●寝台特急「はやぶさ」

・2008年3月15日作成
訪れた日 1994年3月20日
1995年7月31日
2007年11月24日

「東京」駅を出発した時点で、私の乗車した車両の乗車人員は2名、時刻はまだ18時ではあるが、薄暗く、静かな車内はまるで真夜中の雰囲気。夕方の活気に溢れる車窓と比較しても対照的だった。ブルートレインと呼ばれる寝台列車の全廃が新聞記事に出た直後であったが、止むを得ないと思う次第である。食堂車も廃止され食事は持ち込むしかない。大盛況だった東京駅地下の弁当売り場(グランスタ)で仕入れた弁当を頬張る。この東京駅地下の弁当売り場は、旅客向けではなくターゲットは家庭のようだ。時代は変わったものだ。

寝台特急「はやぶさ」に乗るのは3度目だ。当時は「東京」−「西鹿児島」を結ぶ長距離列車で、定期列車としては日本最長距離運転距離を誇っていた。当時はB個室に乗ったので、一般のB寝台の様子は分らなかったが、たしか15両編成で、営業こそやめてしまったが、食堂車やロビーカーを連結しており、共有スペースも充実していて長距離乗車も苦にならなかった。しかし、給食事情は悪く、昼近くまで走るのに食料を仕入れる事もできず空腹だった。そして、B個室のメンテナンスも悪く、綺麗とは言いがたかった。この頃、既に輝きを失っていたが、現在はロビーカーも外され、サービスはさらに悪くなった。前回2回はいずれも上り列車、しかも「広島」-「東京」、「鳥栖」‐「熱海」間という中途半端な区間乗車だったが、今回、初めて全区間乗り通す機会に恵まれた。ただし、終点は「西鹿児島」ではなく「熊本」に変更され、走行距離は随分短縮されてしまった。

一般B寝台の居心地はあまり良くなく、しかも退屈である。寝るには早すぎる。名古屋を出たのが22時47分。ようやく就寝するが、進行方向に垂直に寝ると、カーブの度に遠心力が働き、頭に血がのぼったり、引いたりして寝心地はよくない。おまけに山陽区間ではカーブが多く、ゴーゴーとレイルと車輪の間に発生する不快な音も続く。それでも目をつぶり、朝を迎えると、下段寝台はほぼ全て埋まっていた。大阪で乗車したのだろうか・・・・。なんとか旅客列車の体裁が保てて少し嬉しかった。

瀬戸内海から登る朝日は眩しかった。夜行列車の醍醐味は、朝目覚めた時の車窓を眺める事にあると思う。たとえ寝不足で体調が悪くても、新幹線では味わえない旅情をかみしめ車窓を眺めた。本州の端、「下関」駅で機関車を交換、関門トンネルを抜けて九州へ入る。併結していた「富士」を切り離し単独運転で鹿児島本線を下ってゆく。この頃には、乗客の殆どは下車してしまい、列車は再び回送列車同然になる。時刻表では通過駅の「福間」駅に停車し、特急「有明」に抜かれる始末。足の遅さがブルートレインの弱点でもある。

終点「熊本」に到着するのは11時48分。すっかり昼になってしまいさすがに疲れてしまった。熊本駅で改めて単独編成となった「はやぶさ」の編成を眺めるが、僅か6両編成である。単独15両編成を擁していたの頃を思うと悲しくなる。後日、博多駅新幹線ホームで東京行き「のぞみ」を待っていると、夕闇せまる中ガシャガシャ音をたてながら博多駅に入ってくる「はやぶさ」を見た。老朽化した客車はみすぼらしく悲壮感すら感じた。「はやぶさ」は明日の昼に東京に到着するが、私の乗る「のぞみ」はその日のうちに東京に到着する。


94年には連結されていたロビーカー
東京駅から出発するブルートレインも減った
瀬戸内海から朝日が昇る
下関で機関車交換
家族連れなどに見守られて関門トンネル用の機関車に代わった
熊本駅に着いたはやぶさ
熊本駅のこの光景も近い将来見れなくなる

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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