− フリートーク Vol.6 −


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2000/09/28

 ゲームショウが終わった翌日から、秋葉の本社に戻っての勤務。昼休みにソフマップに向かい、自分へのご褒美にと持ってもいないDC用『DEAD OR ALIVE2』を購入。な、何だよその目は…(爆)。まぁかなり並んだおかげで昼食抜きとなったが(^_^;)。


2000/10/07

 仕事の合間に駅前のゲーセンへ行ったら『ギルティギアゼクス』が空いてたので乱入されない事を祈りつつ1プレイ。キャラはいつもカイを選んでいる。今回印象的だったのは、負け寸前にやぶれかぶれで出した一撃必殺技を2ラウンド連続で決めた事。この瞬間つい「よっしゃ!」と声+ガッツポーズを出してしまう。CPU相手だし低レベルであろうけど、これこそがこのゲームの最大の快感となるところなので、その成功には素直に喜びたい。


2000/10/08

 DQMのモンスター図鑑を完成させ、これでやるべき事は全て成し遂げた。通信対戦もお見合いもせず、ただひたすらスタンドアロンでプレイし続ける事2年弱。こんなに長い期間お世話になったゲームも珍しい。やはり携帯ゲーム機は今の私のライフスタイルと見事にフィットしていると言う事だろうか。ここまで楽しませてくれた事に感謝したい。


2000/その後の10月

 ゲーム部署での休日出勤・会社寝も伴うヘルプ作業から開放されたのとほぼ同じ頃、次の仕事が決まった。あとはどんな生活状態だったかほとんど覚えていない(爆)。


2000/11

 今月から職場が川崎の西の方(そこは郊外の住宅地であり、具体的な地名は明かすと現場が特定される恐れがあるので書かない)に。駅前で担当者に今回私と同じように別の会社から送り込まれた女性、Fさんを紹介される。彼女はまだ20歳の専門学生で、インターンという形で今回の仕事を行う。二人が組み込まれたプロジェクトは「某課金システムの開発(の一部)」。席は二人とも円卓状に並べられた長机で、マシンはかなり型の古いノートパソコン(Pentiumクラス)。ちなみにネットはこの会社が交付したアドレスでのメールしか使えない。そしてこれが地獄の始まりだった。二人とも「基本的に残業は無い」と言われて来たのに実際にそうだったのは最初の週だけ。その後はほぼ確実に終電の時間まで仕事して(仕事量と自分のスキルからしてそのぐらいやらないと納期に間に合わない)、11月で休めたのは最初の3連休と12日の計4日間だけ、勤務時間にして約250時間ほどだった。

 家の方ではこの頃から父が会社へ行かなくなる。22日付での定年退職を受けて、今月に入ってから全有給を一気に使ったからだ。今の家はその会社の社宅で、父親の故郷に建築中の新居の完成を待ちつつ家族全員の引っ越しを準備を進めている状態だ。一応退職しても3ヶ月の猶予期間があるが、それに甘える訳にもいかず、仕事と同様一刻を争う状況。でも今の勤務状態じゃ不動産屋にも物件にも行けん…。


2000/12/10

 かねてからネットや情報誌でやっていた新居探し(と言うよりあたりをつけたエリアの相場チェック)。やっと取れた休みの今日こそ決めようと父を巻き込んで川崎駅ビルの不動産屋へ。そこで場所・間取り・アクセス・周辺環境どれをとっても申し分無く、家賃も納得できる物件を見つける。早速不動産屋に現地を案内して貰い、実際の物件を見てもその評価は変わらず、とても気に入った。不動産屋に戻って早速仮契約手続きをして帰った。


