急行「きたぐに」

2013年12月9日作成
訪れた日 2012年8月12日
          

京都駅を発車し、鉄道唱歌の電子音が流れて停車駅の案内が始まった。「放送によるご案内は、長岡着前の午前5時50分まで休ませていただきます」と前置きして、途中の停車駅の到着予定時刻の案内が始まった。座席利用の乗客もいる為、深夜から未明にかけても停車駅は少なくない。

急行「きたぐに」は「大阪」と「新潟」を結ぶ夜行急行である。かつては「青森」まで走っており特急「日本海」の急行版であった。客車時代から寝台電車に置き換わったのは1985年(昭和60年)。それ以来編成の減少はあったが、夜行列車廃止の波もさることながら、40年間走り続けてきた車両の老朽化も問題になっていた。遠くない将来廃止になる事は充分に予想する事が出来た。

昼夜兼用の583系に乗るのは久しぶりであった。昼間は座席車、夜は寝台車というのが本来の姿である。また、固定ボックスシートの座席はあまり居住性が良くなく、座席車は同性能の485系にすれば良いのに・・・と思ってきたが、そのような組み合わせは臨時列車で稀に見られただけだった。

狭い三段寝台の上段に身を置いて、小さな窓から外を眺める。大昔に乗車した「ゆうづる」での乗車体験が脳裏をよぎったが、こんなに狭かったかと驚くばかり。やはり時代遅れである事は否めない。それでも横になれば快適に眠りに落ちて、気がつけば夜明けの海沿いを快走していた。電子音の後に放送が流れた。

「皆様おはようございます。8月13日月曜日、ただ今の時刻は5時50分になります・・・・」このような目覚め方も旅情だと思う。乗客の減少を理由に廃止と言われていたが、この日は満席だったし、部活の遠征だろうか、学生の団体利用も目立っていた。本当に無くしたいのは他に理由があるように思えた。この年の年末年始輸送を最後に「きたぐに」は運転されていない。


たとえLEDの案内になろうと、遠くの行き先を見ると旅に出たくなる。大阪で見る新潟行きは、この臨時「きたぐに」だけになってしまった。 サンライズの東京行きもいつまで見られるのだろうか・・・
583系は国鉄時代の塗装が一番好きである。しかし、たとえJR西日本版の塗装でも現代の車両にない重厚感は風格を充分に感じさせてくれる。
通路の両側に寝台が並ぶタイプは、寝る以外に身の置き場がない。
目覚めると日本海の沿岸を快走していた。日本海沿いを北上する夜行列車に乗ったのは、1986年の座席臨時急行「あおもり」以来である。昔は夜行列車に乗ると興奮して眠れなかったが、最近はすぐに眠りにおちるようになった。歳のせいだろうか・・・。
下段寝台、中段寝台、上段寝台。この中でもパンタグラフ下の中段寝台は広くてお買い得らしい。初めてこの寝台車に乗った時にこの席があたったが、最上段に憧れて断った事を覚えている。
終点新潟着6時54分。目が覚めてからが長く、少し辛かったがそれでも座席車よりも快適であった。 すぐにホームを離れるのが名残惜しく、暫く列車を眺めていた。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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