●長崎湾

・2008年3月22日作成
訪れた日 2007年11月24日
 

近代的な長崎港の桟橋を出航した船は、山に囲まれた狭い湾に出た。山の斜面にはへばりつくように住宅が密集しており、家が湾に落ちてくるのでは? と心配になってしまう。これほど斜面が多ければ、住むのも大変だと思うが、住民はここを見捨てる事なく、街は賑わっている。長崎といえば造船の街としても知られており、湾内では造船中の、大きなタンカーや護衛艦などを見る事が出来る。長く続いていた造船不況や、同じ造船の街でも浦賀(神奈川県)の寂れた街を見てきた目には長崎はとても元気に見えた。

三菱重工長崎造船所では、旧日本海軍の軍艦も80隻造ったそうだ。当時の世界最大の超弩級戦艦「武蔵」も、ここの第二船台で1942年(昭和17年)に竣工した。戦艦「大和」の姉妹艦で、進水式の時は湾内に高波が起きて、付近の住宅が浸水したほどの巨大艦であった。これらの優秀な船を造った技術が、現在の船にも活かされ、造船ニッポンを支えてきた。現在でも海上自衛隊の護衛艦などを造っており、建造中のイージス艦「あしがら」とドック入りした護衛艦「あさぎり」が停泊していた。

韓国に造船建造量のトップシェアを譲り、衰退するばかりと思えた造船業であるが、最近は受注も増えてきたとの事、造船所には、高さ高さ95.5m、吊り能力1200tの巨大ゴライアスクレーンが新設され、その大きさに圧倒されてしまった。30年ぶりの新規設備投資と言われているが、これで韓国や中国に比べて元気を失っていた造船業が再び活性化してくれれば良いなぁ・・・と思う。巨大な造船所ばかりが目立つが、湾内を良く見ると町工場のような小さな造船所も多い。小さな漁船の建造や修理の為の工場だと思われるが、下町の町工場を連想させる光景だ。こちらの景気はどうなのだろうか。

長崎の湾は狭い、その中を離島を結ぶ船が狭い湾内を行き交うが、離島と本土を結ぶ道路の建造もすすんでいるので、将来の姿は変わってゆくかもしれない。景色は多少変わっても、造船の長崎であり続けて欲しい。前述のように、造船所と共に栄え、寂れてしまった浦賀のようにはなって欲しくない。


近代的な港であった
建造中のタンカーに圧倒される
イージス艦(奥)と護衛艦(手前)
戦艦武蔵を建造した第二船台
手前が国内最大のゴライアスクレーン
海ギリギリにそそり立つ住宅
小さな造船所も多い

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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