ウェブ掲示板とfj.*を比べたとき、大きく異なっていることがあります。 それは投稿者の氏名、メールアドレスです。多くのウェブ掲示板では、匿名もしくはハンドル(愛称)を用いており、メールアドレスを公開している人もさほど多くはありません。
しかしながらfj.*では、メールアドレスは必須、氏名もほとんどが本名で、ハンドルを用いている人もあくまで愛称として固定的に使っているハンドルで、本名がなんらかの形でわかる形で投稿している人が多いです。 つまり大抵の投稿者は氏名も連絡先もわかっている状態です。 メールアドレスは一応、ネットニュースでは必須条件ですが、本名で投稿しなければいけないという規定はありません。 これらは必ず守らなければならないことなのでしょうか。
投稿者の氏名、メールアドレスは、記事の技術情報が含まれるヘッダーと呼ばれる領域の“From:”というところに記載されます。 ここには投稿者にメールの届くアドレスを記述する必要があります。 しかしながら一部の投稿者の中には、自分にメールが来ないようにとのことで、嘘のアドレスを記載している人がいます。 また、嘘とは言えないものの、spamという機械的に大量に送られるダイレクトメールを防ぐため、アドレスが推測できる程度で実在しないアドレスにしている人もいます。
この様なとき、前者のタイプはどうしようもありません。 意見がありメールで連絡を取ろうにも、手段がありません。 連絡が付かない人とは、人の言うことに耳を持たない人と考えることも出来ます。 他人の意見からいつでも逃げられるようにしているということは、ひょっとしたらこの記事には何らかの疑念があるかも知れません。 メールアドレスが記載されていないからということだけで判断することは、急過ぎるかも知れませんが、信用できる人物かどうかは、良く考える必要があるかも知れません。
後者は判断が分れることです。 記載されているアドレスから適当な文字を取り除き、おそらく正しいと思われるメールアドレスを推測するわけです。 何が問題かと言えば、このような作業を他人にさせる手間、そこから推測されるアドレスの不確実性、そして本来正しいアドレスを書くことが要求されているにも関わらず、このことを守らないという事にあります。 そしてそこから得られるメリットが、ダイレクトメールが来ないという本人のみの得策であるということです。 このことが、良いことか悪いことか、どう考えるかは難しいですが、いずれにしても、メールアドレスは投稿者に対する直接の連絡先であり、唯一の本人特定手段と言えます。 何度も言いますが、本来は、確実にメールが届くアドレスを記載しなければなりません。
fj.*ではなぜか本名明記の人が多いです。 これはfj.*が、もともとJUNETと呼ばれる学術系ネットワークにおいて、成り立ったことに由来する部分です。 多くの人が、ごく自然に本名を利用していますが、誰も強制したりしません。 本名を名乗るか、ハンドルを使用するかは、投稿者が決めることです。 使い慣れ、気に入った愛称で呼んでもらいたい人もたくさんいますし、実際、その愛称をハンドルとして利用している人もたくさん居ます。 ハンドルを利用するときは、皆さんに覚えてもらう名称なのですから、長く使うことを考慮して決めるのがよいでしょう。
しかしながら、ハンドルを利用することが、実名でないから書けるような記事を投稿するため、というのは問題です。 実社会における名称で認識されては困るという記事は、なんらかのリーク情報でもない限り、有用の情報とは言い難いものが多いでしょう。 ハンドルを利用して投稿するという時は、本名でも投稿できるかという思考をはさむと、無意味な争いを回避できるかも知れません。
fj.*の実名社会は、Internetにおいては少し珍しく、初めは気恥ずかしく感じるかも知れません。 しかしながら、周りが本名で活動しているのですから、あなた一人が本名だからといって特段不思議ではありません。 fj.*ではハンドルを使う方が何倍も目立ちます。 目立ちたがり屋さんはいいですが、ささやかに投稿するなら本名の方が目立ちません。 それに、どんどん社会が匿名化していく中、たまには本名で運用される社会があってもいいではないですか。 自分が誰かを認識して読んでもらい、相手が誰かを認識して返答を読む。 このような相互認識を築けるコミュニケーションは、いかがでしょうか。