●ひたちなか海浜鉄道

・2011年7月3日 作成
訪れた日 2010年10月11日
 

列車は那珂湊の街を離れるにつれ街灯が少なくなる。最後部で遠ざかる景色を見ていた。街の明かりや信号機の灯火が二条のレイルに反射して幻想的だったが、やがて闇と同化してくる。代わりに月明かりが仄かにレイルを照らし列車を追いかけてきた。ローカル線であっても、走る列車があるからレイルの路面は光を放っている。列車が走らなくなれば数日でレイルは錆びて光を失う。

ひたちなか海浜鉄道は、私鉄の茨城交通湊線を第三セクター化(2008年4月)した鉄道会社である。茨城交通時代に訪れた時もあるが、その当時から手持ちの旧型車両をイベントで走らせるなど、鉄道ファンには馴染みの鉄道である。しかし、経営は苦しく、様々なイベントを実施して生き残りをかけている。ホームページを見ると週末列車というページがあり、希少価値のある旧型車が運転される際は告知がある。

この日も旧型車を増結すると告知があった。那珂湊駅を訪れ確認してみると、駅員さんが優しく時間などを教えてくれた。指定された時間に那珂湊駅に舞い戻り、増結される旧型車がホームに据え付けられ、阿字ヶ浦駅から来る定期列車を待っている風景を見ていた。カランカランと今にも止まりそうなエンジン音をたてて佇む車両を見ていると懐かしさがこみ上げてきた。車両は北海度の留萌鉄道からやってきた車両である。留萌鉄道は1969年(昭和45年)に廃止された北海道の炭鉱鉄道である。昔、この車両が走っていた所であるが、沿線の大半はダムの底に、終点の「昭和」は、途中の道路も廃道になってしまった。したがって、訪れる事は不可能である。この車両の故郷は消滅したのである。鉄道車両は生き物ではないが、もし語る事が出来たのならば何を語ってくれるのだろうか。

この日は那珂湊駅に次々と団体観光客がやってきて、旧型気動車の旅を楽しんでいた。必死になって鉄道を盛り上げようという熱意が伝わってくる。この日は、北海道の羽幌炭礦鉄道から来た車両も運用に入っていた。

この鉄道会社は東日本大震災で被災して全線不通になったが、復活が宣言され、2011年7月末には全線開通予定との事。

終点阿字ヶ浦駅に車を預けて列車の旅を開始する。
この日は地元のJリーグ、水戸ホーリーホックの選手とキャラクターが乗車してサポーターとのふれ合いを楽しんでいた。これも増収の一環だろう。鹿島アントラーズだったらこんなイベントをしたら単行ディーゼルカーのキャパを超えてしまうのでは・・・
車庫と本社のある阿字ヶ浦駅から増結する。残念ながら団体専用で一般客は乗車できない。その情報を事前に告知して欲しかった(最近は、ちゃんとホームページに告知されている)。しかし、勝田からの戻りでは一般客の乗車は可能だった。もちろん、留萌鉄道の事を想いながら乗車した。
駅員さんが、団体客に駅や車両について解説していた。阿字ヶ浦駅は駅舎自体がレトロで価値がある。私はあまり興味はないが、駅長の猫も飼われている。
4両の旧型気動車は、留萌鉄道、羽幌炭礦鉄道、水島臨海鉄道から来たが、国鉄と同タイプなので、様々な時代の国鉄色をまとっている。
旋回窓は雪国の車両のシンボル。この車両は羽幌炭礦鉄道の車両である。この列車が走っていた街もまたゴーストタウンとなっている。北海道から来た車両達の故郷は地図上からも無くなってしまっている。
那珂湊駅で増結車を開放する。一往復で終わって車庫に入る車両もあるが、老朽車両にとっては少しずつ走って長生きして欲しい
那珂湊から先は乗客も激減する。街灯りも少なくなり寂しく感じる。


http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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