●野菊の墓記念碑・柳原水閘

・2010年6月6日作成
訪れた日 2009年9月21日
 

「民子は余儀なき結婚をして遂に世を去り、僕は余儀なき結婚をして長らえている。・・・幽明遥けく隔つとも僕の心は一日も民子の上を去らぬ。」有名な伊藤左千夫著の「野菊の墓」の最後のフレーズだが、純愛小説に感動して読みふけった後、このフレーズに触れて、この小説にあまり好感をもてなくなった。しかし、舞台となる農村風景や、「矢切の渡し」は充分に小説を連想できるだけの風情を残していた。

「矢切の渡し」は江戸川を渡る渡し舟である。東京都側は葛飾柴又で、下町風情の都会であるが、千葉県側は田園風景が広がり、そのギャップにいつも驚いていた。東京都と千葉県のステータスの違いなのか、他に原因があるのか・・・・。そのお陰で千葉県側は長閑なハイキングコースとなっている。

川沿いの平野から急勾配を登ってゆくと「西蓮寺」に出る。ここに冒頭の明治時代の恋愛小説「野菊の墓」に因んだ記念碑がある。切り通しの道路を隔てて分割されている「西蓮寺」の境内とも、公園ともとれるような所を歩いていると、国府台合戦解説板に目が留まった。永禄七年(1564)に第二次国府台合戦(小田原後北条氏×安房里見氏)の激戦地であったらしいが、恥ずかしながら国府台合戦の事を初めて知った。

「野菊の墓」は明治39年(1906年)に発表された、この付近の農村を舞台とした恋愛小説である。明治時代にこのような甘ったるい小説が発表されたのは驚くが、あくまでも清い関係の男女関係は爽やかで好ましく感じる。しかし、冒頭のフレーズで台無しにされた感じがある。あまり身勝手だし、余儀なき結婚相手に失礼ではないかと思う。まぁ、あくまでもフィクションなのでそう怒るものでもないが・・・・。

千葉県側は長閑な矢切の渡し
翌年37年(1904年)に完成した煉瓦造り柳原水閘
一見簡素な作りに見える
こちらが現在稼動中の水門
矢切の渡しから記念碑までハイキングコースになっている
野菊の墓記念碑

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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