しなの鉄道

2009年1月18日作成
訪れた日 2002年2月24日
2008年7月6日

3両編成の電車が行き交うローカル線。雰囲気もどこかノンビリしている。しかし、電化複線だし、駅のホームは長い、駅舎も立派である。第三セクターのローカル線でも、高規格の路線という事ではトップクラス。しかし、長いホームを埋めるような長編製の電車も無く、かつて頻繁に行き交った特急列車の姿も無い。新幹線開業でJRから分離された信越本線のなれの果てである。

幹線がJRから切り離されたのは信越本線が初めてであった。しなの鉄道という名前になって生まれ変わったが、経営の苦しさが伝わってくる。インフラが立派な分、落ちぶれた感じは余計に感じられる。次々と新幹線が開通すると、同じような運命を辿る路線が増えてくる。もしも上越新幹線の開業が分割民営化の後だったら、上越本線も同じ運命を辿ったであろう。

広がる高原と、高くはないが、荒々しい岩肌を見せる山々という信越線独特の景色は昔日のまま。走る電車もJRの中古車で、JRの路線に乗っている雰囲気がある。しかし、予備知識を持って乗車していると、懐かしい気分にだけひたる事は出来ない。かつて特急停車駅だった大きな駅に着くと寂しさを感じる。その最たるは「軽井沢」であろう。かつて、碓氷峠を往復した補助機関車がゴロゴロしていた広い構内は、線路も外され空虚な空間になっている。

信越線時代に、この区間は何度も通った。特に、大学1年の夏、OBとして参加した菅平の夏合宿の帰り道、青春18切符を買って信越本線の普通列車で仲間と楽しく帰った事が一番の想い出である。線路が繋がっていない今、このような手段で信州から東京へ帰る人は皆無だろう。08年7月に乗った時は、小諸から小海線に乗り換え、中央線で帰ったが、時間的にも金額的にもあまりメリットはない。

もしも、「横川」「軽井沢」間が廃止されずに、線路が繋がっていたら、在来線を使って「軽井沢」や、その奥の高原に遊びに来る人も少なくなかったであろう。急勾配区間という理由で廃止されてしまったが、残す手段はあったように思う。復活の噂は何度か聞くが、噂の域を出ていない。


旧国鉄の電車ばかり
細かな心遣いが私鉄らしい(一輪挿し)
荒っぽい山肌が特徴の車窓
線路が外され空しい構内
長いホームいっぱいに止まる電車はもうない

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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