1990年3月1日

母島への航路は毎日出る訳ではない。大体、一週間に2〜3便だ。小笠原丸が東京に帰っている隙に母島に行く事にした。

「ははじま丸」(310t)は、「おがさわら丸」の隣に停泊していた。まぁ、なんて小さな船だろう。まるで漁船だ。となりの「おがさわら丸」が大きな城のように見える。桟橋待合室で切符を購入。3090円は高かった。
「朝はクジラは見えないかもしれないね。人間と同じで、クジラは朝からエキサイトして交尾しないからね。」
受付のオバチャンはなんて事を言うのだ。まぁ、母島に渡る途中で、クジラがよく見えるというのは有名な事だが、朝はあまり期待できないとの事。

まだ夜が明けきっていない午前6時、「ははじま丸」は、ポンポンポンとまるでポンポン船のようなエンジンを唸らせ、出航していった。
乗客は9人!。母島に観光に行く人は、大抵、船の運行計画に合わせて滞在する。と、いう事は、我々が母島に滞在する時の観光客は5人位しかいない事になる。

船は揺れた。前から、
「『ははじま丸』は揺れるよ。」
と聞いていた。雨こそ降っているが、海が荒れていない今日のような日でも、船は激しいピッチングを繰り返し、気分は悪くなった。

朝からクジラは見えないだろうと思い、母島までの2時間20分、船室で寝ていた。
8時20分、母島沖港に到着。雨だった天気も急に晴れてきて、雲こそ残っているが、青空が広がってきた。
この「ははじま丸」は、沖港ですぐに折り返し、父島に戻る。父島で12時00分発の東京行き「おがさわら丸」に接続するのだ。

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