10月26日出発、11月3日帰国という日程でアメリカ出張でした。 いつもどおり、駄文を書きます。
先週末よりどたばたしていたので、海外出張を翌日に控えているというのになにもできてなかったので休暇を取った。準備をしていたところ、辞書を会社に忘れたことに気づき、取りに行く。 一度、会社に行くと往復で3時間ほどのロスになるがしょうがない。 そのほかにスラックスと地球の歩き方を買いに行き、とりあえず、準備は済ませた。
と思っていたら、名刺も名刺入れに補充忘れたため、手持ちの18枚しかない。 でも、もう一度会社に行く気にはなれなかった。 やっぱりどこか抜けているなー。
朝、7:25の便で成田に向かう。 過去2回は、いずれも関空経由だったので、成田空港に行くのは初めてだ。 ここまではノートラブル。
成田到着後、出入国カードを探すが見つからない。 カウンターで聞くと「廃止されました」とのこと。 やはり、地球の歩き方を古本屋で買ったため、その辺の情報が欠落しているのだ。
出国手続きの前の手荷物検査場には人があふれかえっていた。 まるで盆正月の状態である。 日本はまだまだ不況とはいえないなと思う。 15分くらいは並んで、ようやく、検査が終わり、出国手続きもなにごともなく済んだ。 時間があるので、ガムとチョコレートを買った。
前の2回はいずれもUAを利用したのだが(関空からSFO行きがあるので)、今回はJALを使った。理由は単にJALカードでマイルをためているというだけである。 本当なら、ANAでワシントンDCに直行すればよいのだが、無料航空券をもらうため、乗り継ぎを選んだ。
今回は非常口座席を取ってもらった。 やはり、トイレが近いことと、足を伸ばせるのが良い。 ただし、通路側だったので、非常口のでっぱりが邪魔になり、自由に足を伸ばせるわけではなかったが、隣の人に断らずにトイレにいけるのは非常に大きなメリットである。 帰りの便でも依頼しておこう。
シカゴオヘア空港に予定通り着き、入国手続きを行った。 並んだところが運悪く、まじめな入国審査官だったようで、二人ほど書類の不備か何かで追い返されていた。 私も、ビザ免除の申請用紙と関税手続きの用紙に記入ミスが3ヶ所あって、二重線で訂正したのと、さらに、ビザ免除の用紙の下側のミシン目の部分がすでに切り離されていた状態だったため追い返されると思ったが、特に問題は無く、何日間、何をしに行くのかということを聞かれただけで済んだ。 自分では、まず、Helloと声をかけたのが良かったのではないかと考える。 というのも、前のほうにいた女性二人は、どちらも挨拶をしなかったためか、かなり根掘り葉掘り聞かれていたからである。 もしかしたら、単に、男にはあまり聞きたいことは無いだけかもしれない。
その後、税関の審査を受けるために荷物を取りに行くが、ターンテーブルに自分のバッグがなかなか出てこない。 最後の方に出てきた。 税関審査は何も無く、単に、入国審査のところで見せた用紙を渡すだけだった。 今までの出張でもそうだったが、預けた荷物が本人のものであるかのチェックをアメリカでしているのを見たことがない。 誰のを持っていっても通れてしまう気がする。ちょっと不思議だ。
荷物を持って乗り継ぎの手続きのためにカウンターで並んでいると、係官が来てチケットを見せろという。 おとなしく見せると、あと一時間しかないからここで手続きをしないで、直接、搭乗口に行って、そこで座席指定を受けろといわれる。 預ける荷物には福岡の時点でワシントンDCまでのあて先が書いてあるので、単純に係員に渡してから搭乗口に向かった。
搭乗口に着いて座席指定を受ける。 出発までの時間はあと40分ほど。 エコノミーのグループが呼ばれて、搭乗待ちで並んでいると、全員ではないが何人か手荷物検査を受ける。 私も呼ばれ、かばんを開けられ、金属探知機で体をチェックされた。 探知機はピーピーなっているし、かばんもただファスナーを開けるだけと、意味があるのか無いのかわからないチェックを一通りした後、OKが出る。
乗り込むと、すぐに、アナウンスがあって、トイレが故障中で一つしか使えないということであった。 さすがアメリカとか感心しながら、トイレに行かなくても大丈夫だよな、とか心配してしまう。 機内サービスで飲み物が配られたが、トイレのことを考えて飲むペースを調整してしまった。 あまりに早く飲みきるとトイレが近くなるからである。 幸い、ワシントンナショナル空港に着くまでトイレに行かずに済んだ。
