夕張シューパロダム

2014年12月13日作成
訪れた日 2013年8月17日
 

石勝線の川端駅前にあったダムのオブジェは大夕張ダムだったのだろうか? 徐々にダムに近づいて来ると気分が高揚してくる。この土地を訪れたのは10年ぶり3度目。前回は、夕張シューパロダムの建設により、かつての炭鉱や集落、森林鉄道の跡地が無くなるという事で感傷的な気持ちでここを巡ったが、いよいよ夕張シューパロダムが完成間近となっていた。このダムは手前にある大夕張ダムを飲み込む巨大ダムである。 

インフォメーションセンターを探す事から始まったが、大夕張駅跡に隣接していたのですぐに見つかった。大夕張駅は三菱石炭鉱業大夕張鉄道の駅があった所で、1984年の現役時、2003年の跡地巡りで訪れているが、保存車両が美しい状態のまま保存されていて、嬉しくなった。また、バスも新たに保存されていた。インフォメーションセンターに寄ったのは、大夕張ダムに行くには、ここで許可を貰う為であった。同じような目的の人が数人いた。

長い迂回路を走ってようやく大夕張ダムにやってきた。ダムの向こうに建設中の巨大ダムがある。初めて見る光景である。新しいダムの建設によって、古いダムが水没するというのは他では聞いた事がない。ついに出来てしまったのかと、寂しい感情もこみ上げてきた。炭鉱で賑わっていた鹿島地区は更地になって久しいが、鉄道愛好者に人気があった森林鉄道の遺構が水没する時が来た・・・。

大夕張ダムのダム管理事務所の駐車場に車を停めて、改めてふたつのダムを眺める。この旧国道は今月末で閉鎖される。この二重に重なって見えるダムの景色が見られるのはあと2週間である。名残を惜しんで訪れる人も多く、インフォメーションセンターも賑わっていた。この場所からの眺めはもう見る事が出来ないが、新しいダムからの景色もまた観光名所になる事だろう。

旧国道の反対側にも行ってみた。カーナビには道路があったが、途中から通行止めになっていた。ダムの工事車両の通行の為なのだろうか・・・・。小路が張り巡らされた場所もあったが、そこには生活の匂いがしなかった。水没する地区ではないと思うが、集落は遺棄され廃墟と化していた。雪で潰れた家も多いが、比較的新しい家もあり、この地区が廃墟になったのはそう遠い昔ではないような気がする。

夕張を訪れるまでもなく、この地域が過疎に苦しんでいる事は周知されている。夕張だけではない。北海道全体の経済状況は破綻しているとも言われている。「流域の人々の安心で豊かな暮らしを支えるダム」。このダムはそう謳われて作られた。この遺棄された集落は何を語っているのだろうか。

大夕張駅跡から大夕張ダムまでは、小さなトンネルを抜けてすぐであったが、道路が付替えられ、すでに閉鎖されていた。併走していた、線路跡のサイクリングロードも過去の景色になってしまった。


新しく長いトンネルを抜け、ダムの工事用車両の連絡路から旧道を戻る形で大夕張ダムにやってきた。約8qの迂回である。

インフォメーションセンターでは大夕張ダムとシューパロダムのダムカードを配っていた。訪れる人が多いのは、やはり二重に見えるダムを見る為だろうか
石勝線の川端駅。2両の旧型客車はC62ニセコ号で使われたものであるが、今は廃墟?「売」の文字が悲しい
美しい三弦橋(森林鉄道の遺稿)も、手前の大夕張ダムも、夕張シューパロダムに沈む
南大夕張駅跡にはバスや、かつての三菱石炭鉱業大夕張鉄道の車両が保存されていた。
現役時代の南大夕張駅。右側のトンネルはサイクリングロード化した廃線跡
この集落が賑わっていたのはそれほど昔ではないだろう・・・。
管理棟でダムカードを貰う


http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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