“白 い 影”
何をどう言ったらいいのかわからない混乱した中でお届けするこの先どう進むか方向のわからないレポ
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第1話(新聞に出ていたサブタイトルによると『誰も愛さない医者』)
第1話、見終わりました。今10時47分。終了から40分くらい経ちます。
今パソコンの前に、こないだお友達からいただいたばかりの、今は撮影禁止になってしまったお昼のバラエティに出演している人のスナップがあります。だいぶ前に撮られたんだと思うのですが、横顔がこの世のものとも思えない美しい青年が、可愛い帽子を被ってちょっと微笑んでいる写真。
この青年は中居正広という名前で、アイドルグループSMAPのリーダーとして12年間グループをまとめ引っ張ってきた優秀な年長者。
無敵の笑顔と元気なキャラクター、切れのいいしゃべりで紅白歌合戦の司会を2年連続で務めたこともあるマルチタレント。
歌が本業のアイドルにしてはその歌の出来には浮き沈みが激しく、心に響く声を持っているけれど万能というわけにはいかなくて、聴く者を身構えさせてしまうよく言えばバラードシンガー。
パキパキと切れがよくメリハリがあって華奢な体格のデメリットを感じさせない存在感のある踊りをするダンサー。
小さい顔、長い手足のバランスの取れたスタイルと大きさ形完璧な瞳が印象的な美貌、同年代の男性と比べ物にならない肌のキメ、吸い込まれるような瞳の表情などで見るものにため息をつかせずにいられない被写体。
その人の名前は中居正広と言って、「いつも元気で明るくてしゃべりがうるさい、歌が下手なジャイアンツファンでSMAPのリーダー」という、揺るぎの無いパブリックイメージを持つ男。
本当は頭脳明晰冷静沈着才色兼備と四文字熟語をイクラ並べてもきりのない人で、頭の回転が恐ろしく速く、グループの行く末とファンの心理を常に最新データに更新しながら把握している優秀な仕事人で、身体のディテールのどこひとつを取っても非の打ち所の無い美形なのをファンが口惜しく思うほどに一般人には認識させないけちで策略家(美人であることを隠すのも彼の作戦のひとつ)で、ということを知ってはいるけれど、一般にはこれ以上ないくらいに均一のイメージを作っている男。
その男が今クール、陰があり、クールで冷酷で女関係のうわさが絶えなくていい話は聞かないが恐ろしく腕はいいというそんな医師を演じるという。原作は渡辺淳一といえばあの「失楽園」が最近では社会現象になった作家で、これの連載当時の日経新聞を出勤時に読んでいた私は、あたりをはばかってしまう描写が出てくる回には新聞を小さく折りたたんでいたものだが・・・・この「白い影」の原作も推して知るべしの過激な描写があるという・・・・
偶然今日会った友人は、彼女の旦那が「中居がニヒルな天才外科医?!とんでもない!論外だ!」とこきおろしていたという。CMや予告を見る限りそんなことはない、かなり渋くやってるようだし、と言いたいところだが、演じているのは私ではなく中居さんなので、私としても第1回を見るまでは反論など出来ようもない・・・・というところからして、私自身も中居さんの演技に全幅の信頼を置いていたとはとても言えない失礼な心理状態であったといわざるを得ない。
見る前の私の気持ち。衣装は白衣と黒のみ、前髪はあげて。あぁ渋い、渋いわ中居さん。声のトーンも抑え目で、表情の振幅も少なくて、きっとかっこいいに違いないわ!これは中居さんの「渋いキャラプロモ」になるのね!標準で録画よ!きゃー!14日が楽しみ!・・・・というものでした。
それは確かに楽しみだし、抑えた演技で綺麗な顔の造りが一般視聴者にも認識されて見直されて、でもどちらかというと地味な作品だし同クールには木村の「HERO」もあってそちらは話題ばっちり初回視聴率も良くて、渋いんだけどやっぱり明るく元気な中居さんのイメージを引きずってしまって、見ているこちらも心配で心配で・・・・
などと・・・・思ってしまったり・・・・・
そこにいたのは直江庸介でした。直江先生。事前情報を入れてしまっていたことも確かにあるかもしれないけど、直江先生が確かにそこに。中居正広28歳、愛と勇気で生きているはずだけど、そこには直江庸介が・・・・!
