山田線代行バス

2014年1月11日作成
訪れた日 2012年10月6日
          

「釜石方面は繋がっていないと思いますよ」山田線の車内で車掌さんに言われた。宮古駅と釜石駅間は津波の被災が大きかった区間で開通の目処もたっていない。時刻表には載っていないが、長期間の運休区間なので当然代替手段はあるのかと思っていた。念のため、宮古駅前の観光案内に行くとすぐにメモが出てきた。沿線のバスを乗り継げば釜石駅まで行けるらしい。ただし、JRの代替バスではないし、山田線の車掌に聞いて判らなかったのも仕方ない。

同じように被害の大きかった大船渡線は、鉄道としての復旧を一時保留して、鉄道の路盤を専用道路化して、バスによる輸送で復旧を果たした。しかし山田線の沿線は鉄道による復旧にこだわっており、未だに復旧工事すら行われていない。この事を批判する立場にはないが、何かしらの方針が決まらない事には沿線の復興にも影響するのではないだろうか?

バスは超満員で、辛うじて通路側の席に座る事が出来た。想像はしていたが、沿岸に出てからの景色を眺めた時に、胸がしめつけられる思いを感ぜずにはいられなかった。震災から2年、流石に瓦礫は撤去されたが、海沿いの平地は、建物は基礎を残して夏草に覆われている。残ったコンクリート製の建物も、低層階は骨組みを露出し、津波の威力の激しさを物語っていた。通常、住宅地は平地に集中しているが、山側には建物が残り、平地に建物が無い景色が続く。そのような所でも乗降はあり、ここに降り立った人々の人生に計り知れない悲劇があったのかと思うと、旅人としてこのバスに乗っている事が悪いような気がしてきた。

いつしかバスの乗客も殆どいなくなり、貸切状態になってしまった。「道の駅やまだ」で次のバスに乗り継ぐ筈なのだが、次のバスの発車時間も過ぎてしまった。どうしようかと不安になってきた。乗り継ぐ乗客が多ければ安心なのだが、もしかしたら、降りるバス停を通り過ぎたのではと思ってしまった。

幸い、バスは待っていてくれたが、乗り換えたのは私だけだったようだ。この区間を行く他の人のブログを読み限り、このバスは相手の遅れを待ってくれないようだ。そのような不便もあるので、早めに鉄道に代わる何かしらの代替手段を決めるべきなのでは・・・と思うが、乗り継ぐ人がいないというのもショッキングで、要するに需要そのものが無いのであろう。ちなみに、このバスを乗り継ぐ方法は公式の鉄道代替バスのルートではない。

「釜石」までの道のりも、同じような景色が続くが瓦礫の山もまだ残っていた。山田線は海沿いは道床も流され、鉄道があった跡すらわからないが、山岳区間は無傷で残っていて、今にも列車が走って来るような気がした。バスはやがて、釜石駅付近に到着する。三陸鉄道南リアス線は未だに不通であるが、駅舎はカフェとして営業していて、中にはジオラマが展示されていた。南リアス線の復旧は2014年(平成26年)4月の予定である。


三陸鉄道北リアス線は「小本」までの運転。但しバスに乗りついて「久慈」まで行く事は出来る。代行バスではないと断られているが、時刻表にも載せてあるし、実質代行バスとして機能している。
撮影だけだと駅員に伝えたら気持ちよくホームに入る事を認めてくれた。多少なりもと復興に協力できればと、色々なグッズを売店で購入した。
道の駅「やまだ」で岩手県北バスを降りる。「宮古」では満員であったが、ここまで来ると乗客はいなくなった。
岩手県交通で「釜石」を目指す。こちらは終始空いていた。
列車の来ない駅舎は悲しいが、復活が決まっているのが救いである。
ジオラマに夢を感じる事が出来る。2014年4月の復活が待ち遠しい・・・。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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