●羽幌鉄道(羽幌炭鉱・曙)
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朱鞠内から自動車で人煙稀な山の中を越えて走る。民家はおろか、すれ違う車もない・・・。そんな山道を2時間ちかく走り、寂しさも限界に来た頃、草むらの中から、巨大な朽ちた建物が現れた。羽幌炭鉱跡である・・・。かつて街があった場所は自然に回帰しつつあった。
羽幌炭鉱線と築別炭鉱線が分岐して、大きな街であった曙も、小学校の廃校跡をはじめ、廃墟ばかり目立つ場所であった。建物はそのまま、人だけ逃げ出したかのような光景は胸が痛む。その最たるものが築別炭鉱跡だろう。
原野に浮かぶ巨大な鉄筋コンクリート造りの太陽小学校は、1967年(昭和42年)完成、4年後の1971年(昭和46年)廃校という悲運の学校だ。さらに先には高層団地郡が現れる。これも廃坑の2年前に完成した団地郡である。他の廃坑跡と違い、比較的新しい建物が残っているのは、閉山が突然、決まったからだろう。まるで街全体が夜逃げしてしまったのようである。
人気の全く無いゴーストタウンの中にいると不気味さばかり増して、吐き気や震えが止まらなくなった。撤去にお金はかかるとは思うが、使わなくなった施設は撤去すべきだと思う。
ここを走っていた羽幌鉄道は1970年(昭和45年)12月15日に廃止された。今も茨城交通で走っている羽幌鉄道の車両は、故郷がゴーストタウンになってしまった事をどう思っているのだろうか。
炭鉱の情報は、「ふるさと羽幌炭鉱」を参考にさせて頂きました。
羽幌鉄道の、石炭積込み施設 | 草むらの中の廃坑跡 |
太陽小学校跡 | 築別炭鉱のホッパー |
廃墟と化した団地 | 住民だった人は辛いだろう |
橋脚も沢山残っている | 列車で渡りたかった・・・。 |