中居さんごめんなさい。私はあなたを、あなたのこの役にかける意気込みを、熱意を、真剣さを、そして力量を、わかろうとしていなかったようです・・・・・
昨日(01.01.13Sat)サムガを聴いて、長年務めたサンジャンの送別会を兼ねた忘年会を欠席してまで次の日の撮影に臨んでいた意気込みを知っていた筈だったのに、やはり私は中居さんの「微妙」な物言い、「微妙」な態度にころっと騙されていたようです。言ってましたよね。「見たらびっくりすると思うから」って。サムガの最後で。ほんとにびっくりさせていただきました。
涙が出るかと思った。あまりにびっくりして。
直江庸介は中居正広を飾るどのフレーズも引きずっていなくて、その大きな美しい瞳すら、美しいことに意味は無くて、ただ物憂げな孤独な表情をするためにだけ存在していたと・・・。
中居正広がこれまでタレント活動の中で武器にし弱点として公開し(弱点であることすら武器にし)てきたさまざまのファクターが、ばらばらにされて別の意味を持たされて現れている。
大きな美しい瞳は表情の変化を表現するものとしてのみ。形のいい耳が垣間見えていてもそれは彼の髪が耳を隠す形に整えられていないことだけを表現していて。華奢とも言える体型は白衣のサイズが小さくなることだけに影響していて。
ただ、指だけが。・・・・最後に流れた主題歌を聴かれましたか?「その細く長い指」というフレーズ。きっと中居さんのその細く長い指は、彼の孤独や焦燥を表現する、強い武器になるのでしょうね。その細く長い指・・・・歌に盛り込まれてしまうほどの表現力を持った、その指。
患者への処置が終わり、白衣を脱ぎ捨てて去るシーン。フォアローゼス(でしたね?)の最後の一滴を注ぐところ。X線写真の前で伏せ、目の前の紙をぐしゃりと握りつぶすところ。指先の演技はこれからもとても重要なものになるのでしょう。細く長い指。
主題歌が流れる中、彼の美しい、細く長い指は、籠の中の鳩を捕まえ、天に向かって放す。
詰めた息をいちども解放することなく見終わってしまった本編のラスト。倫子にキスをして逃げられたその顔と彼自身のモノローグとに被って主題歌が流れ始めて。するとそこに苦しげに横たわっているのは、白い、真っ白な服を着た青年。顔は直江と同じだけれど、苦悩する現在の直江の過去の姿のような、幼い表情の残る美しい青年。彼は直江の過去の姿なんでしょうか。直江庸介と中居正広をつなぐ第三の人物であるかのような、無垢な表情すら見せる美しい人は、美しすぎる横顔を水の中に沈めたり、閉じ込められた鳩を空へと放したり。なのにそれは高い柱のある部屋の中で、決して外の世界ではなくて、飛ばされた鳩は果たして外に出られるのかさえ確かには語られない世界。
色々な人が白い衣装で直江と同じ部屋に立つのに、直江はやはり孤独に手を胸に当てながら横たわったままで終わってしまう。
どうしましょう。私は最後まで見ていてもいいんでしょうか?
あまりに幸福の影が薄い直江庸介ではありませんか・・・・?
明るくて前向きな倫子との出会いが心に変化をもたらしたことを直江自身のモノローグで知ることは出来たけれど。
いつかこのストーリーの中で、心からの直江の笑顔を見ることが出来るのでしょうか?
タイトルバックのことを語りましょう。
私今、見終わって物凄く神妙な気持ちです。中居さんの真摯な演技を「ホントに中居さん・・・?」と思いつつ受け止めさせていただいて、美しさを堪能なんてとても出来なくて、詰めていた息をまだほぅっと出せないようなそんな気持ちの中、これを忘れないうちに書いてしまいたいと、恥ずかしいのを覚悟で言葉にしてきたわけですが・・・
ドラマが終わってから1時間半経ちました。これを書き始めてから1時間経ったことになります。ずっと書いてました。なんというか、敬虔な気持ちすら起こります。中居さん、とてつもなく、凄いことになってると思うのです。素晴らしいです。今までの中居正広の演技人生と被ることがひとつも無い、素(だと思われているパブリックイメージ)がこれっぽっちも入らないまさに役柄にしか見えない演技に接して、言葉も無いと言いながらここまで書いてしまいましたが・・・・。
主題歌が流れ、「これがタイトルバックになるのね!」と期待した映像が本当にタイトルバックとして流れてくれて、あぁその素晴らしさにもうどうにかなってしまうー!と!叫びたいくらいです!