空港に着いたので、銀行の窓口を探す。 というのは、現金は前回の残り8ドルちょっとだけしか持ってきていないからだ。 日本で、現金でドルを調達両替するよりも、前のあまったトラベラーズチェックを現地で現金に買えるほうが手数料の面で得だからである。 前回の出張の際は、サンフランシスコ空港の国際線到着ロビーに窓口があったので、今回は現金をわざわざ準備しなかったのだ。 しかし、悲しいことにナショナル空港には銀行の窓口がないらしい。 これでは、タクシーで行くのは不可能である。 ATMだけはあったので、キャッシングしようかと考えたが、泊まるホテルは地下鉄駅からすぐであるので、地下鉄に乗ってみることにした。
地下鉄はどんなに遠いところでも4ドルもかからないのが良い。 料金表を見てみると、目的の駅まではたったの$1.10であった。 乗換えを含めて乗っている時間は30分近くあるにもかかわらずである。 アメリカは公共交通機関が日本に比べると異常なくらい安い。 確かに地下鉄も内壁がコンクリートうちっぱなしみたいな感じで、いかにも金をかけていないようだし、照明も日本とは違って少なくて、ちょっと薄暗い。 駅員も改札口のところに一人しかいないし、ホームの真ん中付近に上下線それぞれ一箇所だけ次の電車の情報表示用の電光掲示板があるだけだ。 そういったことで、いろいろな面で経費に差が出るのだろう。 駅自体は薄暗かったが、地下鉄車内は明るく、また、乗客もみな静かな感じなので怖いという印象はほとんどない。 アメリカの地下鉄としては、割と安心して乗れるのではないだろうか?
地下鉄を降りてから、宿泊先のホテルを探す。 駅にある周辺の地図には、そのホテルの名前が出ていない。 もしかして違う駅に降りてしまったのだろうかと不安になる。 とりあえず、ホテルっぽい建物が目の前に見えるので、少し歩いてみると、まさにそれがそうだった。 ようやく、ホテルにチェックインしたのが、現地時間で14:00少し過ぎ。 部屋で少しの間、ぼーっとしていたが、前回の出張のことを思い出し、少し観光に向かう。 前回の出張では、太陽の光を浴びなかったのが原因だと思うが、一週間以上も時差ぼけが取れなかった。 そこで、今回は快晴のもと、陽の光を浴びて時差ぼけを治そうという魂胆である。
とりあえず、すでに15:00過ぎなので、そう遠くまで行くことはできない。 首都ワシントンに来たのだから、まず見ておくべきはホワイトハウスだろうということで向かう。 地下鉄を乗り継ぎ、近くの駅まで行く。 何を考えたのか、というか何も考えてなくて、ガイドを忘れてしまった。 どちらに行けばよいかわからないのだが、適当に目指すとなにやらそれらしい建物が見える(実は隣の建物だった)。 と同時に、異様に多いパトカーの集団。 やはりテロ後はホワイトハウス周辺は警備が厳しいんだろうなとか考えていると、実は、イラクとの戦争反対のデモが行われていた。 おそらく数千人規模だろうか? 非常に多くの人たちがホワイトハウス周辺を練り歩いている。 おかげでホワイトハウス側にわたりにくい。
なんとか道路を渡り、そちらに向かっていくと、入口らしいところでチケットをみんな手渡している。 そういえば、整理券が必要なんだと思いながら、周りを良く見ると、チケットを手にした人たちが駆け足できている。 時計を見ると、すでに15:50である。 もしかして、16:00までかと思い、あわててチケットを配るところを探す。 幸いにも、チケットを持った人をたどっていってすぐに見つかった。 one ticket pleaseと言うと、I don't know you can enter, in two minutes it closes.とか言われ、あわてて走る。 ぎりぎり間に合って中に入ると、そこではセキュリティチェックが行われていた。 観光のために電子辞書をポケットに入れていたので差し出すと、空港にあるタイプのX線透視装置でチェックしようとしていた。 だが、ものめずらしいのか、蓋を開けてチェックしている。 幸い何も言われず、金属探知機も通過し、ホワイトハウスの目の前まで来る。 2階のバルコニーでは吹奏楽団のような人たちが演奏をしている。 日本の首相官邸じゃこんなサービスどころか、近くにもよれないだろうなとか考える。 庭はよく手入れされており、少し手前側には小さいが池があり、つい、ここが18番ホールでホワイトハウスがクラブハウスであるゴルフ場なんかだと、かなり気持ち良いだろうなとか思ってしまった。
その後、地下鉄に戻ろうとするが、まだ、デモは続いており、デモ隊と一緒に歩いていく。 しかし、ホワイトハウスの観光ルートどおりに歩いていたら、来たときと反対側に出てしまったので、いまいち地理関係がわかりにくい。 方角だけはわかるのだが、街のどこにも地下鉄へ行く道を示すようなものはない。 とりあえず、太陽の方向からあたりをつけていくと、ようやく地下鉄の入口を見つけることができた。
