接種。
インドに行くには、予防接種を受けなければならない。ナントカ型肝炎と、コレラと、えっと、えっと・・・3種類くらいあったかな。有楽町の交通会館に、そういうのをお手軽にやってくれる医院があって、そこを紹介された。噂が伝わる。
「どうやら注射はお尻にするらしい」
ビビる課長と私。
先に、課長が行った。メールが来た。電報のような短いメールが来た。「お尻ではありませんでした。」
私も行った。すると、メニューを示され、組み合わせを自由に選べと言う。何だそれ、必要なら必要とキチンと言えよぉ、とか思うが、そういう必須の注射はないらしい。後は本人が、ヤバそうだと思うものを受ければいいんだって。
まぁいいや。適当に選んで、打ってもらう。これで私は、ナントカ菌の保菌者と言うことだわ。
せちがらいことに、海外出張のような長い距離でも、最近はエコノミークラスで行くことになっているが、同行する課長はナイスな人で、ビジネスクラスをとっとと取ってくれた。エア・インディア。ディープである。
日曜出発、次の日曜に戻るので、スマスマがある。あ、ちなみに、季節は夏になっていた。96年の7月終わりである。いそいそとビデオをセットした。何しろ、スマップにハマりかけのころ。スマスマが精一杯だったので、これしか予約しなかったような覚えがある。
エア・インディア・・・
アジア人として生まれたからには、一度は経験しておきたい国、インド。機内に一歩足を踏み入れたときから、そこは、かの悠久の歴史を刻む不思議の大陸、インドである。
なにしろ、スチュワーデスさんが、サリーを着ているんである。ビンディ(眉の間の、ほくろみたいな飾り)を貼ってるんである。素足に、サンダルみたいなのを履いてるんである。BGMは、民族楽器が静かにたゆとう、のである。
機内食は、ベジタリアンとノンベジタリアンという区分け。チャレンジャーの課長はベジタリアン、私は保守派なのでノンベジタリアンを頼む。う、スパイスが、スパイスが・・・
私たちが訪問したのは、西部にあるボンベイ。最近は、現地読みでムンバイと言う。冗談ではなく、こんな都会でも、女性はほとんど、95%以上は、民族衣装を着ている。訪れたソフトハウスでプログラミングをしている女性も、街で見かける主婦のような人たちも。サリーだけではなく、ワンピースの下にパンツを履くスタイルのも、よく見かけた。男性は、洋服。暑いから、シャツとズボンって感じかな。ソフト産業なんかの男性は、スーツを着てる。
道路はほとんど舗装していない。そこを、車や人力車や、牛が往来する。ときどき、道におっきな穴があいている。
現地では、若いインド人女性が、通訳としてついてくれた。20代半ばの彼女は、大学時代に日本に留学していたこともあるということで、とても日本的な繊細な感覚の持ち主だった。彼女は洋服を着ていた。住んでいるところや生活の話を聞くと、どうやらかなりの上流階級らしい。大体、インドでソフト産業に従事しているのは、すっごいエリートなのだ。で、その彼女(マイトリーさん)が、道路を横断する牛を見て一言(もちろん日本語)、「あ、あれは野良牛です!」
のらうし。飼われていない、牛。牛って家畜なのでは?と思いますね、ええ、普通はそうです。でもいるんです、インドには野良牛が!牛は神聖な動物なので、大事にされています。野良でも、ちゃんとご飯をくれる人が、後を絶たないんです。インドは牛にとって生きやすいところ。
彼女が留学していたのは、94年頃。
ほら、私がスマップはまりかけだから、聞いてみたいじゃない?聞きましたよ、「日本で、好きな芸能人、いました?」
マイトリー(以下、マ)「いました。名前がわからないんですけど、一人いました。」
黒ラブ(以下、黒)「え、どんな人?ドラマに出たりしてます?」
マ「出てました。男女5〜6人で仲良しのグループなんだけど、一人が入院していて、その人の死をきっかけに話が・・・」
黒「その人、どんな感じ?身長は?細い?」
マ「色が黒くて、背はあまり高くなくて、髪が長くて、グループで歌も歌う人」
黒「(それって木村さんじゃん!)それって、この人じゃないですか?」
成田でたまたま買って持っていた(ってのは嘘で、木村の写真がないと寂しいなーとか思ったので買ったんですけど)Hanakoには、テスティモ秋バージョン「キスする場所はひとつじゃない」の広告が載っていたので、見せてみた。
マ「違います、この人じゃありません」
・・・・・・
がっかり。
誰なんだ、それじゃあ?と思い、日本の友達に電話をしたりして。(電話料金が1万超えてびっくり!)
謎の日本人タレントは、結局わからなかった。
7月から8月にかけて、現地は雨期で、水には特に注意しろと言われておりました。
私なんぞ、歯ブラシを水で湿らすにもミネラルウォーターを使っていたほどです。なのに・・・!
あれほど気をつけていたのに、やられてしまう。
向こうの会社の人に連れていってもらったレストランで、水にもサラダにも手を付けずに守ったこの体、アイスクリームには油断した!
「おいしいから食べて見ろ」とホストに言われれば、ゲストとしては食べざるを得ないじゃないですか。ピスタチオのアイスなんて、おいしそうだし。
その日の夜は、もう、何が起こったかと言うくらい、苦しかった。トイレを抱え込んで。どうやら課長の方が凄かったらしく、夜中にその通訳さんに電話をして、お医者を呼んだのだそう。私も、次の日の往診で見てもらった。完全な食中毒ですわ。ピスタチオのアイス数十グラムで。翌日は一日、スケジュール変更で寝てました。インドで調剤してもらった薬を飲むことになるとはねぇ。
そのお医者さん(ジェントルマンな、いい人だった。)曰く、今の時期は、観光客でやられる人が多いので、毎日ここのホテルに来てるんですよ、だそうだ。
昼前には、通訳のマさんが、すてきなプレゼントを持って登場。
近所に住んでる日本人の友達に頼んで、日本米のお粥と梅干し、昆布の佃煮等の差し入れを・・・!持ってきてくれたんです!(涙)(涙)
いい人だぁ・・・!マさん!お医者さんも!
ふらふらになりながらも、忘れかけていた人情を思い出したのだった。
ちなみに、この食中毒、「心配かけるといけないから」との課長の提案で、ソフトに「洗礼を受けちゃいました」くらいの言い方で報告しとこう、ということになり、FAXを送ったのだが、うちの部長は、事業部長以下、幹部が全員出席している会議で、「腹壊した」と思い切り報告したらしく、帰国したときには全員が知っていたのであった。
後編へ
homeへ