サイレントマジョリティを拠り所とした意見

加藤泰文(karma@ae.wakwak.com)

fj.* には色々な人が記事の投稿を行っていますが、投稿を行っている人以上に読んでいるだけの人がいるはずです。 その人たちも記事を読んで色々な感想を持ったり、意見を持ったりしているはずです。 議論などでは、実際に投稿される意見以上に色々な意見があるかもしれません。 これらの、記事の投稿などに表れてこない意見のことをサイレントマジョリティと呼ぶことがあります。

しかし、実際に投稿されなかった意見などは、その意見を思いついた人以外にはわかりませんし、ある記事を読んでどういう感想を持ったかということは、その感想を持った人以外の人にはわかりません。 当然ですね。:-)

自分が投稿した記事についても、同じ考えを持った人もいるかもしれませんし、いないかもしれません。 自分の考えに賛成してくれる人も反対の人もいるでしょう。 しかし、記事として投稿されない限りは、自分の投稿した記事に対する他人の意見や感想などはわかりません。 人が何を考えるかなんていうのは他人には (もしかしたら自分でも) はっきりとは分からない事ですよね?

たまに fj.* の議論で「私の意見に反対しているのはあなただけで、ほかの黙っている人は私の意見に賛成なんだ」などという、投稿を行っていない人があたかも自分の持っている意見と同じ意見を持っていたり、自分の意見に賛成してくれているに違いないという考えを見掛けますが、このような考えは非常に危険というか、独り善がりなものであるのは、明らかでしょう。

もしかしたら、記事を投稿しない人の大多数があなたと同じ意見を持っているのかもしれません。 でも、もしかしたら単に議論に興味がなくて、何の考えも持っていないのかもしれませんし、別の意見を持っているけど、何かの都合で投稿しないだけかも知れません。 沈黙している人が「サイレント」であることは間違いありませんが、その意見が「マジョリティ」であるとは限りませんし、マジョリティであったとしてもあなたの意見と同じとは限らないのです。

結局は fj.* で議論をする場合は、投稿されて他人にわかる形で出てきた意見をもとに議論を進めるしかないのです。 出てこない意見を拠り所にしても、出てきている意見と自分の意見の間の関係は何も進展しませんし、だったらわざわざ fj.* に記事を投稿してまで議論を行う意味はないでしょう。


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