ホテルに戻って何か食べたいなと思ったが、一人で食事するのもなんだなーと思い、同僚の到着がいつだったか調べると、アトランタを17時台の飛行機ということだったので、まだ当分つかないだろうから売店で何か売ってないか探しに行く。 ちょうどサンドイッチとかがあったので、飲み物と合わせて買い、その後、同僚へメッセージを宛てるためにフロントに行く。 日本人の名前はスペルを言っても間違えるようだ。 私の発音が悪いだけかもしれない。
部屋に戻ってサンドイッチを食べ終えると、急に睡魔に襲われてしまいベッドで横になる。 電話の音で目が覚めると、同僚が到着したということであった。 ごはんはどうしようかという話をしたのだが、あいにく、すでに9時を過ぎてしまっていて、ホテルのレストランはもう少しで閉まるところである。 どうせなら部屋でルームサービスを取って、みんなで分けようという話になったが、ルームサービスを頼もうにも留守電になっていた。 しょうがないので、ロビー横の喫茶テーブルのようなところに行って食べることとした。 実はルームサービスとほぼ同じものが食べれるということが判明。 適当に食べて部屋に戻って寝る。
10/27(日) 今日は朝から早めに起きて、できるだけ観光をしようと思っていた。 しかし起きたのは10:30。 しまったと思ったが、もしやと思って調べると、昨日でサマータイムは終わっていたので、まだ9:30であった。 一時間だけ夜が長かった勘定である。 シャワーを浴び、すぐに外に出る。
地下鉄では一日乗車券を買った。 $5.00である。 一回$1.10という区間が多いので、5回乗れば元が取れることになる。 一応、予定では3箇所か4箇所廻ることにしているのと、もし、5回乗らなくても、乗車券は記念に残るからいいやと思い、買ったのだ。
まず最初は、航空宇宙博物館に行く。 近くの地下鉄の駅で降り、適当に歩いているとそれらしい建物があった。 しかし、看板とかなどがまったく無いし、入口と思われるドアには、Security Checkとだけ書いてある。 今日はガイドを持ってきたので地図を確認すると確かにそれだと思うのだが、あたりには誰もいないので、反対側にまわってみることにした。 反対側に出ると、なにやらマラソンをやっているらしい。 多分、市民マラソンなのだろう。走っているというか歩いている人がかなり多い。 ちょうど給水ポイントであり、おそらくU.S.ARMYと思われる人たちが、飲み物を渡していた。 そこには19mileと書いてある。 多分、フルマラソンなのだろう。 しかし、参加者がかなり多いのにはびっくりした。
歩道には家族連れなどが結構歩いていた。 その流れに乗っていると先ほど見たのと同じ形のドアが見える。 みんなそこを開けて入っていく。 一緒についていくと、それが入口だった。 あとで中を調べると、最初に見つけた扉も博物館への入口だった。 遠回りをしてしまっただけのようだ。
ここでも、セキュリティチェックを行っている。 金属探知機とX線透視装置との両方である。 今回も電子手帳を預けた。
この博物館もスミソニアンの一部らしい。 ここでは飛行機や宇宙に関する資料が展示されているだけでなく、本物の飛行機などが天井から吊り下げられている。 ガイドによれば、これらの機体にはオイルやガソリンを入れればきちんと動くものらしい。いろいろと体験しながら学べるコーナーも多い。 館内はかなり広く、展示も多岐にわたるが、これで入館料はタダである。 お金がかかるのはフライトシミュレータとIMAXシアターだけである。 日本でこういう博物館を作ったら、大人1,500円、小人500円くらい取るのではないか? もっと取るかもしれない。 一通り廻るだけで2時間近くかかった。 余裕があれば、一日かけて見たいのだが、他のところも見てみたいので大雑把に見ただけであった。
次の目的地は国会議事堂である。 ここは航空宇宙博物館から歩いていける距離にある。 博物館を出たところで、屋台みたいなものがあったので、ホットドッグと飲み物を買う。 実は博物館にもマックがあったのだが、何か食べたいような食べたくないような気がしてやめたのである。 マックは別に日本と比べて安いわけではない。 日本で言うバリューセットが$6弱である。 確かにポテトと飲み物の量が多いので、日本で言うところのL・Lセットのようなところだと思うが、$1=\125で計算するならば日本のほうが安いだろう。 ホットドッグを食べながら歩いていくと、10分ほどで着いた。 議会開催時には傍聴も可能とガイドには書いてあるが、それどころか、単に中に入ることもできないようだ。 一通りまわりを眺めて、次のポイントに移るために地下鉄駅に向かう。 まだマラソンは行われているようで、オレンジのパイロンでコースを区切っているのだが、最終ランナーがちょうど通り過ぎていったところだったようで、そのランナーが前を通過していくと、係員の人たちは盛大な拍手で送ったあと、さっそくパイロンを片付けていた。
