●国鉄志免炭鉱(勝田線)
|
80年代の時刻表を見ると筑豊地方は網の目のように線路が張り巡らされていた。筑豊は北海道同様、炭鉱が多く、これらの路線は石炭輸送用であった。石炭産業は斜陽化し、1977年までに、筑豊の炭鉱は全て廃鉱になった。
北海道の炭鉱跡は、廃村になったりゴーストタウン化して不気味だが、筑豊炭鉱跡は福岡近隣の市街地である。炭鉱跡など残っているとは思っていなかった。ところが、志免炭鉱の立坑が残っている事を、福岡で飲んだ時に聞いた。
志免を訪れて、まず目につくのがボタ山(掘削後の不要な石炭や土砂を積み上げた山)。草木が茂り、自然の丘に近くなっていた。時の流れを感じる。そして巨大な立坑が市街地の真ん中に現れる。この櫓は地下430メートルから石炭をくみ上げる為の設備である。それにしても高さ54mの巨大な建物には圧倒される。
志免炭鉱は、1889年(明治22年)、海軍によって開坑された(軍艦の燃料は石炭だった)。戦後、海軍が解体された後も国有のまま、国鉄の炭鉱、「日本国有鉄道志免鉱業所」として採掘を続けた。蒸気機関車の燃料である石炭を調達する為である。やがて、1964年「(昭和39年)7月、役割を終えて閉山となった。
閉山から40年もたつのに、立坑が原型を残しているのは驚きだが、保存している訳でもないらしい。周りが住宅地になってしまい、解体できないとも聞く。それにしても、近づくとその巨大さに圧倒される、同時に迫力がありすぎて怖い。北海道の立坑など、みな倒壊しているのに、何故、ここは残っているのだろうか。やはり国有というだけあって、設備も採算を度外視して立派に作ったのだろうか。付近には斜坑も残っていて、深さ500mの地底を結ぶトンネルの口が開いている。
炭鉱線の一部であった勝田線は廃鉱後、活力を失い、1985年3月31日、他の8路線のように廃止されてしまった。志免駅の跡は公園になっていた。このあたりは福岡のベットタウンで、住宅も密集している。福岡を結ぶ、勝田線は充分活性化できる要素はあったように思うが、何故、手を打たずに廃止されたのだろうか。放置された立坑といい、もう少し、どうにかならないのだろうかと思いつつ、勝田線の代替バスでこの地を去った。
綺麗に整備された志免駅跡 | |
付近は住宅地で、名残を残すものはこの駅名票ぐらいである | |
住宅地に出現するボタ山 | |
巨大な立坑 (周りの住宅と比較しても、その巨大さが判る) |
|
斜坑も埋められずに残っている(地下500メートルまで穴が開いている) |