石打駅

2016年2月6日作成
訪れた日 2014年9月28日
2015年1月18日

特急「 はくたか」の撮影は、ほくほく線で行う事が多かったが、稲穂の中を行く風景は上越線の方が絵になっているだろう。9月、初めて石打駅を訪れた。駅前には土産物屋が並んでいるが営業しておらず、大きな駅も人気が無く遺構と見間違えそうだった。駅付近も大きな駐車場が目立つが、車の姿は無かった。ここで昼食が摂れそうな場所を探したかった、無理であった。ここはスキー場で有名、冬になると土産物屋も再開し、駐車場には車が並び、駅も賑わう・・・・そう思っていたが、冬に訪れてもまったく同じ状況だった。駐車場に至っては、雪に埋もれて辿りつく事も不可能だった。

かつて、上越国境を越える列車は、この水上駅と石打駅で補機(補助機関車)を増解結していた。やがて列車本数も激減して、機関車の性能も向上して補機を必要としなくなった。この補機の運用がいつまで行われていたのかは定かではないが、1980年代には廃止されたと思われる。石打駅の鉄道の要所としての価値は大きく下がった。

旅客駅としても石打駅はかつてはスキー客で賑わっていた。この駅を起終点とした急行「ゆけむり」、特急「新雪」があり、特急「とき」も臨時停車していた。スキーブームの衰退と、ガーラ湯沢への集約で寂しい状態に・・・。普通列車でも通過列車がある有様である(ほくほく線に直通する列車はこの駅を通過する)。訪れてみて、ここまで廃れたのかと驚いた。

駅に佇むと、側線郡の中に巨大な屋根付の車庫が見えた。かつて補機が待機していた頃の名残かと思ったが、実は「はくたか」号の車庫との事である。この車庫、臨時列車でも重宝されており、大宮駅からやって来る、臨時快速「シーハイル上越」もこの駅の車庫で夕方の折り返し時間まで待機している。十日町ゆきまつりに合わせて運転される臨時列車もこの車庫を使っている。今でも鉄道の要所として機能しているのが嬉しい。しかし。「はくたか」が無くなったらどうなるのだろうか・・・。


立派な駅だが、乗客は誰もいなかった。有人駅であるのがせめてもの救いか・・・。

駅舎寄りのホームは線路が剥がされており、閉鎖されていた。

駅前にはかつて賑わっていた名残が・・・。建物の状況から、賑わっていたのはそれほど大昔ではないように推察される。
駅舎と反対側に立派な車庫がある。ここには9両編成の「はくたか」が2編成格納できるそうだ。越後湯沢行きの最終の「はくたか」は、石打駅まで回送され、この車庫で過ごし、翌朝の始発に備える。豪雪地帯らしい設備である。

付近は水田が多く、段々畑が美しい。水鏡の状態の際に撮影しておくべきだった・・・。
冬は、背丈よりも高い雪に阻まれて、駅以外では撮影できなかった。どちらかといえば「乗り鉄」なのでこれで充分。臨時快速に乗って、かつての特急「とき」に思いを馳せようと考えたが、所詮185系・・・。停車駅も多く、やはり快速列車だった。
水上の道の駅で無残な姿を晒していたFE16。


水上駅と石打駅の間で活躍した補機である。

こんな状態で保存しているのであれば、撤去した方が・・・と思う。そして、「機関車のあらまし」はあるが、この機関車が水上にとってどういう意味があるのかは説明されていなかった。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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