引用は適切に。全文を引用する必要はありません

杉山 善昭(zzz@z.email.ne.jp)

 あなたはたまに見かけませんか? 本文よりも引用部分の方が長い記事を。 このような記事を読むとき、あなたはどう感じるでしょうか。 「元の記事が何だったかわかりやすい」「どこについて意見を述べたいのかわからない」「相手の文章って削っていいの?」などなど。 人によって考え方はまちまちかも知れませんが、「引用」をするためには、次のようなことを考えなくてはいけません。

 まず引用とは何でしょうか。 辞書をひもとけば「自分の説のよりどころとして他人の文章などをひくこと」と記載してあります。 つまり、自分の意見や反応をする際の、根拠やもととなる部分を指し示しているものです。 ということは、引用がだらだらとしていると、どこがよりどころとなる部分なのかがぼやけてしまうということです。 どれくらいの量が適当というのは、人によるでしょう。 他人の記事をフォローアップするのに、その親、さらにその親の親の記事まで引用する人、すっぱりと1,2行だけ引用する人など様々です。 大事なのは、どこの意見に反応しているのかが、一目でわかることです。 当然、無意味に長いものは良くないわけです。

 しかしながらこのような考え方もあります。引用を短くしてしまうと、その記事を読んでいても議論の流れがわからなくなってしまうと。 たしかに親の親の親の親ぐらいの記事まで参照し、10行ぐらいの引用をすると話の流れはわかりやすく、その記事だけで内容がつかめる利点があります。 話の流れが複雑で、引用に対する本文が20行を越えるような内容であるものなら、仕方がないともいえます。

 しかしながら多くの場合、そこまでの引用は必要ないものです。 なぜならネットニュースにはReferencesというヘッダー情報があり、これによりその大もととなる記事がMessage-IDによって参照できるからです。 つまり必要とあれば、その親の記事も、祖父母も曾祖父母の記事も簡単にひけるということです。 これにより無意味に長い引用をする必要はないのです。

 ここまで読んで、ずっと疑問に思っている人もいるかも知れません。 引用とは言え、他人の記事を編集していいのかと。 実は、引用というものは必要な量だけでなければいけないと法律に記載してあるのです。 著作権法第32条は引用について「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。」と定めてあります。 つまり、不必要な引用は引用とは言わず、複製となってしまうわけです。 複製となれば原著作者の権利を侵害する可能性があるわけです。 よって「全文引用」ということはほとんどありえず、大抵は「全文複製」もしくは「全文転載」ということになります。 これは著作権法上、原著作者の許可が必要となります。

 上記のように考えていけば、具体的に引用をどのようにしていけばいいのかが見えてくるでしょう。 そして、たまにみかける、元の記事をまるごと引用として付けた記事や、特に他人の署名部分すらも引用の対象としている記事が、なぜいけないかがわかってくるはずです。 他人の署名自身が話題となっているのでなければ、署名部分の引用には意味がなく、それは引用の要件を満たすとは言えないわけです。 また、そのような法律論によらなくとも、文意の無い署名が投稿者と引用元のと、2つも付くことは見にくくするだけです。

 このように引用については著作権法にも記述があるように、守らなければならないルールも存在します。 でも、法律云々という問題よりも、シンプルに引用することにより、読みやすくもなるし論点が絞れるというメリットを生かしていこうということなのです。


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