●外房線

・2012年7月29日作成
訪れた日 2011年11月13日
 

秋葉原駅を出た時はガラガラだった特急「新宿わかしお」号は総武線内で乗客を拾い、気がつくと自由席は満席状態に。凋落傾向が激しいといわれている房総特急だが、外房線はまだ需要がありそうだ。

過去の夏は、「房総夏ダイヤ」という特別ダイヤで対応していた房総地区。それも90年代で終了して、ダイヤ改正の度に減量化されて落ち込んでしまった。快速「白い砂」という臨時列車が東京から乗り入れていたのは遠い昔の話になってしまった。また外房線沿線のレジャー施設も落ち込み、フラミンゴショーで有名だった「行川アイランド」も2001年に閉鎖されてしまった。小学生の頃、ここで数日間のプール教室に参加した事があったが、駅だけ残してあとは廃墟になってしまったと聞いていた。子供だったので、家を離れてホームシックになったりと、あまり良い思いでがない行川アイランドではあるが、駅に着くと同時に大昔の記憶が蘇ってきた。

「行川アイランド」の周辺は無人の山中だった。元々何もない山間に作ったレジャー施設だったので付近も駅を活用出来ないのだろう。しかし、駅から施設までの歩道橋、そして切符売り場がそのまま残されていた。切符売り場の先にはトンネルがあり、ここを抜けると夢の世界があった。ここで声をあげて反響を楽しみながら園内に入ったような気がする。駅周辺には何も無く、気が滅入る一方なので早く次の電車でここを離れたいと思った。思い出がある場所が廃墟になっているのは少し辛いものである。

秋葉原から乗車した特急車両は「Boso View Express」と呼ばれた観光客輸送を意識した車両。グリーン車つきの9両編成で、この車両を使った列車は「ビューXXX号」と呼ばれていた時代もあった。

房総夏ダイヤが実施されていた時代の最後に生まれた車両である。当時、老朽化が進んでいた国鉄時代からの特急車両を置き換えると思われた。しかし、あまり製造されず、国鉄車両の置き換えは2004年に製造された、グリーン車も無い実用本位の車両となってしまった。
「両国」の先で緩行線からポイントを渡り総武快速線に乗り入れる。かつては、両国駅が房総半島へ向かう列車の起点であった。急行列車がここから発着していたのも遠い昔。
勝浦で特急列車を降りた。デザイン的にも優れた特急車両だが、外房線、内房線ではメインの車両ではなくなってしまった。
行川アイランドは閉鎖されてしまったが、駅は昔のまま残っている。駅名の変更も行われていない。変更する手間を惜しんだのだろうか。

特急列車の停車駅からは外されてしまった。
行川アイランド駅から園内に続く歩道橋。ここを渡る人はもういないと思われる。また押しボタン式の歩行者信号機もあったが、これも過去の遺産である。
駅から園内に続く通路、電話ボックスが悲しい・・・。
行川アイランドの切符売場。こういった設備をそのまま残しておくのは悲しい。フェニックスを手入れする人はいるのだろうか・・・。
奥のトンネルを抜けるとリゾート施設があった。ここに来るまで行川アイランドの事は殆ど思い出せなかったが、このトンネルを見た時に色々な事が突然思い出された。
やってきた普通電車は京浜東北線で走っていた通勤電車(「走ルンです」と酷評された徹底的に合理化を追求した車両)かつてはクロスシートの近郊型電車が走っていたが、こんな旅情もない電車が来ては行楽客を呼び込む事もできないだろう。

その上、特急列車も激減しており、JRは車との競争を諦めて合理化だけを追及しているのだろうか。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)

back