●花輪線

・2003年4月1日作成
訪れた日 1983年8月10日
2003年3月12日

1983年に初めて乗った花輪線。あの時は夏の夕方だった。半室郵便荷物車のキハユニとかいう形式の車両が珍しかった事と、夕方の山並みが美しかった事、開け放たれた窓から吹き込む涼風と掠れたアナウンス用のオルゴールが印象に残っていた。それから乗る機会はなく、どちらかといえば地味なローカル線という印象を持っていた。

JR東日本のローカル線は味も素っ気もない機能本位の軽快気動車がメインになってしまい、花輪線や山田線の古いディーゼルカーが希少価値珍しくなってきた。JR東日本パスで旅行中、盛岡から津軽鉄道に乗るために日本海側を目指すために花輪線を選んだ。新幹線と特急「つがる」という手もあったが、古いディーゼルカーに乗ってみたくなったのだ。

大雪の3月12日「盛岡」。第三セクターの「いわて銀河鉄道」のホームから6時59分に出発したディーゼルカーは元急行型の2両編成。エンジンを2基載せた強力型だが、クーラも無い老朽車両だった。デッキからガラガラとドアを開けて車内に入り、ボックスシートの座席に腰を降ろす。昔の列車はみんなこんな感じだった。客も疎らな状態でかつての東北本線を快走して「好摩」から花輪線に入る。花輪線の乗客は、「好摩」−「盛岡間」がJRの経営から離れたので追加料金が必要になったこの現状をどう思っているのだろうか。

「好摩」から山道に足を踏み入れる。走るにつれ雪は深くなり、山も深くなる。木々に雪が積もり、樹氷のようだ。小さな河川と樹氷の組み合わせは、まるで山水画を見ているようだ。走行音もかき消され、列車に乗っている事を忘れてしまいそうだ。そんな非日常的な景色の中、飛び出した「安比高原」はまるでスキー場に到着したかのようだった。リゾートっぽい雰囲気の駅名が続く花輪線だが、駅の造りや乗客の雰囲気は、地元に根付いた古き良き時代のローカル線然としている。走っている車両も国鉄の急行型や、希少価値のある昭和30年代のディーゼルカーばかりだ。

「八幡平」を出て、「鹿角花輪」に着く。ここが鹿角市の中心だが、こんな山深い奥地に街があるのが驚きだ。ここから乗客は増え、静寂が打ち消され、花輪線の中心駅の十和田南着。ここから進行方向が変わり今まで小さな小川だった車窓の川も幅が広くなる。大館の小さな盆地に入ってゆく。車窓がつまらなくなってきた頃、終点「大館」に到着。3時間1分の乗り応えのある旅だった。

雪景色の列車交換
雪が全てを消して覆ってしまっていた
八幡平駅は渋い感じの駅だった
旧国鉄色のディーゼルカーも目立つ
車窓からの景色はまるで水墨画
構内の踏み切りも珍しくなってきた(十和田南駅)

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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