●厳原

・2021年3月21日作成
訪れた日 2019年4月31日
 

博多から来たフェリーは壱岐郷ノ浦で乗客の大半を降ろし、ガラガラで対馬厳原に向かった。海も少し荒れて、船室でゆっくり眠る。 厳原は対馬最大の港で、国内から来る船の殆どがここに到着する。しかしながら、湾は小さく、ターミナルも驚くほど小さかった。国際航路が到着するターミナルはもっと小さく、ちょっと驚いた。

時間は15時前、観光案内で見所を聞こうと思ったが不在。不在の場合は街の案内所まで来るように書いてあったが、地図が無い。街に出ても、地図はあったが、現在位置が書かれておらず、観光地としは失格ではないだろうか。 無事に東横INに投宿したが、小さなな城下町には不釣合いな建物だった。そして、巨大なショッピングセンター(いづはらショッピングセンターティアラ)もあり、免税店のマークが・・・。そして、韓国人の団体を多く見かけた。いよいよ国境の国に来た。 免税店の近くには色々な国旗がはためくのは良いが、何故か韓国が一番左に・・・となりが日本だった。

 対馬が壱岐同様に、〇〇島と呼ばれないのは壱岐が対馬藩が治めていた国だったからである。歴代藩主の墓所を訪れたが、百雁木(ひゃくがんぎ)と言われる132段の石段は神秘的だった。そして、登りきったところの墓地にある樹齢1200年と言われる大スギは見事、ここが日本三大墓地の一つとも言われるだけの事はある。 清水城跡にも登ったが、完全な山道で、けっこう辛かった。しかし、石垣は見事に残っていて、よく、こんな山の上に城がたったものだと感心した。一ノ丸から見下ろす城下町はなかなか良かった。

豊臣秀吉が築城を命じた清水山城跡にも登ったが、完全な山道で、けっこう辛かった。しかし、石垣は見事に残っていて、よく、こんな山の上に城がたったものだと感心した。一ノ丸から見下ろす城下町はなかなか良かった。

夕食は街の居酒屋に繰り出したが、流石に連休中。日本人観光客も多く、完全にキャパオーバー。対馬のソウルフード「とんちゃん」も美味しかったが、店は大混雑で、追加オーダーもままならない状態・・・。長居できる雰囲気ではなく、早々に退散した。


14階建ての東横INも、大きなショッピングモールも明らかに街の規模には不釣り合いだが、韓国人の観光客を迎える為だとわかる。それでも、厳原は国内航路がメインの港町なので、まだ日本人観光客の姿も見る事ができた。
金石城は街からすぐ近く。朝鮮通信使を迎えるためのもので、立派な庭園もある。
万松院は対馬府中藩宗氏の菩提寺。荘厳な雰囲気であったが、墓地なので、あまり撮影しなかった。
清水山城は天正19年(1591年)豊臣秀吉の命によって築かれた。 豊臣秀吉による文禄・慶長の役で肥前名護屋から朝鮮半島への重要拠点として築かれた。

かなりの山道で、ランニングシューズでは滑りまくり、少々難儀してしまった。

山頂の一の丸跡まで上って街を見下ろす。

川沿いに繁華街が続く。裏道は細い路地が続くが、煉瓦の塀が目立つ。対馬藩は防火対策で街中に防火壁を作った名残との事。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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