印度訪問記 後編



印度で日本的な人情に触れて感激の涙を流し、ふらふらになりながらも残り数日をこなして、今日帰るという日は土曜日。

さて、雨期だと言うのに白いパンツを持ってきていたお間抜けな私、その数日前、仕事が終わった夕方から、通訳のマさんに付き合ってもらってジーンズを買いに行った。なんか、繁華街にショッピングビルみたいなのがあった。結構綺麗。1階がサリーとか民族衣装売場。私も眺めてみたけど、いっぱいありすぎてよくわからない。4階あたりがカジュアル系の洋服売場。そこで私は、made in Indiaのリーバイスを買った!値段は、日本で買うのと同じくらいだった。太めのストレート。今でも履いてます。もっちろん裾は長いので、お直しをしてもらうことになり、品物をお店に置いてくる。

・・・そして、次の日にハラを壊したわけです。マさんの用意してくれたお粥のありがたさに涙を流したついでに、マさんにはジーンズの引き取りにまで行かせてしまった私って一体・・・・

そして、土曜日。
視察とは言ってもホントに視察ばっかり(笑)で、おいしいイベントゼロだったこの出張は、マジで月曜から金曜までスケジュールぎっしり。やっと出来た最終日の自由時間には、現地の営業のトップ(でも若い。30代)が、私たちに付き合って休日を割いてくれた。

あちこちの建物を車から見たりして、次に博物館に行く。
本物の仏教美術はすばらしかったです。そういう彫刻見てると、ちゃんとインド人の顔立ちをしていて、やっぱり日本の仏像とは違うと感じる。
出口で荷物を受け取り、ごそごそやっていると背後から女の声で
「○○(←私の名字)先輩?!」
と声がかかった。へ?と思って振り返ると、そこには、高校のうーんと下の後輩が!!私がOGになってから入った、りっちゃんが!
「なにしてんのーっ?!」と焦る。
印度に出張に来ていた私もかなり笑えるけど、彼女はもっと凄かった。アフリカ旅行の帰りだというのだ。サファリで寝泊まりして、動物を見るツアーだとか。行きも帰りもボンベイで乗り換えだったそうで、時間があるので降りて観光していると言う。聞けば、往きも私たちと同じ便だったらしい(笑)。
ボンベイの街角で後輩にばったり(笑)。
・・・そう言えば、前にイタリアに行ったときのこと(これはいくらなんでも旅行です)。
ローマの地下鉄のエスカレーターを、友人3人で上っているとき、その中の一人が、元同僚夫婦とばったり出会ったことがあった。いきなり連れが騒いだので、何かと思ったら、以前机を並べていた人が、エスカレーターの下の段に。その元同僚、今はフランクフルト勤務で、たまたま休暇でローマに来ていたという。これもものすごい奇遇だ・・・・
博物館前でりっちゃんと記念に写真を撮り、成田からまた一緒に帰ろうと約束して、別れた。(笑)

話を戻して、インドの営業トップの彼は、民族衣装を買ってみたいという私の希望のために、奥様まで連れて来てくれた。奥様は、やっぱり30代で、二児の母。自分の会社を持っている。二人はアメリカに(別々に)留学していたらしい。なんでも、かつて学生時代に、彼女がアメリカから一時帰国する時、彼が印度からアメリカに戻るというタイミングの時があって、中間地点(かなぁ?)の日本でおちあい、鎌倉でデートしたという、凄い夫婦なのだ。
とにかく、昼食をごちそうになった後は、男女は別れて行動となった。課長はだんなの方とおみやげ選び(運転手付き)。私は奥様と民族衣装選び(奥様の運転手の車)。こ、こわー・・・
優しくてエリートな奥様は、はっきりしない私の買い物に辛抱強く付き合ってくれて、パンツの上にワンピースを着るタイプのを、選んでくれた。これがまたデカいのしかなかったので、持ち帰って日本でサイズを直すことにした。それと、シルクの布を買う。これはワンピースに・・・とか思ったが、未だに布のまま眠っている。ゴメンナサイ・・・
本屋で、印度の子供が使う教科書(国語)と絵本を買う。どこの国でもそうしてるんです。おもしろいんです。
だんなチームと合流して、空港に向かうために車一台(と運転手。もちろんお抱え)を貸してくれて。まだまだ仕事を持つ女性は少ない中で、会社を経営する妻を持つ夫って、珍しいほうだそう。
お世話になりっぱなしで、私たちは帰国した。
ただし、この彼が日本に来るときには、私も相当あれこれ世話してあげているので、まぁお互い様、ではあるのだが。


成田で、りっちゃんとおちあう(笑)。(私たちはビジネスクラスだからさぁ(笑)。)課長とはここでお別れ。印度帰りに、アフリカの話をしながら帰った。

帰国してすぐ。スーツケースも開ける前にしたことは。
スマスマのビデオをみること。
これが、凄い回だった。ビストロが真野響子。ドッグ放送。これ、ホントに凄い回でしたよね。



・・・そして、数ヶ月後。
マさんが、現地の人が来日するのに合わせて、通訳としてやってきた。
日本のCDを見たいというので、CDショップに行くことになった。かつて留学していた東京だし、「ミスチルとか、新しいの出てますか?」という感じで(笑)、私がセレクトする必要はまったくない。(知らないならSMAPを押しつけるつもりだったのに)
そしてそのCDショップの入り口で。レジのところに、008TACOMAXのポスターが貼ってあった。それを指さし彼女が一言。
「あ、この人です!私が好きなタレント!」
そ・れ・は。
やっぱり拓ちゃんだった。
だってぇ、写真見せて「きむらたくや」って言ったのにぃ、違うって言い張るんだもん!前髪切って全然違う人に見えたらしい。
やっぱり、見ていたドラマは「若者のすべて」だったのね。そして、94年ちゅーと、なんだろう、そのころの歌番組で、SMAPを見ていたのね。私もまだ見てなかったというのに(笑)。
12月で、写真集「木村拓哉」が出た頃でした。車内吊りになってたりした頃でした。写真集、見せようっかなーと思ったけれど、やめときました。なんか、また「違う」って言われそうで。いい思い出だけを胸に、木村拓哉という名前だけ覚えてもらって、印度で広めてもらいたかったんですよねぇ。

インド人にも好まれる、無敵のアイドル木村拓哉。ホント、意外だったわ。
印度には、ロンゲの兄ちゃんなんていないし。顔立ちの近い香港とか台湾くらいならまだわかるけど、インド人(ほーんとに彫りが深くて、嘘のように小さい顔なのよ、マさんは。)にまで好まれるなんて。


なんでこんなにたくさんのことが、と思うくらい、たくさんのことがあった1週間でした。ハラ壊したりして辛かったけど、一生忘れられないでしょう。


「こんな国籍の人も木村が好み」とか、「外国の街角で再会した昔の友人」とかのエピソードをお持ちの方!教えて下さいっ!

おわり



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