次の目的地はアーリントン墓地である。 地下鉄で行くにはBlue lineに乗る必要があるのだが、次の電車まで15分くらいあるという。Yellow Lineも同じホームから出ており、こちらは4分で来るというので、そちらに乗る。 ペンタゴンの駅でまたBlue lineとYellow Lineは合流するのと、Blue Lineのほうがペンタゴンまでは遠回りで行くので、もしかするとペンタゴン経由のほうが早いかもしれないと思い、Yellow Lineに乗る。 ペンタゴンの駅について、ふと、ペンタゴンも見れるのかなと思い駅を一旦出る。 どうせ一日乗車券を持っているから出入りは自由だ。 駅を出るとペンタゴン入口は工事のためのフェンスで封鎖されていた。 まー、さすがにそんなところは中には入れないのが当たり前だろうが、せめてまわりを一周して五角形であることくらいは確認したかったけど、それもできなかった。 少し先に見える道路も先ほどのマラソンのコースのようでたくさんの人が走っていた
駅に戻り、アーリントン墓地の駅に向かう。 アーリントン墓地のホームに着いたとき、マラソンランナーと思われる集団でいっぱいだった。 おそらくこの付近がゴール地点なのだろう。 みな、胸には小さなメダルを下げており、飲み物や、体が冷えないようにということだろうが、アルミホイルのような素材でできたガウンのようなものを持っていた。 参加した選手はきっと数千人はいたのではないかと思われ、駅で乗車券を買う人の列が、はるか外まで伸びている。 その人たちの間をぬうようにして外に出ると、さらにたくさんの人が並んで歩いている。 出たところ一体はすでに墓地の一角のようであるが、そこの一箇所からぞくぞくと人が流れていた。 その流れに逆らいながら歩いていくと、道路の反対側に入口があった。 中に案内所があり、ガイドマップのようなものが置いてあるので貰った。 ガイドマップには、ここは子供の遊ばせるところではありませんみたいなことが書いてある。 確かに観光客がたくさん訪れてはいるが、ここは、軍人のための墓地である。 そういう記述もやむをえまい。
取り急ぎ、J.F.ケネディの墓に向かう。 アーリントン墓地の小高い丘の途中にあった。 そこでは小さい火がずっと焚かれているらしく、観光ガイドによれば、夜にワシントンモニュメントに上れば、その火が見えるらしい。 その墓のさらに上にはアーリントンハウスというのがあって、当時の家具などをそのままの形で再現していた。 もちろん、ここも他の施設同様に入場料はかからない。 一通り見学した後、ワシントンモニュメントに向かう。
もよりの地下鉄を出たところで、また、どちらに行ってよいのかわからなくなるのだが、今度は、ワシントンDCで一番高い塔なので、あたりを見渡すとすぐに方向はわかる。 塔を目指して行き、近くにある入場整理券をもらえるブースに向かった。 しかし、すでに本日の整理券はすべて無くなってしまったらしい。 しょうがないので、塔のすぐ下まで行って、まわりを一周してきた。 もし時間があれば、金曜の午後には会議がすべて終わるので行ってみようと思う。 近くにおみやげなどを売っている店があったので、覗いてみることとした。 みやげには何が良いか考えていたのだが、マグカップなどは余るくらいあるし、また、途中で割れてしまうのも嫌なので、結局、ポストカードを買うことにした。 今回はカメラを持ってきて無いので、ちょうど写真代わりに良いだろう。 レジで、$4.18というので5ドル紙幣を差し出すと、おつりがないという。 25セント硬貨を出すと、7セントのおつりをくれたが、残り1ドルをくれない。 やった、もらってない、を繰り返しているうちに、ふと気づいたらしく、ようやく1ドルをもらうことができた。
この時点ですでに5時頃である。 本当はショッピングモールに行って、スリッパを買いたかったのだが、6時には待ち合わせしているので断念する。 ホテルにはスリッパが無いので少し不便だ。 やはり旅行用のスリッパはあったほうが良い。 それくらいは現地調達できると踏んでいたのだが、このホテルのあたりにはCVS以外にほとんど何も無いのだ。 そして、そのCVSにはスリッパはなかった。
