●平和祈念公園・奥武島

・2017年8月20日作成
訪れた日 2016年1月19日
 

大東航路が荒天の為、出航しないので本島観光に切り替えた2日目、明日は出航すると連絡が来たので、今日が本島観光最後。本島南部を巡ろうと思う。日本人として訪れなければならない場所もある。今日も引き続きレンタカーの旅である。

まずは知名埼灯台を訪れて、海岸沿いを時計まわりに巡った。知念岬公園を経て、気持良いドライブが続く。そしてやってきたのが小さな橋で繋がった離島、奥武島。実は観光するつもりが無かったので、知識があまりなかったのだが、天ぷらで有名だとか、島の入り口の土産物屋ではなく、奥の店を訪れる。営業は11時からという事で、しばらく時間を潰してから開店時刻に合わせて店にやってきたが、すでに順番待ち状態。2本で60円って、あまりの激安に驚き・・・。そして美味しい。開店時間にあわせて野良猫が集まり、購入した私の足元にやってきたが、無視。多くの観光客に餌付けされているのだろう。

次は慶座絶壁へ、観光客も訪れないような場所にありるが、ここは激戦地だったところ、悲しい歴史がある場所だったようだ。そして、平和祈念公園にやってきた。多くの民間人が追い詰められて飛び降りた「摩文仁の丘」へやってきた。売店のおばさんに薦められて、お花を購入して献花した。そして、各県の慰霊塔が多くある中を歩いているとアメリカ人に声をかけられた。かつて、日本と戦った事があったと言っていたが、英語が苦手な事もあるが、コメントができなかった。なぜ、慰霊塔がこれほど沢山あるのか不思議だそうだが、これについても明確な答えを伝えられなかった。

ひめゆりの塔も訪れた。沖縄戦の悲しい歴史は民間人が多く巻き込まれた事であるが、日本に併合されなければこんな事にもならなかった筈である。ひめゆりの塔付近では、駐車場に面して土産物屋があり、まるで観光地のようだった。隣接する、ひめゆり平和祈念資料館を訪れたが、展示の中には悲劇を伝えるだけではなく、現政権の批判を行う展示物もあった。事実を事実として淡々と説明するだけで良かったのではと思う。


知名埼灯台、1954年(昭和29年)に完成し、海上保安庁が1972年(昭和47年)に米国から引継ぎ管理

1996年(平成8年)に現在の場所に建て替えされた。赤瓦とシーサを持つ独特の形状である。
奥武島は人口約950人、150mの橋でつながった離れ島。漁業の島として栄え、沖縄天ぷらが名物。観光客のみならず、地元の人々にも人気らしい。

多くの拝所があり、信仰の場としても知られている。

訪れた天ぷら屋は「大城てんぷら店」。ゴーヤ以外にも「もずく」の天ぷらや、魚もあった。各60円である(ゴーヤは2本で60円)。
慶座絶壁/ギーザバンタ。ゴルフ場の裏にある。ここでも、戦争末期に悲劇があったと言われている。
平和記念公園の慰霊塔。色々な慰霊塔があるが、ここで悲劇があった事はなかなか想像できない。広大な敷地に多くの慰霊塔と祈念資料館がある。


http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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