●美祢線

・2020年1月25日作成
訪れた日 1994年3月20日
2002年8月16日
2018年4月30日

今日の宿泊は長門市駅である。夕方、チェックインするとカビ臭い部屋と、共同のシャワールームをみて、宿代をケチったのは失敗だったと後悔した。幸い、美弥線で湯本温泉に行けば日帰り温泉を利用できそうだ・・・。という事で、夕方の仙崎駅発の列車に乗車した。

地方都市である長門市駅からわすか9分。音信川沿いの駅、18時31分。長門湯本駅に到着。駅舎は風情があり、温泉の玄関口の雰囲気がある。しかし、かつては急行列車も停車した駅に降り立つ人は誰もいない。勿論、無人駅化されてしまっている。温泉街は駅から少し離れているが、温泉街も決して賑わってはいなかった。それでも、温泉ホテルはいくつもあり、おそらく車で訪れてきて、そのまま外に出ないのだろう。

美弥線に乗るのは久しぶりである。1994年に乗車した際も旅客列車は軽気動車だったが、まるで、かつての北海道のように石炭車を連ねた貨物列車が頻繁に行き交っていた。積み荷は石灰であり、美祢の宇部興産のセメント工場から輸送されていた。貨物輸送の恩恵で輸送量が多く、旅客運賃は幹線扱いだった。その後、宇部興産が専用道路を作り輸送を始めた為、この輸送は1998年には終わりを告げた。

2002年に乗車した際は初めて全線載り通した。この時も細々と太平洋セメントの石灰石輸送が残っていた。まるで工臨のような姿であったが、貨車の上には石灰性が満載されていた。その後、貨物列車は全廃された。山陰と山陽を結ぶ旅客輸送も廃れ、軽気動車が1〜2時間に1本程度走るのみである。

温泉に入り、居酒屋で食事をしてから、長門湯本駅に戻る時は真っ暗だった。懐中電灯が無ければ歩けない程の暗さだった。そんな中、駅の明かりを見つけるとほっとした。しかし、広い待合室には人気はなく、人の代わりに鳥が住み着いていた。ふと、行燈式の列車接近表示が灯った。やってきたディーゼルカーは2両編成だが、客が多いわけではない。終点長門市駅は、大きな駅で、てっきり乗車券は駅の改札で渡すのかと思い、そのまま下車しようとすると運転士に止められた。本線の主要駅とはいえ、夜は改札は無人になる事に驚いた。

湯本温泉は長門市のすぐ近くで、利便性も高いのであるが、列車でやってくる人はいなかった。

川沿いに温泉街が出来ていて、日帰り温泉もある。バスもあるが、やはり鉄道で帰りたくて、駅に向かう。

それにしても、夜の無人駅は寂しい。

 

貨物列車が雁行運行されていた頃の美祢線。美祢駅のヤードには石炭車が待機していた。

2002年に乗車した際、重安駅のホッパーはまだ現役だった。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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