ホテルに戻って、ちょっと部屋で落ち着いているとすぐに約束の6時になった。 今回のユーザ会議の後半で一緒になる人たちと、とりあえず、顔をあわせる事になっていたのだ。 しかし、それらしい集団が見当たらない。 メンバーは一人だけ女性であとは男が7人程度はいるはずなのだが。 しばらくうろうろしていると、一人、東京で会ったことのある人が私に気づいてくれた。 実は先ほどから目をつけていた集団がそれだった。 そこには女性が3人いたので違うと思っていたのだが、よく考えると欧米では夫人同伴ということが多いのだから、女性の数で判断したのが間違いだったようである。 慣習の違いというのは非常に大きいなと感じる。
とりあえず顔を合わせることができたので、みなパーティの方へ散り散りになった。 このユーザ会議を主催している会社の日本法人の人がいて、他の会社の人と食事を取る。 とはいえ、立食パーティなので落ち着いて座れる場所は少ない。 パーティが始まって1時間以上経った頃、ようやく席が開き始めたのでそちらに座る。 その日本法人でしばらく働いていて、ヒューストンのオフィスに移った人と少し話す。 そのときは英語で話していたのだが、あとでよく考えると、その人は日本語が話せるのだった。 翌日の夜もその人とあったので、そのときは日本語で話をしていた。 9時半頃までパーティ会場にいたが、時間になったので部屋に戻る。
パーティの後、同僚が私のパソコンから会社の上司にメールを送る。 同僚はパソコンを持ってきていなかったのだ。 現在、会社のテロ対策本部からの指示で、海外出張時にはできるだけ国際対応の携帯電話を借りていくこととなっているため携帯電話は持っているが、電話代は高いからあまり使いたくない。 その同僚は、普段、出張が長期にわたることが無いので、会社へ社外からアクセスできるための軽量のパソコンやワンタイムパスワードのカードなどを持っていないのだ。 私は上司に相談したところ、メールを一日一回すれば良いだろう、ということで携帯は持ってきていない。
その後、しばらくチャットをしてから寝る。 時差ぼけそのものは無い様で、今日も12時くらいになると眠くなった。
今日からユーザ会議が始まる。 仕事の内容になるので、前回の出張記と同様に余計なことは書かない。
今日の見ものはなんといってもジャックウェルチの講演だろう。 今回の参加者のかなりの人たちが期待していたのではないだろうか? 評価を行って、上位20%が出世、下位10%が退場とか、360度評価などの話をじかに聞くことができた。 もちろん、これらの内容はいろいろなメディアですでに紹介されている内容であるが、その会場にいること自体が価値があるのだろう。 これが終わると、かなりの人が部屋を退場してしまった。
夜は、今回のユーザ会議を主催している会社の日本法人の主催で、イタリア料理の店にて食事会があった。 一応、ワシントンDCでは結構有名な店らしい。 確かにおいしいとは思うが、イタリア料理と言ってもアメリカ流にアレンジされている。 アレンジというと聞こえがいいが、量を普通の倍くらいにしているといえばわかりやすいだろうか。 体調を崩しており、胸焼けがし始めている私にとっては、ちょっときついものがあり、半分くらいずつしか食べられなかった。 疲れのせいか、寝不足か、あるいは、こってりした食事が続くためかはわからないが、かなりおなかの調子が悪くなってきている。
ところで、この食事会であるが、うちの会社から出席していた人にとっては不幸なことが起きた。 19時にホテルのロビーに集合ということで、その人も集合時間にそこにいたのだが、他の打ち合わせで少し遅れた人がいたため、結局、出発は19時半頃になっていた。 そのため、しばらく、ロビーで参加者同士話をしていたのだが、その人は、たまたま食事会に行かない人と話をしていたため、みながバスに乗り込むために移動し始めたことに気づかず、バスに乗りそびれてしまったのだ。 しかも、たまたま運悪く、飛び入りで一名入ってしまったため、その人がバスに乗り込まなくても見かけ上の人数は合ってしまい、バスはレストランまで行ってしまった。 私自身、レストランについてからその人がいないのは不思議に思っていたが、トイレにでも行っているのかと思い、主催者側に伝えるのを忘れてしまっていた。 翌日、本人にどうしたのか聞いてみると、気がついたらロビーに誰もいなかった、ということであった。 確かに各社から計19名日本人が参加しているのと、飛び入り参加者がいたので混乱していたようだが、ちょっと失礼な部分があったことは否めない。
昨晩、腹具合が悪く、あまり寝付けなかった。 朝になってももたれた感じは変わらず、昼ごはんを抜いてしまった。 脂っこい食事を避けようと思い、近くにあるすし屋にいって日本料理を食べようと思ったが、あいにく、昨日から天気が悪く、しかも、かなり冷えていたため、結局、ホテル内のバーでサラダだけを食べた。 飲み物はコーラを飲んでいたのだが、なぜか、ホテルのバーでもリフィル自由らしい。 ファストフードと同じレベルというのが面白いと思った。