2000/12/11

 終電で最寄駅で例によって迎えにきた車で父親から前日決めた部屋がほぼダメになった事を聞かされる。何でも不動産屋の話だと家主が「女性に貸したい」とゴネたらしい。これには頭にきた。それなら募集の段階で入居条件を「女性限定」と明示すべきであり、仮契約までした段でいきなり「男にゃ貸さん」では筋が通らない! 不動産屋もそう言ったようだがその家主が相当に変な人らしく、あーだこーだとグダグダ言って全然話にならないとの事だった。ただでさえ仕事も引っ越しも一刻を争う状況なのに…。私にはもう部屋を探す時間は無く、全て親任せにせざるを得なくなってしまった。自分に出来る事はもう「洋間1Kで、駅から歩いて行けて、家賃は6万以内」という希望を親に伝える事だけだった。


2000/12/12

 会社で仕事しながら同じ机のスタッフに昨夜の事をぶちまける。「家主が相当に変な人」とまで話がいくとFさん「お風呂に隠しカメラでもあるんじゃない?」。それは私もあの話を聞いて思った事だ。やっぱ考える事は同じなのね。そこから半ば叩きに近いような笑い話に発展したのは察していただけるだろう。ところでFさんの机の脇に『バトルロワイアル』が置いてある。この勤務状態にも関わらずよくあの分厚いの読んでいられるよなぁ(その後、ものの数日で読了したようだ。普段小説を読まない私だったら1年はかかりそうだ)。


2000/12/15

 この日は会社の忘年会に出る名目で丸一日休みがとれた。何とか新居が決まった事もあり車で両親とホームセンターへ行き、新生活用品をいろいろ購入。東戸塚駅で両親と別れて秋葉へ。ソフマップでまだ持ってもいないDC用ソフト『ギルティギアゼクス(GGX)』を購入すると特典のポスターとCD−ROMが付いていた。

 本社に寄ると、しばらく来てない間に従業員が増え、自分の席が消え(まぁ客先へ常駐してて普段本社に来ない人の席は無いのが通常だけど)、東京めたりっく通信の代理店を始めたりもしたらしい。そこで初めてボーナスを受け取る(給料は銀行振込だがボーナスは基本的に現金)。でも5桁。来週から暮らす新居の1ヶ月分の家賃にもならない。会場は神田の広島風お好み焼き屋。でも皆箸が進んでおらず、料理がかなり不評の様子。ボーナスの話題が出て「これじゃ海外旅行は無理だ」とか「他の会社へ行ってる友達は『30万でも少ない』とぬかしてた(-_-#)」など。「来年の今頃はバラ色になるらしい」の声が出ても誰も信じようとはしない。普段酒を飲まない私も今回はビールを中コップ大で一杯飲む。でも帰りの途中から頭がガンガンした。明日も仕事なのに。


2000/12/19

 会社を休んでいよいよ引越し作業。午前中はガスの接続工事に立ち会うため身一つで初めて親の決めた(まぁ、いくつかの物件案内を見せられて「これがいい」と言ったので一応自分の意思も含まれてはいるが)新居に入る。部屋は3階建てマンションの1階。洋間の1Kで間取りもそこそこ。駅から徒歩2分程度と交通の便は申し分無い。だが、日当たりは最悪! 南向きの窓のすぐ前にビルが建っていて部屋に陽が差すことは殆ど無い。家に戻り、数日かけてダンボール箱に詰め込んだ本やCD、衣服、パソコン、親から支給された生活用品などをまとめる一方、ファミコン系機材(本体・ファミリーベーシック・データレコーダ・壊れたディスクシステム・ソフトの箱・とびだすメガネ(兄に「伊集院に寄付しろ!」とツッコまれた))や“資料”と称して取っておいたコミケカタログや何故か残っていた10年以上前のファミ通(まだ「ファミコン通信」という名前だった)など、タコが自分の足を切る思いで捨てた物も大量にある。運搬は業者を使わず父の運転する車でピストン輸送。家から新居まで片道約30分で、それを3〜4回くらい繰り返す。作業は深夜にも及び、全て終わったのは午前3時くらい。父は帰るが私はここに残り、フローリングの上に布団を敷いてそのまま寝た。


2000/12/20

 午前中に電話回線の取り付け工事に立ち会い、午後から出社。両親がこの日の完成をアナウンスされていた新居に即日で引っ越して、今度こそ本当に家族が散り散りになる日。本当は早めに「最後の帰宅」をしてちゃんとお別れをしたかったのだが、仕事の状況がそれを許さず、家族とは電話で別れの挨拶をした。


