●急行「天北」(/4)

・2003年2月15日  作成
訪れた日 1986年8月16日
 
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札幌11時10分発急行「天北」。昼行列車にもかかわらず寝台車を2両も連結した7両編成。まるでブルートレインそのものだ。85年3月ダイヤ改正でディーゼルカーから機関車牽引の客車列車に変更された、まるで時代に逆行したような列車だ。それまで活躍していたディーゼルカーが老朽化したため、夜行列車で活躍していた特急型客車を間合利用する事になった。当時の国鉄には新型ディーゼルカーを新製する余裕は無かった。

天北線は、84年に訪ねた。荒涼とした天北原野に地の果てを感じた。荒れ果てた細い線路は捨てられたローカル線を感じ、旅情より寂しさや怖さを感じた。そのような地の果てを走る急行列車に興味があった。ブルートレインが地の果てを走る! 急行「天北」は最も魅力のある列車となった。「天北」という響きも魅力だった。

寝台車の最後部の車両に乗り込む。勿論、昼間は座席利用だが、コンパートメントのような空間が日本の車両っぽくなかった。通路側の大きな窓から北海道の雄大な風景が展開され、普通の座席から座って眺めるより開放的な感じだった。牽引するのは電化区間にも関わらずディーゼル機関車。旭川での機関車交換の時間を省くためだろう。

旭川13時12分。宗谷本線に入る。電化複線区間から非電化単線のローカル線に入ったので振動が大きくなった。しかし、客車列車なので静かで塩狩峠を登ってゆく時でも、速度は落ちたが、唸るエンジン音は聞こえず快適な旅が続けられる。車窓は一層、雄大になり緑多き山間や大草原が眺められる。

名寄に14時25分着。ここで機関車がDD51型からDE10型に変わる。これから先の天北線は線路規格の低いローカル線。亜幹線用のDD51は重すぎて入れない。そこで入れ換え用の小型機関車DE10型の登場となる。

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絵入りマークも入り特急列車のような「天北」
通路側の大窓から雄大な風景が展望できる
亜幹線用のDD51は名寄まで(88年撮影)
入れ換え用小型機関車が先頭に立つ(88年撮影)
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