●三陸鉄道くろしお号

・2006年4月2日作成
訪れた日 2006年2月19日
 

横浜博会場の「日本丸」駅から「山下公園」まで、2両編成のレトロ仕様のディーゼルカーに乗った。休止していた貨物線を復活させ会場輸送にあたっていた。山下公園を高架橋で横切り、赤レンガ倉庫の横を走り、鉄道黎明期にアメリカで製作された鉄橋を渡って・・・1989年夏の事だった。この区間で旅客営業が行われたのは1989年3月25日〜10月1日まで。横浜博終了後は山下公園の高架橋は撤去され(暫く放置されていたが・・・)、一部は「汽車道」と言う名の歩道に生まれ変わった。その時乗車したレトロ気動車が三陸鉄道に移り、そしてこの冬、廃車される事になった。

カメラも持っていなかった事もあり、横浜博の記憶は曖昧だが、JRが展示していた豪華列車「夢空間」と、このレトロ列車に乗ったのはかすかに記憶に残っている。列車に乗ったのはもう日も暮れていたが、車内は白熱灯のオレンジ色の柔らかい光に満ち、真鍮を思わせる金属が輝いていた。外観もレトロで、昔の都電のように大きな電球が、「おへそ」のように車体中央にひとつデンと設置されていた。とても気に入っていた。

本当に大昔を思わせるレトロ車両だが、この博覧会のために新造された新車だった。半年の運転が終わった後、2編成4両全てが三陸鉄道に移り、「おやしお号」「くろしお号」としてイベント車両として活躍していた。乗りたい! そう思っているうちに2004年6月に「おやしお号」が引退、「くろしお号」も引退が伝えられてきた。

「盛」からの定期列車に組み込まれた「くろしお号」、設備の都合上、車掌さんが乗車し、チラシやグッズを配っている。しかし鉄道ファンはそれほど多くなく、ゆっくりと旅が楽しめた。改めて感じるよく出来た豪華な造り・・・。引退理由はチラシに色々書かれていたが、三陸鉄道も苦しい経営が続いている。汎用性の無い特殊な車両を維持するのは大変なのだろう。代わりに登場したレトロ車両は汎用性の高いものとなっている。

名残惜しかったけれど終点「釜石」に到着。改めて思うのは横浜博の臨港線跡、観光鉄道として残しても良かったのでは・・・。そして、当時の写真を撮っておくべきであったと・・・。若かった頃の思い出の車両がまたひとつ消えてゆく。

横浜博の乗車券
今日は通常ダイヤで運行
中央運転台は珍しい
車内
終点釜石で
ヘッドライトを点けてもらった

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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