●都電荒川線

・2002年8月13日  作成
・2002年11月4日  修正
訪れた日 1977年
 

王子の所でも書いたが祖父母の庭先を通る都電を見て育った私。興味の対称としては地味だったが、ヘッドライトがひとつの7000型とふたつある7500型が主力車両で、特に7500型が好きだった。しかし、圧倒的主力電車は7000型で、この電車が来るとがっかりしたものだ。超希少価値の車両で6000型というレトロな電車もあったが、滅多に見かける事はなく、幻の電車だった。この電車には乗れなかった。

突然、線路上に6000型が見られるようになった。当時は何故だかわからなかったが、今思うと、既存車両のワンマン化工事の為の車両不足に、予備車であった6000型が復帰してきたのだろう。それでも、乗れたのは一区間だけ、それもわざわざ乗っただけである。そして嫌いな7000型は車体を取り替えて新車のような形で再デビューを果たした。1978年、6000型は姿を消した。10年後、レトロ電車として復帰したが、この時はいつでも乗れると思って乗りにも、見にも行かなかった。そうこうするうち、構造上の問題点が浮かび上がり本当に姿を消してしまった。

ワンマン化工事が終了した1978年、都電に花電車が走った。2両の警備車に挟まれた5両の装飾された電車は、廃車予定車の車体を取り外し、オープンカー状態にした上で大装飾を施した花電車専用車両だった。この電車を初めて見た時は驚き以外のなにものでもなかった。テレビ朝日号ではムーミンの着ぐるみがいたり、夜の電飾が綺麗だったり、何度も沿線で見送ったものだ。周りのギャラリーも相当なものだった。

都電で思い出されるのが、夏休みの自由研究で沿線を巡ったりしたことだった。そして、今から思うと凄いと思われるのが、乗っていた7000型がエンコして起動できなくなった時、後から来た7000型に押してもらった事だった。途中で自走できるようになると、そこからロケットの2段エンジンのように走り出したのだが思い出される。連結器も無い車体だったし、車体ごと押したのだった。

6000型(飛鳥山にて)
主力だった7000型(飛鳥山にて)

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)

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