相変わらず、胃腸がおかしいままである。 さすがに朝もちょっとしか食べない、昼もそれでは少し寒い状態では簡単に風邪を引いてしまうので、少しでも軽いものということで、売店でバナナとヨーグルトとを買う。 この会議は、朝、昼はすべて出るのでお金をかけなくても良いのだが、体調崩した状態では無理をできない。
夜は、住友化学の人と昨日行こうと思ったすし屋に行った。 すし屋といっても、当然ながら日本料理全般があり、居酒屋に近いものがある。 私は、ご飯と味噌汁、冷奴、ほうれん草の胡麻和えに、アン肝を食べた。 米はさすがに日本の物と比べるとパサパサしているのだが、それ以外の部分は日本とあまり変わらないかもしれない。 同じ値段なら量はアメリカのほうが多いかもと思う。 一緒に行った人は、さばの塩焼き定食を頼んだが、でてきたさばは2枚におろしたそのままの大きさだった。 普通、さばの塩焼きというと8cm四方くらいの切り身だと思うのだが。
今日の午後から、ソフトウェア別の分科会に別れることになった。 私はなぜかそのソフトウェアのアジア・太平洋地区の代表になっているので、その分科会の主催者側になるのだが、ちょっと、休憩時間に立ち話しすぎて遅刻してしまい、本来なら壇上にいなくてはいけないのに、一般参加者席に座っていた。 一応、その会の代表の人が私を指差して、こっちに来いといっているのはわかったのだが、すでに会議は始まっていたため、壇には行けなかった。 途中で代表者6名の紹介の際に、私だけが一般参加者で立って挨拶するのは情けないものがあった。
今日の午前中も前日の続きであるが、さらに、細かい分野別の話になった。 自分が担当する分野の会場にいたのだが、途中、Tips and Tricksの発表がある。 いわゆる、覚えておくと便利なものなのであるが、一応、各メンバーが一つずつくらいアイディアを出して、その中から選ぶということで、3ヶ月ほど前にPowerPointのファイルを送付をしておいたやつだ。 一件5分程度ということでだいたい5件発表の予定にしており(全部で30分程度)、ソフトウェアが2種類あるので1つのソフトウェアについて2つか3つの予定だった。 前回の最終ミーティングが出席できなかったのだが、議事録を見る限り、私の出した分は発表しないようになったのだと思っていたが、当日、そのTips and Tricksの一覧がスライドで出てびっくりした。 自分が出したものがリストに挙がっているのだ。 私のものは2番目である。 あわてて、どういうファイルを作ったかを考えるが、なにせ3ヶ月も前の事、だいたいはわかるが細かいところまでは思い浮かばない。 しかも、各発表は5分ずつくらいであるから、すぐに順番は廻ってきてしまった。 まだ、日本での発表なら良いが、ここはアメリカ。 当然、日本語であるわけも無く、英語である。 気がつくと、セッションの参加者は40名ほどはいるだろうか。 しかも、私ですら知っている、結構、有名な人もたくさんいる。 私は上がってしまっているので、なおさら、英語が出てこない。 しかも、PowerPointのスライドショーで次に何が出てくるかわからない状態のまま、話をしなくてはいけないのだ。 なんでこんな目にと思いながら、伝わったかどうか全然わからないまま終わってしまった。 一応、内容に沿った質問が出ていたので、意図は伝わったようである。 しかし、こんな英語がへたくそなやつがアジア・太平洋地区の代表だと思うと、みな悲しい気分になるかもしれない。 もしかすると、参加者は日本人にそこまでの期待をしていないかもしれないが。
今日の午前中で、ようやく、すべての会議が終了した。 今回の出張でも改めて、いやというほど感じるのだが、やはり英語の問題は日本人にとって非常に大きなものである。 ここまで5日間、いろいろな人の発表を聞いているが、発表者が何かジョークを言っていても、わかることはほとんどない。 非常に単純なやりとりなどであれば、ジョークも理解できるが、たいていは、笑えないのは私だけのような感じになっている。 幸いというか、情けないことなのかもしれないが、他の日本人もほぼ同様の状態で聞いているらしい。 なんとかならないものだろうか? といっても、自分でどうにかするより他に無いのだが。
ユーザ会議だが、実質、昨日の午前で終わったという人も多いらしく、昨日の午後にチェックアウトしている人も多かったし、今朝の朝食なんかは置いてある場所が3分の1程度まで減っていた。 主催者側も減るのを見越していたのだろう。 正解ではあるが、人が参加しない会議なら最初から日程を短縮しておいて欲しい。
