美唄炭坑メモリアルパーク

2004年6月20日作成
訪れた日 2003年10月5日
2003年11月2日

広い、広い、山間の草原に高さ20mの巨大な立坑櫓が聳え立っていた。人気の全く無い山奥に突然現れるものだから驚く。この櫓は地底170mから石炭をくみ出すのに使用された美唄炭坑の遺構である。この広い草原には炭坑があり、貨物ヤードがあり、周りは炭住で埋め尽くされていた。1972年(昭和47年)に閉山された後は、炭坑跡は完全に撤去され、櫓と、炭鉱原炭ポケット、小さな炭鉱開閉所がひとつ保存し、「炭坑メモリアルパーク」として整備した。ただし、昔の炭坑のスケールを感じるにはあまりに不十分ではあるが・・・。

この草原には巨大な炭坑施設と、炭住で埋め尽くされた街があった。炭鉱開閉所に飾ってあった写真を見ると、大工場のような設備と、周りを埋め尽くす、炭住やアパートに驚いてしまう。ここだけで市が成り立ちそうなスケールである。それが、今は一面の大草原と深い山・・・・。巨大な施設と街が、僅か30年の間に消え去ってしまった事が信じられない。

廃墟マニアには怒られそうだが、施設を綺麗に撤去して、街を跡形も無く消し去るのは正しい事かもしれないと思った。北海道ではゴーストタウンをいくつか見てきたが、何処も恐ろしい雰囲気だった。それに引き換え、ここには暗さが無い。ただひとつ、途中の集落の「我路」を除いて・・・。

肝心の「炭坑メモリアルパーク」だが、この時間、訪れた人は私たちだけだった。普段も大勢来るとは思えない。入場料を払っても良いから、設備を充実させ、もう少し宣伝した方が良いのではと思ってみたりもした。


地底から石炭をくみ上げた立坑櫓
炭鉱開閉所
原炭ポケット
右の写真が現役時代のもの


http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


back