●さよなら鹿島鉄道

・2007年3月10日作成
訪れた日 2006年8月5日
2007年1月13日

軽やかな音をたてて湖畔を古いディーゼルカーが駆け抜けていった。イベント列車の車内は満員のようである。憧れの夕張鉄道の車両も今日は稼動中・・・乗りたかったが、ネットで確認したら満員のようだったので諦めた。今日は撮るだけにしよう・・・。終点「鉾田」駅でも、様々なイベントが開催されていた。鉄道模型の運転会、構内の線路を使った足漕ぎトロッコの運転会も行われ、家族連れで賑わっていた。鉄道ファンより家族連れが目立ち、とても微笑ましかった。イベント参加者が駅員に聞いていた・・・・。「いつ廃止になるの?」

この時点では鹿島鉄道の廃止は決まっていなかった。初めて訪れてから、タイムスリップしたようなローカル私鉄に魅せられていたが、その時、既にこの私鉄は廃止か存続かで揺れていた。2006年12月25日、廃止を決定したニュースをネットで見た時、一縷の望みを打ち砕かれ、ショックを受けて何もする気が無くなった。

鹿島鉄道でお気に入りの車両は、旧夕張鉄道の車両である。第ニ土曜日には定期運用に入る事は判っていたが、何故か第二土曜は休日出勤の要請が多くて、なかなか訪れる事が出来なかった。1月の第二土曜日、翌日から長期の海外出張という日ではあったが、無理やり鹿島鉄道を訪れた。この日も休日返上の会議が予定されていたが、これが最後のチャンス。なんとか勘弁してもらった。

北海道の炭坑線は既に廃止されて、街すら残っていない所が多いが、こうして、当時の車両に乗れるのは、ここが最後かもしれない。しかし、車両の老朽化は激しく、手動ドアは容易には開く事が出来ず、車掌が力いっぱい引っ張って開けていた。旧型車両が老体に鞭打って走るのは見ていて忍びない。もういいよ、充分働いたよ・・・ご苦労様。何となく、終点まで乗り通すと、切なくなりそうだったので途中駅で下車して列車を見送った。

「ガンバレ!カシテツ」・・・地元高校生が作った横断幕や車両へのラッピング。撮影中に声をかけてくれた地元のサポーターの熱い言葉。これらを見ると鹿島鉄道がいかに地元から愛されていたかわかる。列車を貸しきった有志によるイベントも多いらしい。しかし愛情だけでは鉄道は維持できない。悲しいけれど、私にとって鹿島鉄道との出会いは別れの始まりだった・・・。

水辺を行く
日本のローカル線の原風景
鉾田で
桃浦付近で
巴川駅で
巴川駅

縦書きの時刻表が珍しい

桃浦駅


http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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