午後は特に何もミーティングがあるわけで無いので、日本法人の人にどうするのか聞いてみた。 今、終わったところで、日本に早く帰れる便も無いし、もちろん、便があったとしてもディスカウントチケットで着ている私は変更することはできない。 他にも3名、同様の人がいた。 というか、19名いたはずなのに3名しか残っていないのである。 実際は、あと1名いるのだが、午後、ミーティングがあるらしい。 それでもたった4人。 最後まで残ったのは2割である。 前回は私以外の日本人参加者はすべてスペースシャトルの打ち上げに行ったのだから、少しは、増えたと考えるべきであろうか。
とりあえず、食事を取った後、二手に分かれて観光することになった。 まず、向かった先は紙幣の印刷所である。 しかし、残念ながら印刷工程の見学は14時で終了していた。 売店はやっているということなので行くと、インフォメーションセンターがあり、パンフレットが置いてあるのでかき集める。
次に向かったのは国会議事堂である。 前回行ったのは週末だったためか、中を見学できなかった。 他の人たちも同様だったということなので、平日である今日、もう一度行ってみることにした。 見学ツアーの整理券は、すでに今日の分がなくなっているということだったが、下院の傍聴席の見学だけはできるというので行ってみる。 当然ながら、セキュリティチェックは厳しかった。 ホワイトハウスと同様、写真つきのIDを見せた上で、金属探知機によるチェックが行われた。 中に入ると、階段は大理石でできており、長い年月、たくさんの人に踏まれたためにわだちのように削られていた。 日本に比べたら若い国だが、歴史を感じさせる。 傍聴席の椅子も、だいぶ、くたびれた感じでしばらくの間使い続けているのだろう。
ところで、ここでふと、日本では首相官邸や国会議事堂を見学するのは一般的に可能なのだろうか?と思った。 ここ、ワシントンDCにきて、ホワイトハウス、国会議事堂、アーリントン墓地を見て廻ったが、これらを日本で言うと、首相官邸、国会議事堂、靖国神社になるかと思う。 他にも、ワシントンモニュメントという塔があるので、それは東京タワーか。 これらは普通行くことが無い場所だろうなという話をした。 ただ、話をした相手が関西人だったので、通天閣は地元住民でも必ず行きますねという話だった。
その後、グレイハウンドやアムトラックなどが停まる駅に行く。 ここにはショッピングモールがあると観光ガイドに書いてあるので、ワシントンDCらしいおみやげを買うことができるかもしれないと踏んだからだ。 結局、コーヒーをみんなで飲んで休憩したのも含めて、3時間くらいいて買ったものは、
だけである。 日めくりカレンダーで雑誌PLAYBOYのものがあったのだが、誰にあげるのか?と考え、買うのはやめた。 他の人たちもやはり、ワシントンDCと書いてあるTシャツや、子供のおもちゃ程度しか買っていなかった。 意外とショッピングモールとしては、売っているものが偏っている。 女性のファッション関係はブランド店はないものの、化粧品類や洋服などそれなりにあるが、それ以外のものはほとんどない。 頼まれ物として、日本では売っていないチュッパチャップスを探したのだが、ここだけでなく、どこの店に行っても置いていなかった。
ここで買い物をしていたとき、ふと、財布の中に$50紙幣が入っているのに気づく。 確かに、昼間にホテルのフロントでトラベラーズチェックを換金してもらったのだが、そのときに間違えて入れてしまったのだろう? あとでホテルの人に言われるかなーと思っていたが、結局、ホテルの部屋に帰るとメッセージが残されており、返して欲しいということで返しに行った。
最後は夕食をとりにシーフードの店に行った。 地図を見る限り、どうみてもジョージワシントン大学キャンパスの一角のようだ。 はたしてそんなところに、ビジネスマンに人気とかいうレストランがあるのかと不安を感じながら地下鉄で向かう。 地下鉄を降りるとやはり建物の多くにジョージワシントン大学関連の施設であることを示すものが書いてある。 しかし、キャンパスと行っても、普通に道路があって人の往来も激しいので、あまりキャンパスらしくない。 そんななか、雑居ビルというには格好よすぎる建物の中にその店はあった。 あまりくどいものは食べたくないと言って、その店にしてもらったのだが、幸い、ほとんどがシーフードである。 しかも、それぞれがおいしそうだ。 私はヒラメのムニエルのようなものを頼んだが、割とおいしい。 他の人が頼んだものもそれなりということだった。 月曜に行ったイタリア料理の店と異なり、量も普通の量であった。 しかも、ジャズの生演奏付であるので、ここは結構穴場であったかもしれない。 ただし、お店にいる客のほとんどは白人である。 そういうのが気にならない人にとっては行ってみてもいいかもしれない。 しかし、残念ながら、私はその店の名前を覚えていない。 タワーレコードが入っているビルの中にあることだけは覚えているのだが。