タイトルバックで白い服を着て鳩を飛ばしている、前髪を下ろした美しい青年よ、あなたは一体・・・?きっと彼は、ドラマの一部分としての本来の意味としては、孤独の仮面を取り去った直江の姿なのでしょう。ほんの少し前の、苦悩を知らなかった直江であり、今の直江の、心の中にきっといる本当の姿なのでしょうね。
でも、ドラマの一部分を構成するタイトルバックとしての意味は、直江庸介と中居正広をつなぐ映像の具現と思えてならないのです。あの映像がなければ、私はうっかり、中居正広が直江庸介を演じていることを忘れてしまったかもしれません。タイトルバックを見て、そこにほんのり浮かぶ笑顔を見て、やっと、重苦しいドラマの世界から、視聴者も少し浮かび上がってくることができるんじゃないかな。
前髪をおろすヘアスタイルにはしないであろう直江がなぜタイトルバックでは、洗い立ての髪をそのまま乾かし白いシャツを羽織ったような、そんな姿で出てくるのか。あまりハッピーエンドにはなるような予感のしないこのドラマの毎回、ほんの一箇所で、白い直江が白い鳥を飛ばすその瞬間のかすかな笑顔を見られることって、とても大切なのかもしれないです。
とにかくタイトルバックは美しくて、切なくて、美しくて、美しくて、あぁなんて素晴らしいんでしょう。
細かいところを少しずつ復習します。
直江が自室で聴いていた音楽は、たぶん、マーラーの交響曲5番のアダージェット。マーラーの音楽自体、「死」や「孤独」と無縁ではないというか「死」を身近に感じる音楽というか、そういう側面があると思います。このアダージェットはまさにそのマーラーのそういう部分を最も端的にあらわしている曲なんじゃないかと思います。・・ホントに5番アダージェットだったかどうか確認しようと思って今CDの棚を探したんですが持ってませんでした。なんということ。クラシック100枚くらいあるんだけどなー。ミーハー的に有名な曲をあさっていたときがあったので買ったかと思いましたがマーラーは守備範囲外だったので、あんなに有名なのにありませんでした。どなたかご存知でしたらフォローしてください。直江先生が聴くなら私もマーラー聴こうかな。これから、そういった「孤独」「死」といったものを表すクラシックが彼の部屋で聴けるようになるのでしょうか・・・?
自室で飲んでいたのはバーボン。酒は何でも、しかもかなりの頻度で飲んでいるようですね。タバコも。車は女の車。だけど飯は奢る。だけど飯の後必ずオプションというわけでもない。どうやら、女の噂は絶えないが、そのすべてがオイシク取り計らわせてもらっているわけではなさそうな。そのあたりがもしかしたら(原作を読んでいないのでなんともいえませんが)原作と違う人物設定なのでしょうか。
直江のこと、倫子のことは第1話でかなり描かれていたけれど、その周囲の人物は今ひとつ掴めないところがあって、それが演技の掘り下げの過不足によるものなのかそういう演出なのかはまだ判断できません。とくにストンと落ちなかったのが、上川演じる同僚医師と、婦長。この二人はどのあたりに立つポジションなのかがまったく不明。直江や倫子、小西まなみの看護婦、倫子の母、院長、院長令嬢、製薬会社営業など、明確にしようという意思がきちんと伝わってくるある意味典型的な人物像なのに、婦長と上川医師(名前忘れた)が・・・・わからない。
ドラマが終わって2時間経過しました。私はいまだにこのレポを書きつづけています。途中休みもせずに。なんだかすっきりしなくて、終われない!
中居さんは、中居さんであることを忘れてくれと言わんばかりの演技で孤独感せつせつ。私は、そのおかげで「綺麗!かっこいい!渋い!クール!ニヒル!中居さん素敵!」などと叫ぶことも出来なくて、なんだか悶々としてしまいます。確かに目に映ったものはかっこよくて綺麗で渋くて・・・・叫びたいほどなのに、叫んでいいものかどうか迷ってしまうのです。
叫んでいいのはタイトルバックくらいなのに、タイトルバックさえ、「細く長い指先」という歌詞に惑わされてあやうく泣きそうだし・・・・
もーっ!いったいどうしたらいいのっ?!
中居さん・・・・なんとかして・・・・(笑)
これが、たった2週間前に「オトナ受験」でその愛らしさ美しさで私たちを悶絶させた中居正広と同一人物なのでしょうか?!たった1日前に、ヘタレ派遣社員としてぴんくの着物とあやしげなヅラに身を包み死ぬほど笑わせてくれた中居正広と同一人物なのでしょうか?!
どうしよう。
私はいったいどこに叫んだらいいのでしょう・・・?その言葉は一体・・・?
これだけ書いといて何を言うかといわれそうですよね。でもね、全然、ほんっとに全然、何を言ったらいいのかわからないのですー!助けてー!
皆様はこの気持ちをいったいどうされているのでしょう?気になります。教えてください。
きりがないので、今日はこの辺で。来週はもう少しまともなレポをしたいと思います。
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