●上信電鉄

・2008年7月26日作成
訪れた日 2008年7月21日
 

「・・・(降りる時は)前の方に行った方がいいんですか?」と、若い女の子が訪ねてくる。乗っているのは2両編成のワンマンカー。2両目は小さな駅ではドアも開かず、先頭車両の先頭出入り口で運賃の収受を行っている。2両目でウロウロしている彼女に、前の方とは先頭車両の事だと教えて、無事降りたのを確認して安心する。寝過ごして下車駅を過ぎてしまって戻るそうだが、丁度良いタイミングで対向列車がやってきた。しかし、対向列車に乗る際、開く事のない2両目のドアの前で困っていた。乗るのも最前部の扉だと教えようと窓を開けようとしたら、ようやく乗り方を理解して慌てて走っていった。上信電鉄「南蛇井駅」での出来事だった。

上信電鉄に乗るのは実に28年ぶり・・・。当時の上信電鉄は斬新的なスタイルの自社発注車輌を次々と投入して、中小私鉄の中では優良児であった。車掌も乗務しており、ドア扱い装置が中間扉の所にも設置されていて、運転室以外からもドア扱いを行っていた事を思い出す。編成も3両だったと思う。急行・準急といった優等列車もあった頃が一番輝いていた。現在は最盛期の1/4近くまで利用者が減り、その傾向に歯止めがかからない。

高崎駅0番線。まるでJRの構内のような所から出発する。しかし、改札は別である。ここの自動券売機の操作方法が解らず駅員に聞いてしまう。電車は貴重になってきたオリジナル車輌。室内銘板には「西武所沢車輌工場」とあるが、西武鉄道からの譲渡車輌ではなく自社発注車である。車内は学生を中心に若い人が多いが、免許のある人は車という事を裏付けているようだ。途中駅は、渋い木造駅舎が多く、有人駅もいくつかある。必ず、駅員が直立不動で乗客を迎え、発車の際には指差し確認を怠らない。その昔ながらの動作に感激する。車窓右手には鏑川が寄り添い、ノンビリした田園地帯の旅が続く。進むにしたがい、河岸段丘が深く形成され、山岳列車の様相を呈してくると終点「下仁田駅」である。高崎から1時間の旅であった。

戻りの電車に冒頭の女の子が乗ってきた。連絡のとれなくなった友達に会いに「上州一ノ宮」まで来たけれど、働いている店が休みで会えなかったそうだ。高崎育ちで、夏休みに戻ってきたとの話なので地元の人の筈なのだが、「『これ』に、ほとんど乗った事がないんですよ」と笑って言っていた。私は地元の人に、電車の乗降方法を教えた事になる。地元に根付いたローカル線といっても所詮そんなものなのだろうか。右肩下がりは止らないが、交換設備のある駅も多く、駅間にも交換設備が残っている。インフラは廃れていない。再び輝きを取り戻して欲しいものだ。

高崎駅0番線から出発
有名な古典電気機関車
構内踏切、古い駅舎・・・
終点下仁田は貨物駅だった事もあり広い構内を持っている
下仁田はこんにゃくの産地。駅には物産品コーナーもあった
立派な駅だが人は疎ら・・・
高崎駅よりも、終着駅を感じる駅だった


http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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