2000/12/24

 20世紀最後のクリスマス。今までは家族がいたが今年からは正真正銘のシングルベル。午前中は横浜のソフマップでキャンペーン販売中のDC本体(ソフト1本とS端子ケーブルが無料でつく)を購入。店員から特典用の4本のソフトを示され『ぷよぷよ通』にしようかとも思ったが結局『ソニックアドベンチャーインターナショナル』にした。一旦帰宅するも日曜なのに午後から仕事(泣)。会社では女性スタッフのHさんが皆にと買ってきたブッシュ・ド・ノエルをほおばりながら、いろいろふざけながら話をしてた。でもこのあたりからFさんが会社に来なくなる。


2000/12/28

 この日は仕事納め、そして契約期間終了でこの生活(会社)とおさらばする日。細かいデバッグと引継ぎのための書類作りを並行してこなし、午後6時を過ぎたあたりから私物をまとめ、今回お世話になったスタッフ達に別れの挨拶をして退社した。このまま家に帰ってもいいのだが、納会出席のため本社へ。納会と言ってもただ飲み食いしたり遊んだりしてただけだけど。


2000/12/29

 冬休み早々冬コミへ。並びたくないから遅めに行ったけど1時間近く並んだ。いつものようにゴミ箱からカタログを取り出し、サークルスペースやら何やらを回る。

 帰りに近所の家具屋で引っ越し以来の懸案だった本棚を6000円払って買い、そのまま家に持ち帰る。これが本日一番の買い物だ(^。^;)。早速組み立てて本を並べたらダンボール3箱を空にする事が出来、一気に部屋の整理が進んだ。


2000/12/30

 前日と同じく。3時を過ぎたら例によって筑駒クイ研ブースでひなくんらとダベり、菓子や野菜ジュースを頂いたりなどやりたい放題やってそのまま終了。ひなくんは別の集まりで飲み会があるそうで、私はそのまま一人で家に帰った。


2000/12/31

 やっとこさ部屋の整理がある程度済んで落ち着いたところで先日購入したDCの封を開ける。入れたソフトはGGX。

 カウントダウンは例年通り家でテレビを見て各チャンネルをつまみ食い(笑)。21世紀になった瞬間に合わせていたのは地元TVKだった。いつもの私なら日テレの『いけ年こい年』になってる筈だが「例のアレ(笑)」があって締りがなかったので。


2001/01/01

 年が明け、21世紀を迎えた訳だが、喪中につき新年の挨拶はあえて遠慮する(それでも数人に平気で年賀メール出してたけど。親もいいと言ってくれたし)。ちなみに今年の年賀状はゼロ。年賀メールもきょうこじゃさんから来ただけだった。


2001/01/03

 新築間もない親の新居(あえて「実家」とは言わない。あそこは親の故郷であって自分の故郷ではないので)の正確な住所を知らなかったので電話(携帯の着信履歴から電話番号は知ってた)。出たのは兄で、弟も向こうにいて「帰ってないのお前だけだよ!」とどやされる(後日来た弟からのメールによると、向こうの家はかなりデカかったってのと、田舎でやる事ないのでずっとPS三昧だったらしい)。

 現在PSが手元に無い私はDCでGGXをやっており、このあたりから使うキャラをミリアに変えていた。理由は「ミリアの方が自分のプレイスタイルに合っているから」。最初ゲーセンでスタンダード系のカイを選び、疑問を持ちつつも同じキャラを使い続ける事が上達への一番の道だしそうでなきゃ100円がもったいないという思考が働いていた。だがコンシューマー版が出て遊び放題となったのでこの転向に踏み切ったのであった。


