日本語名 憑祥
中国語名 凭祥
国名 中華人民共和国
・2011年9月3日作成
訪れた日 2009年5月2日

街の屋台でマトンの肉を食べながらビールを飲む。まるでお祭りみたいな雰囲気だが、人々は落ち着き、中国の他の街のような喧騒はない。日本の地方温泉都市にいるような気分になってきた。ここは中国とベトナムの国境、石灰岩の奇岩に囲まれた辺境の街である。

凭祥はベトナム国境の地方都市である。ベトナムとの間は徒歩で越える事になる。徒歩で国境を越えたのは米加国境を徒歩で越えて以来だ。無秩序のベトナム側の国境を抜け、中国側に入ると人々は整然としているように見える。イミグレで順番を待つ人も並んでいた。ここでは中国は先進国だと認識するが、香港から中国に入ると逆の感覚を受ける。

イミグレから街まではバスなどで移動しなければならないのだが、市街地行きのバスの姿は無く、南宁行きのバスを捉まえて途中下車する。駅はイミグレがある「凭祥」と、市街地に近い「凭祥北」がある。ホテルは「凭祥北」付近で探した。市内を移動するのに使ったのは三輪タクシー。荷台に積み込まれての移動だったが、たしかニ元で乗れた。ここでは一元硬貨が使えず、紙幣しか使えなかったのには驚いた。

街の人を見るとベトナム系の人が多いように見える。若い綺麗な女の子も多いが、小さな赤子を子供を抱えている娘が多い。子供が子供を抱えているみたいに見えるが、地方は結婚、出産が早いのだろう。今はまだ、辺境っぽい雰囲気が漂っているが、ベトナムの経済発展とともに、ここも変わるのだろうか。一日4往復しか列車の来ないこの街にも新幹線建設が発表された。この新幹線はベトナム、マレーシアを通過してシンガポールに至るとの事である。


プレハブのようなベトナム側の建物とは違い、立派な構造の中国側のイミグレ
国境のライン上に置かれた石碑、表と裏で国名が違う。明確にラインが引かれているのが面白かった。
国境にある史跡、「友谊关(友誼関)」。一番最初建てられたのが漢の時代(紀元前)だそうだ。ベトナム領だった時代もあったが、1999年から中国の領土となった。中国が武力で勝ち取ったようなものだ。
ホテルから街を見る。中国の至るところに建つ高層ビルがなく、落ち着いた街だった。見るべきものはあまり無いが・・・
このような夫婦でやっている小さな屋台が多かった。
ここが目抜き通り。屋台が沢山あり3件ほどハシゴして夕食とした。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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