●釣島

・2006年10月1日  作成
訪れた日 2006年5月8〜9日
 

期待と、相反する憂鬱な気持ちを抱えて高浜桟橋で、地元客とともにフェリーを待った。目指すは釣島。船は1日1往復、夕方着いて朝戻る事になる。最低でも1泊は必要だが、島には宿泊施設は皆無との事である。野宿をしてまでもして行きたい釣島・・・・。そこには明治初期から灯火を点し続けている釣島灯台以外には何もないと思われるのだが・・・。

小さなフェリーは鏡のように穏やかな瀬戸内海を進んだ。野宿という事で雨が降る可能性があれば中止するつもりだったが、好天が続くとの予報。高浜港を出て30分弱、興居島の陰に隠れるような小さな島に着く。数人の島民がネコ(1輪台車)に荷物を受け取っていた。意外と若い主婦も多かったようだ。船は忽那諸島の次の島を目指してすぐに出航していった。釣島で降りた人は少ない。

まだ日没まで時間があったので、ただちに山頂に向かう。瀬戸内海らしく、果樹園が山頂まで続く山道を登ると、1875(明治8)年にイギリス人技師によって造られたレトロな釣島灯台がドッシリ瀬戸内海を睨んでいた。夕日の海に浮かぶ小島を眺めながらビールを飲んで日没を待った。ひっきりなしに通る船とは相反して島はとても長閑に時間が流れていた。そして日没・・・。釣島灯台に灯火が入った。いつも感じるのだが、音もなく、静かに点灯する灯台は少々不気味である。

灯台の下で野宿する事も考えたが、やはり不気味なので集落へ降りて、桟橋で野宿する事にした。軒下での野宿を覚悟していたが、桟橋待合室の桟敷が開放されていて(毛布まで備えてあった。)ありがたく利用する。まるでライダーハウスのような感じだが、夜釣の客が数人利用しているに過ぎなかった。釣をしない私は飲んで寝る事にした。この島も猫が多く、大事な夕食の一部を強奪されてしまったのが悔しい。

朝が来て、釣り人と話をする。約20戸の釣島は小学校は有るが中学校は無い。船は欠航が多く、島に取り残される事も多い・・・等々。島の人から、「釣れた?」と聞かれるが、こういう所は釣をしない方が不思議がられる。灯台を見るだけだったら、船をチャーターすれば良かったのにとも言われた。島民も釣り客も皆、顔見知りらしく世間話をしながら船を待った。霧が発生しても欠航するという船だが、ありがたく着岸して、なんとか脱出する事ができた。

※2006年9月より、釣島を経由する船は2往復になり、日帰りが可能になった。

港付近の集落
果樹園畑の上に灯台がある
屋根の風見鶏が可愛い歴史ある灯台

1875(明治8)年製

 

美しい日没だった
瀬戸内海を走る船の灯火も綺麗だった
灯台と共に造られた旧官舎

(明治以来の旧官舎が原型を残しているのは釣島灯台だけとの事)

灯台から集落を見下ろす。これが釣島の民家の全て


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