●谷汲線

・2002年2月25日  作成
・2005年8月15日  修正
訪れた日 2000年9月 3日
2005年5月14日

2000年9月

水田の広がる平地が狭くなり、山が迫り、狭い谷を登ってゆく。編成はたった1両。乗客は私ひとり・・・。エンエンとモーターを唸らせる電車は1927年(昭和2年)製。戦前から働き続けている老雄だ。

谷汲線の廃止は決定的だが、乗客もいない深い谷を走っている現状を考えれば仕方ない話かもしれない。しかし、こんな深山幽山の中を走って何があるのだろうかと不安にもなってくる。乗り物は空いている方が良いが、ひとりぼっちは寂しすぎる。

旧街道を思わせるような杉の切り通しを抜けると終点谷汲に到着する。駅は意外にも綺麗で、待合室もあった。超閑散ローカル線の終点にしては立派だった。ここには谷汲山華厳寺があり、谷汲線は参拝者輸送用に作られたようだった。縁日には賑わうようだが、日も暮れかけた普通の日に参拝客の姿は無く一層寂しく感じた。

日没後の帰り路ももまた寂しかった。平地に降りて、駅に着くと、開け放たれた窓から虫の鳴き声が入ってきた。


2005年5月

黒野−谷汲間の谷汲線(11.2q、所要時間22分)が廃止されたのは2001年(平成13年)9月末。それから4年、車で廃線跡を訪れてみた。谷汲線だけではなく、岐阜と黒野を結んでいた岐阜市内線、揖斐線もすでに無くなってしまった。廃止後わずかに4年というのに廃線跡は自然に戻ってしまった所が多い。

谷汲線が走っていた山奥は、突然神社の社が現れたり霊を感じる所だ。悪く言えば不気味な感じもする。終点谷汲駅跡は綺麗に整備されていた。私が乗車したモ755も今にも走り出しそうに綺麗に保存されていた。売店はグッズ売り場になり、待合室は資料展示室になっていた。ボランティアで保存されている事は知っていたが、ここまで見事に保存されているとは思わなかった。頭が下がる思いである。

心無い鉄道マニアに荒らされたりしないだろうか・・・。そんな事が心配になった。


谷汲から電車がやってきた
まずは市街地を
乗客はゼロ
終点谷汲
待合室が展示コーナーに
廃線跡から谷汲駅方面を眺める
今にも走り出しそう


http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


 

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