2001/01/09

 長かった冬休みも終わり、今年の仕事始め。だが起きた時には10時を過ぎており、大慌てで秋葉の本社へ。昼頃に新たな現場として、前回の仕事の窓口でもある永田町の某社へ。聞けば前の現場で一緒だったFさんはやはりギブアップしたようだ。泣きながら「もう来たくない」と言って…。まぁ、まだ学校を出てないうちからいきなりあの生活を強いられちゃ耐えられないか。今まではずっとC言語の仕事だったが今回はVB(「Visual Basic」マイクロソフトのソフトウェア開発ツール)。前に本社で勉強として使った事があったがかなり忘れている(^_^;)。取り敢えず具体的な指示が出るまでVBの使い方をおさらいして、午後6時を回ったところで本日は退社。折角だからと永田町を散策。社民党の本部とか最高裁とかTOKYO−FMの局舎などを見て回っていた。


2001/01/10

 永田町は場所柄オフィスばっかで近くにメシが買える所が殆ど無い。昼休みにリサーチしてみると永田町駅前のマックとタイトーの隣のampmしかないという結論に達する(-_-;)。終業時間が過ぎて会社を出ると、赤坂見附へも歩いて行けるからとTBS局舎周辺を散策(爆)。ここへ来るのは高校時代『史上最強のクイズ王決定戦』の予選を受けに行った時以来だ。あれから8年。今では取り壊されて赤坂BLITZになってる旧局舎のGスタジオで予選があって、今の局舎はまだ建設中だったな…。あとはそのまま帰るつもりだったが何故か六本木のアークカラヤン広場&テレビ朝日放送センターへ辿り着いていた(核爆)。俺ってここまで方向オンチだったか!?


2001/01/11

 会社が終わって家に帰り、ミリオネアを見てたら本社から電話。こんな時に電話すな! おかげで電話中はテレビを消すはめに。内容は「新宿の現場で一人欠員が出たからそっちへ行って欲しい」。今の仕事の事を話すと、その仕事の窓口は私が今行っている会社なので問題ないと言う。そっちの方が自分のスキルを生かせるし、ウチの会社の人間も何人かいるからとも言われたので「そちらでも構いません」と答える。そんな訳で翌週から新宿に通う事となった。


2001/01/15

 本日から職場が新宿に変わる。ウチの会社からこの会社へ送り込まれるのは私で7人目だそうだ。それにしても、今までの現場とは比べ物にはならない程に職場や周辺の環境が凄い。


2001/01/28・29

 今頃になって19回・20回の高Qの予選ビデオをまとめて見る。ビデオが届いてからもいろいろ忙しかったり、だらけてたりで(爆)これまで見ていなかったのだった。20回の近畿大会の番組は、最初の奈良学園の彼の取材自体はともかく、東大寺学園クイズ研との早押し対決や兵庫の家島高校のメンバー勧誘の場面はいらないと思うんだけど。YES−NOクイズは最初の4問しか放送されず、三浦・森若両アナが福澤アナに敗者復活を要求するシーンが根こそぎカットされて(まぁあれじゃ当然か)いきなり敗者復活戦へ。灘高校の名前が出た途端に場内大ブーイング+「帰れ」コール(これ、もうちょっと流してもよかったんじゃないかな(笑))。ステージ下の高校生が電話の相手を間違えさせようと違う答えを叫ぶも空しく(?)正解して終わり。太秦映画村へ向かうバスで「独裁者ままぽっと」こと柏原高校の土屋さんが「中国王朝覚え歌」を歌ってたのを聴いて、確か兄貴が受験勉強でこれ歌ってたっけと懐かしい思いがした。確か元ネタは「世界史対策の実況中継」とかいう受験参考書だったと思う(うろ覚え)。準決勝では局長や石井くんが何度か映っていた。私も目の前でテレビカメラを向けられてはいたが、18回の中国とは違ってオンエアで使われなかったのでホッとしたようなちょっと残念だったような(爆)という変な気持ちだった。一方、灘高校はヒントを元に準決勝地を探るために京都の街中を駆け回り、4時までに映画村に辿り着かなければならないというハンデを背負わされていた。ハンデ設定が適切だったのか、灘が優秀だったのか、何とか3時55分に映画村に到着した。あと準決勝後半も決勝も放送の仕方が中途半端だったね。


