因美線

・2014年9月27日 作成
訪れた日 2013年7月14日
          

智頭駅で乗り継ぐ列車は国鉄型のディーゼルカーであった。久しぶりに国鉄型ディーゼルカーのボックスシートに座り、ビールを飲みながらローカル線の旅を楽しみたかった。駅付近で売店を探したが見当たらず、時間が無いにも関わらず近所のスーパーまで走った。無理して手に入れたビールを飲みながら、ドッシリとした乗り心地に身をゆだねていると本当に幸せを感じた。

因美線は、津山駅で津山線と接続し、岡山駅と鳥取駅を結ぶ陰陽連絡路線としてかつては優等列車も走る路線であった。1994年(平成6年)に高規格の智頭急行が開通により、陰陽連絡路線としての役割を譲り、津山駅から智頭駅の山間部は寂れたローカル線に凋落してしまった。ただし鳥取駅側は智頭急行が乗り入れてくるので、今でも特急列車が走り、陰陽連絡路線としての役割を果たしている。

大雨の中を出発したレイルバスは盆地から山へと進んでゆく。カーブも多く、速度規正も厳しい。古い鉄道は高速化が難しく、その為、トンネルで山を貫く高規格鉄道に都市間連絡の役割を譲らざるを得なかった。しかし、古い鉄道ゆえに、木造の渋い駅舎が多く残っている。その各駅を巡るイベント列車も運転されている。

いつしか雨はあがり、緑に覆われた峠の景色はとても美しかった。まるで貸切列車のような車内で、景色を満喫していた。ローカル線に乗る都度思うのであるが、新線を作る一方で、古い路線は、あと何年維持する事ができるのか心配になってきた。右手に高規格の路線が合流した。智頭急行である。智頭駅から鳥取駅までは、列車の本数も多く、まるで智頭急行の一部のようになっている。因美線を通して運転される定期列車は現在は運転されていない。

かつての亜幹線も、レイルバスが行き交うローカル線に凋落していた。

美作滝尾駅では田んぼアートが見られた。やはり「NARUTO」だった。駅を訪れる人も多いが、殆どは車で来ているのであろう・・・。列車の写真を撮る人はいても乗る人はいなかった。
知和駅を出ると、山崩れの跡が見えてきた・・・・と思ったら、砕石場の施設が見えた。株式会社ふじもと組 砕石場との事である。砕石場もこうやって見ると、山が無残に思えてくる。

山間部を走っていたが、美作河井駅に到着直前、車窓に転車台跡と矢筈城址の看板が見えた。なぜこの山中に転車台があったのか不思議だったが、これはラッセル車の方向転換用だったとの事であった。
智頭駅から鳥取駅まで、タラコ色の国鉄型気動車に乗る。何とも懐かしい気分だった。

岡山駅と鳥取駅を結ぶ特急「スーパーいなば」。
智頭駅から智頭急行に乗り入れる。ただし、編成は僅かに2両・・・。いくら高速化されても鉄道としては寂しいような気がする。


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