●中央線(長野行き夜行441M)

・2002年12月21日  作成
訪れた日 1984年8月7日
 

80年代の中央線の夜は登山客向けの夜行列車が雁行していた。その中で長野行き普通列車があった。この列車、南アルプス方面への登山客向けで、小淵沢で朝を迎えるという超鈍足ながら山男や鉄道愛好者に人気があった。

その後、上諏訪行きに短縮されたり、甲府で分割されて松本まで足を伸ばしたりしながら1992年に廃止されてしまった。いつも山男で混雑していた印象が強く、いまだに廃止が信じられない。印象が強いのは、生まれて初めて乗った夜行列車が上り列車の442Mだったかもしれない。

1984年の夏休み、「青春18のびのび切符」が初めて発売され、部活の休みが1週間とれたので迷わず6日間の(当時の青春18切符は6日有効)鈍行列車の旅に出た。その第一歩が新宿23時55分発の鈍行列車だった。

この列車、3ドアセミクロスシートの中距離通勤電車で、とても旅情など感じさせない車両だったが混雑も酷く、床に座る事すらできず、船を漕ぎながらつり革に捕まって立って寝ていたものだ。夜が明けた小淵沢で途中下車して、小海線の一番列車に乗り換え、小諸経由で長野に向かった。なんと長野着は小海線経由の方が早かったのだ。

その後、大学1年の夏。後輩の夏合宿に参加する時、同期と一緒にやはりこの夜行列車に乗って小淵沢、小諸経由で菅平を目指した事もあった。同期が乗り合わせた女の子に声をかけまくって恥ずかしかった記憶がある。そういう事が平気で出来るような雰囲気を持った電車だったのかもしれない。安く旅するのには本当に便利な列車だったが前述の通り92年に廃止されてしまった。

今、あらためてダイヤを眺めると、新宿23時55分→ 松本08時02分 → 長野09時49分 。とは本当に間延びしている。新幹線で1時間30分で行ける長野まで10時間! もっとも、八ヶ岳や南アルプスを目指すには最適なダイヤでもあったし、列車の狙いもそこにあった。酷いのは上りで、長野18時30分 → 松本20時56分 → 新宿04時23分。何が言いたいか説明の必要が無いだろう。80年代はこのようなノンビリした列車が活躍できるような世の中だったのだ。

新宿よりに2両連結されていた荷物車(全部で11両編成)
辰野経由のサボ
小淵沢で夜が明けた
小海線の一番列車に乗り換えた人も少なくなかった


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