2001/01/31

 会社でパンチョ氏のサイトの旧URLに来たらこんなのが…。かなりツボにきた。

 前回の休みから空いた時間を高Q予選ビデオの鑑賞に費やしてきたが、この日に手元にある分を見終わる。20回北陸はオープニングが音楽に合わせて高校生や福澤アナの姿をたくさんのカットで映していたのがいい感じ。でも何か早朝の番組放送開始待ちの映像を見ているかのようだった。番組の最後に出てきた全国大会の映像は本編に使われていないのが使われてた(品川駅での第1問発表や弁当記憶クイズの結果発表の場面)。

 東北大会の番組だが、ただでさえだらける第1問の正解発表を延々と流せば、YES−NOクイズの2問目が終わって敗者復活を要求する場面で福澤アナが「毎日子作りフェア実施中だから」としゃべってたり、吾妻アナが奥さんの名前を叫ばされる場面で「ミホ、ミホ、ミホー!!」といちいち文字に出したり(3つとも色もフォントも変えてるし)、

福澤「あとで奥さんの写真を見つけ出して画面端にニョキニョキと出しますから」

そしたら本当に吾妻夫妻のツーショット写真が画面端に出て、実穂夫人が東北6県のさらし者にされてしまったりと、全編ノーカットなんじゃないかと思えるほど流し続けていた。おかげでその後のYES−NOクイズは全部カットされ、いきなり敗者復活戦になっていた。これは15回・18回でも同じで、ミヤギテレビはいつも編集がどうかしてる(同じ東北でもテレビ岩手編集の19回は割と安心して見られた)。クイズを流さないのでは本末転倒であろうに。それとも東北、とりわけ宮城県の視聴者はこんなのを望んでるのか? そんなことよりもYES−NOクイズや準決勝をもっと流して欲しかったよ。決勝はあのくらいでも充分見た気になれたからよし。あと20回の北海道も手に入んないかなぁ。向こうのコネを作るためにまた北海道へ行こうかと考えてしまった。


2001/02/01

 GGXサバイバルモードでかねてからの目標だったLV30ディズィーに初めて勝ち、その瞬間一人「よっしゃー」とガッツポーズをあげる(^_^;)。次ステージで負けたものの、自己記録をLV39に更新。直後にディズィーが使えるようになったのでアーケードモードでやってみる。…あのフワフワした動きがとらえどころのない感じがして、どうにもしっくりこない。技の出し方とか何も知らずにやってたとは言えあっけなく3人目で終了。


2001/02/04

 電波少年の「電波少年的15少女漂流記」なる企画を見て思いついた事。高QのEディレクター(H・ヒゲのT両プロデューサーでも、ましてやアナウンサーでもない)が終始後ろ姿で各県代表の高校生を日本のどこかの無人島へ連れて行き、こう宣言「今年の全国大会は、高校生クイズ的バトルロワイアル!」ルールは単純。ただ1チームの「優勝者」が出るまで昼夜問わず行うクイズデスマッチ。各チームには地図やわずかな水と食糧、各々異なるアイテム、そして『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』よろしく撮影用ビデオカメラが手渡される…といったまさにモノホンのサバイバル企画。クイズの方は例えば14回ウルトラクイズのタヒチでやった「ゲリラクイズ」なんかが取り敢えず考えられるけど、そもそもこんな企画無理か…。


2001/02/05

 会社から高Qの公式サイトにアクセスしたら更新されてるじゃないか! コンテンツこそ昨年のアルバムだけになったが今年も番組があることを明示しているのは注目に値する。今年はどこの予選へ行こうかな。方針として関東は絶対、近畿・中部はなるべく、その他は日程や予算次第。でも中部は優勝旗返還があるし親の新居にも寄れるし。担当局が流動する予選では、東北はミヤギテレビ、北陸は北日本放送、四国は南海放送が担当すると予想。