朝5時に起きる。 今日は8:56の飛行機に乗る必要があるのだが、ここワシントンDCは首都であるため、他の空港に比べてさらにセキュリティチェックが厳しいといわれるので、2時間前には空港に着いておきたかったからだ。 なんとか準備を済ませて、空港に向かう。
空港でチェックインするときに、シカゴから成田間については非常口座席にして欲しいといったのだが、これはJALの分だからシカゴのJALのカウンターで聞いてみてくれといわれる。 ワシントンDCからシカゴオヘアまではAmerican Airlineの運行でJALとのコードシェアであり、Americanのカウンターでチェックインを行ったが、そこではJALの乗り継ぎ便の細かい指定はできないという。 その時点でとりあえずもらった座席番号は58A。 後部の左窓側である。 窓側はトイレに行くのに二人に協力してもらわないといけないので、できれば変えて欲しいと思いつつシカゴに向かう。
今日はワシントンDCは快晴。 ほとんど雲ひとつ無い。 こういう日に観光すると気持ちがいいのだろうが、チケットがある以上どうすることもできない。 そんなことを思いつつ、搭乗開始時間になったので列に並んでいた。 今日も搭乗前に何人かセキュリティチェックを受けている。 どうも、検査官の手が空いたときに登場しようとした人がひっかかるようだ。 自分の時には当たらないようにと思っていたが、ちょうどタイミングよく私の直前で検査が終わってしまった。 と、それを見た係官から検査を受けてくださいといわれる。 前回、シカゴで行われたものよりもかなり細かいチェックを受けた。 靴は脱がされるし、財布やかばんもすべて中身を出された。 割と最後のほうに並んでいたため、搭乗は私が最後から2番目。 最後は私のあとに運悪く検査されてた女性だった。
シカゴまでもずっと天気はよく、地上がずっと機内から見えていた。 割と全米で天気がよかったらしく、結局、シカゴで乗り返した後も、窓の外を見ていた間、どこでも地面が見えていた。
シカゴについて、すぐにJALのカウンターへ向かう。 すでにエコノミーは長蛇の列。 本当に不景気なんだろうか?と、ここでも思う。 どうみても観光客ばかりである。 カウンターで聞いてみるが、座席は満席なので変更はできないという。 こんなことなら、とりあえずでもいいから、航空券を購入する際に座席指定しておけばよかった。
お土産を探しにDuty Freeの店を探す。 しかし、サンフランシスコ空港とは異なり、シカゴのDuty Freeは寂しいものだった。 でも、何か買っていかないといけないし、どうせ買うものはマカダミアナッツである。 あとは高いか安いかだけだ。 ついでに自分の好きなビーフジャーキーも買おうかと思ったが、これは日本で買うよりも高い。 結局、6パックで$50のチョコレートを買って帰る。
搭乗口でも、念のため、係員に座席をせめて通路側にできないか聞いてみるが、やはりだめだといわれる。 結局、搭乗後13時間、窓の横の座席でじっと待つ。 トイレにいけたのは2回。 隣の人は一回も行っていない。 隣の人が行くときに合わせていけばいいと思っていたら、結局、一回も行かなかった。 よく我慢できるものである。 まー、確かに隣の人はほとんど寝てばかりであったが。
当初予定より1時間近く遅れて成田空港に降り立つ。 福岡行きの便は2時間以上待たねばならない。 そこで夕飯として、そばを食べに行く。 「うどん・そば」と書いてあるのが気になったが、成田空港のレストラン街にはそこしかそばを食べられる店は無いので、そこに入る。 ざるそばの大盛りで950円。 高い。 しかも、薬味が万能ねぎ。 そこで気がつき、箸袋に書いてある店舗の所在地を見ると、大阪を中心に西日本が多かった。 どうりで、うどんがそばよりも先に来ているわけだ。 でも、なぜ成田で関西の店?とか考えてしまう。
そばを食べ終わり、搭乗待合室に向かう。 全日空商事の店があったので入ってみると、そこにはアメリカ土産に使えそうなチョコレートなどいろいろな種類のお菓子などがおいてある。 同じものがシカゴ空港で売っていたが、それより安い。 なんだか馬鹿らしくなった。 次回からは海外出張の時には、成田空港で買うことにしよう。
福岡行きも30分以上遅れて、ようやく福岡にたどり着く。 なんだか疲れた9日間だった。