豊洲・小名木川

2010年11月3日作成
訪れた日 2004年 8月29日
2007年10月21日
2010年 5月 2日

地下鉄有楽町で豊洲駅を通る都度、2面4線構造のホームの内側に線路が敷かれていない事が気になっていた。ある日、この部分が埋められ巨大ホームが出現した。真相を確かめるべく豊洲駅を訪問すると、エスカレータ工事の為の一時的な処置だと判った。ここには半蔵門線が乗り入れてくる予定であったが、おそらく延長は無いだろう。もう少し有効的な使い方はないものだろうか。

豊洲といえば「ららぽーと」といった商業施設で有名。湾岸地帯もお洒落になっている。有楽町線も、豊洲駅での下車が多い。しかし、ここは元々、石川島播磨重工業東京第一工場(東京造船所)の跡地を再開発したものである。造船所の閉鎖は2002年3月であり、1853年に水戸藩が作った造船所が由来との事で、長らく老舗の造船所として最近では自衛隊の護衛艦も作っていた。私が訪れた時は、造船所跡は巨大商業施設に生まれ変わってしまった。

かつて、東京港の埠頭まで、専用線(東京都港湾局専用線)が伸びていたがこれらは次々廃止され、1989年(平成元年)には全廃されたらしい。しかし、比較的最近まで残っていた事もあり、廃線跡探索する人も多い。また、現役の写真も結構残っていて、造船中の巨大船と晴海橋を渡る貨物列車という写真を見た事がある。

港湾へのターミナルである越中島貨物駅から総武線に向かって貨物線が延びる。途中に小名木川貨物駅があり、陸運と水運を結びつける役割を担っていた。しかし2000年(平成12年)で廃止され巨大な跡地が出現した。訪れた頃は更地になって、様々な活用方法が模索されていた時期であった。

埠頭に向かう専用線と小名木川貨物駅は廃止されたが、越中島貨物駅および貨物線は現役である。越中島にレール工場があり、その輸送用として細々と生きている。この貨物線は総武線の「新小岩」に出て、さらに新金線を通して常磐線「金町」と繋がっている。私は「新小岩」から「越中島」に向かって歩いた。


新小岩から越中島に向かう貨物線。かつて複線だったのだろうか
巨大な小名木川貨物駅跡
現役の貨物線だが踏み切り表示が・・・
再開発前を示す写真が表示されていた
造船所のドライドックの跡地は水上バスの発着場になっている。クレーンも保存され、産業遺産を残すような作りだ
東京都港湾局専用線の廃線跡。晴海橋付近に線路跡が見る事が出来た。奥のマンション付近に造船所があった。
豊洲駅。ここに半蔵門線が乗り入れてくる予定だったが・・・

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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