●飯田線

・2002年2月20日  作成
訪れた日 1983年3月
 

高校の入学が決まり、初めての個人旅行。それが飯田線だった。

飯田線は愛知県の豊橋から長野県の辰野まで、天竜川に沿って行くローカル線。195.8kmの距離に92mp途中駅(駅間平均2kmちょっと)。また旧型国電の宝庫だったため鉄道愛好者に人気があった。この路線を延々7時間かけて全線走破する普通列車に乗りたかった。日帰りでも可能だが、すべて普通列車を使うという事で2泊3日の旅をした。

出発は豊橋をお昼に出る電車。車内が木で出来た旧型電車は走り出すと床からものすごいうなり音がする。窓を開けて風に吹かれて弁当を食べていると、こんな電車に7時間も乗っていられる幸せを感じる。この時、まだ若かった私はある手紙を出して、それが届く頃、東京を逃げるように旅をしていた。何かしてなければ我慢できない・・・そんな気持ちも旅に出させたのだろう。

やがて電車は街から天竜川に沿った渓谷に入ってゆく。まさに断崖絶壁をはばりつくように走る。国鉄の職員から車内で貰ったダイヤグラムを見ながら、列車交換を楽しみにしたり決して退屈はしなかった。電車の編成は「クハ68416+クモハ54131+クモハ53600+クモハユニ56012。車両の知識は今も昔もあまりないが、戦前から走っている電車で、昔は何処で活躍していたのだろうか。

当時の飯田線の看板列車、急行「伊那」に抜かれる事なく走ってきたが、日も暮れた伊那北で、新宿行きの急行「こまがね6号」に抜かれる。この列車に乗れば今日中に東京に帰れるのだが・・・。ニス塗りの飴色の車内が暗い蛍光灯に浮かぶ。日が暮れると、古い電車の車内は暗い。最近投入されたばかりの新型電車の車内は明るく、好きで乗った古い電車だったが、新しい電車にも心が動いた。

やがて終点の辰野。この頃の辰野はまだ中央線の途中駅で、特急「あずさ」や急行「アルプス」の停車駅だった。駅前の食堂で夕食を採って、新宿行きの夜行列車を待った。この頃、中央線には長野と新宿を往復する普通電車が存在しており、生まれて初めて乗った夜行列車がこの新宿行きの普通電車だった。

2002年現在、飯田線の旧型国電は勿論、急行「伊那」も「こまがね」も、新宿行きの夜行列車も存在しない。そして、塩尻トンネルの開通とともに中央線の電車は辰野を通らないようになり、おそらく辰野は寂れたであろうと思われる。


飯田線の渋い電車
車内は木で出来ている
天竜峡
列車交換でよく止まる


http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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