また転勤しました。 そのためにしばらく書くのが空いていました。
1月終わり、月報会のあと、うちの上司(室長)とその上の上司(所長)とが、ちょっと良いかなと言って、応接室に私を連れて行きました。 前回の転勤の経験があるので、すぐに転勤を言い渡されると直感しました。 どこに行かされるのか、四日市か鹿島だろうなとは思うけど、できれば鹿島は行きたくないなとか考えながら話が始まると、黒崎(北九州)にと言われます。 元々、私がやっている種類の仕事が黒崎では減ってきて、水島(倉敷)に転勤したのに何でですか?と聞くと、元いた所ではなく、RC推進部というところだと言います。
RC推進部というのは聞きなれない言葉かと思います。 RCとはレスポンシブルケアの略です。 以前はは環境安全部という名称でした。 「安全」や「環境」とかいったことを担当するところです。 なぜ、環境とか安全というのがキーワードになるかというと、私が勤めているのは化学製品を製造する工場です。 なんで、生産は安全に行わないと従業員が危ないですし、仮に火災とか爆発、あるいは、有害物質が漏洩すると近隣の住民の皆さんに多大な迷惑をかけることとなります。 それで、安全と環境、それに保安というのも含めて専門に扱う部署が多くの製造業ではあります。
この部署はもちろん生産に関連するところなので、製造現場出身の人が集まってきています。 そんな中、私はずっと技術系ではありますが、デスクワークばかりで現場のことをほとんど何もしりません。 確かに化学プロセスの全体の話であれば専門でしたが、実際にそれを動かして物を作るというところには直接は関係していませんでした。 だから、私は上司に対して、製造経験も無い私が行ってできるんですか?と聞きましたが、製造出身である必要は無いだろうし、1年近くパイロットプラント(2008.04.10参照)にいるのだから、なんとかなるという話でした。 どうしても嫌なら断っても良いんだけどとは言われたものの、断る理由も無いので、そのまま受けることとしました。 ただ、自分の部屋に帰ってからは、きちんと仕事ができるんだろうかと非常に不安で、その日の夜は寝られませんでした。
翌日から人事がオープンになるまでの間、1ヶ月くらいありました。 上司からは、後任に仕事を引き継げるように準備をしておけ、と言われるものの、通常の業務もある中で、人に引き継ぐための資料を作っているのを見られるわけにいかず、なかなかできませんでした。
2月下旬に人事がオープンになったので、後任に引き継ごうとしましたが、その後任がすぐに決まりません。 私の仕事はおおよそ4分の1をあるソフトウェアの全社の窓口や教育担当(海外出張に行ける理由でした)、3分の2をパイロットプラント、残りを事業所で起こるトラブル対応、という感じでした。 事業所で起こるトラブルはいざとなれば誰でもすぐに対応できる(はず)なのでどうでもよかったのですが、窓口業務も私が一人でやっていたのを2人に分散させるということになりました。それも3月くらいからようやく引継ぎができました。
もう一方のパイロットプラントの方ですが、3月中旬くらいまで教えてもらえませんでした。 教えてもらえないということは、水島にいる人でなく、どこかの部署から異動してくる人というのは容易に想像できるのですが、それが誰かは公表される直前までわかりませんでした。 結局は横浜にいた同期が水島に来て引き継ぐということになったのですが、その本人も横浜で自分の仕事の引継ぎをしなくてはならないため、私との引継ぎに使えた時間も1週間程度しかありませんでした。 結局、4月にこちらに来てからも時々電話やメールで引継ぎが続いています。
今回の転勤では、送別会がすごくたくさんありました。 黒崎を離れるときは、人事異動情報が事業所に事前に出なかったこともあり、離任の挨拶に回ったときに初めて知ったという人もおおかったので、会社では自分の部署ともう一箇所に、あとはボウリング仲間がしてくれただけでしたが、今回は1ヶ月ちょっと前に人事が事業所全体に出たので、部署や趣味の仲間など10回以上してもらえました。 非常にありがたいことです。
新しい部署にきて約2ヶ月ですが、思いっきり仕事の内容が変わりました。 従来はシミュレーションばかりで技術計算が主体でしたが、今回は事務系と思われるくらいです。 私自身、技術計算は面白いとは思いますし、今までの技能を全然使わないのももったいないとは思いますが、新しい仕事はまた別な面白さがありそうです。 とりあえずはがんばっていきたいと思います。
このPageについて質問や意見,要望がありましたらyashiki@msf.biglobe.ne.jpへ。