●東武熊谷線

・2015年1月10日  作成
訪れた日 2013年1月12日
2013年12月15日

広大な河川敷にポツンと橋脚がひとつだけ残されていた。周りには、他に橋を連想させる施設が無いので、何かのオブジェにしか見えない。見る人が見たら、鉄道の橋脚跡だとわかるが、廃線跡ではない。結局、この利根川を渡る橋を列車が走った事はない。所謂、未成線の跡である。

熊谷駅から利根川を渡った太田市の中島飛行機の工場への物資の輸送目的で戦前に計画された鉄道は、熊谷駅から妻沼駅まで戦争末期の1943年(昭和18年)に開通した。しかし、利根川を渡る工事は物資不足から遅れ、やがて終戦。目的を失った路線は全線開通する事は無かった。その結果、東武鉄道に、他の自社路線と接続しない非電化の路線が残ってしまった。当然、赤字続きで、1983年(昭和58年)に廃止されてしまった。

車で妻沼駅があった付近を訪れてみた。広大な空き地があり、ここが駅の跡だとわかったが、廃止後30年たっているのに、再開発もされていない・・・。熊谷線が維持できなかった理由がわかった気がした。正式名称は熊谷線であるが、地元では妻沼線と呼ばれていたらしい。熊谷市立妻沼展示館に、資料や写真、そして車両も保存されている。愛されていただけでは鉄道の維持は難しい・・・。

未成区間が開通していたら、群馬県3番目の都市、太田市と熊谷駅が接続され、利用客の多い路線になったかもしれない。その場合、東武伊勢崎線の乗客が国鉄(JR)高崎線に相当数奪われて、東武鉄道としては望ましくない状況になってしまっただろう。未成線でよかった・・・というのが東武鉄道の本音かもしれない。

終点妻沼駅があった付近。広大な空き地が、その後の再開発が進んでいない事を物語っている。
駅名にもなった、この地区は、かつては妻沼町であったが、熊谷市に吸収合併されてしまった。

妻沼展示館には熊谷線の車両が保存されており、展示コーナーには資料もあった。
保存状態はとても良く、車内にも入る事が出来る。やはり、管理されている施設で保存するというのは大事な事だと思う。雨ざらしではこうなならないだろう。
左下は橋脚の跡である。橋は架かった事はないが、橋脚だけは完成していたようだ。現在は陸に残る1脚だけが保存されている。

右下は付近の畑の中にあった怪しげな施設。鉄道とは無関係と思われるが・・・・。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)

back