 家でGGXのアーケードモードでやったら初めてノーコンティニューで8人目ザトーまでいけた。ここであっけなく負けはしたが、一発クリアという目標を掲げる契機となる。先日のサバイバルの事もあり、一応(自分なりに)上達はしてるんだなと実感する。まぁそれでも他人と対戦できるレベルじゃないんだけどね。せめて弟と渡り合える位にはなりたいなと。


2001/02/09

 仕事帰りにヨトハジガメラ(仮名)に寄ったら丁度PS2を入荷してるところだった。PSが先日の引っ越しで兄に持って行かれて手元に無い今、いつでも買えるよう資金は持ち合わせていたのでメモリーカードと共に速攻で購入・帰宅。でも専用ソフトは昨秋のゲームショウでゲットした体験版CDのみだし、DVDソフトもないので当分PS1として使う事になろう。


2001/02/10

 休日。昨日買ったPS2を開封・接続し、まずはメモリーカードのフォーマットを含めた初期設定。CD読み込み速度を高速にし、テクスチャ補正機能をONにした上で『FF VII』を入れる。PS1との歴然とした違いがハッキリと分かるグラフィックに加え、戦闘シーンへの切り替えの早さに驚いてしまった(^_^;)。でも戦闘からフィールドに戻る速度はほとんど変わってないような。次に入れたのは昨秋のゲームショウでゲットした『ダーククラウド』のムービーディスク。こっちはもはや見慣れた感のあるPS2のグラフィック性能を楽しむ。…ダメぢゃん。


2001/02/14

 特に何も無い平凡過ぎるほどに平凡な一日だった。


2001/02/15

 会社帰りにヨドバジガメラ(仮名)のテレビ売場で『クイズ$ミリオネア』を音声に気を使いつつ見ると(爆)、能勢一幸さんが出ていて10問目に挑戦しているところだった。その「摩周湖が属している国立公園は?」でオーディエンスを使って切り抜け、11問目で残りのライフライン、テレホンと50・50を一気に使い、何とか正解。見事ミリオネアを達成したのは周知の通りだが、11問目(コーヒーの焙煎度)よりもその後の4問の方が明らかに易しかった。自分は知らなくても能勢さんなら知ってそうな問題ばかりだと思ってたし。特に15問目(『ターヘルアナトミア』の著者)はRyu杯の早押しで出題され、能勢さん自身がそれを正解しているという情報をその夜のチャットで得た。なるほど、15問目のファイナルアンサー後の悩ましげな表情なんかもちゃんと番組の事を考えての演技で(あの場面でいかにも「知ってる」って顔してたら緊張感ゼロで番組自体がつまらなくなる)、その辺でもさすがですな。ところで先週の予告で能勢さんを「親子二代にわたるクイズ荒らし」と紹介していたけど、サポーターとして来ていたお父さんの事は何も知らない(^_^;)。


2001/02/17

 ヤボ用ついでとかで両親と弟がやって来る(何日か前に電話で知らされてたけど)。弟はDCで遊び、両親は見事に散らかった部屋をいろいろ整理してくれ、かなりスッキリした。更に車でホームセンターへ行き、雑貨用品やかねてからの懸案だった収納付きベッドを購入。それから横浜高島屋で兄と合流し、およそ2ヶ月ぶりに家族全員が揃う。初めて兄の家に寄るが、カーペット敷きでコタツも敷かれてて、私と違ってそんなに物が無いのでゆったりとした感じがする。その後は両親が泊まるホテルにチェックインし、部屋を少し見る。夕食はホテル近くの韓国風焼肉屋で、最後に出たニンニクの揚げ物はジャガイモのようにホクホクした食感でかなり気に入ってしまった。弟は兄の家に泊まり(毛布持参)、両親は再び私の家に行って整理の仕上げをしてからホテルに戻った。


2001/02/21

 『パパパパPUFFY』を見ていたら、サーペントくんの指摘通り大泉洋が「実写版人生ゲーム」の進行役をやってた。昨年の北海道大会ではステージからかなり離れた場所にいて遠目にしか見えなかったので顔をまともに見るのは初めて。進行が押してて帰りの飛行機の心配をしたり春一番にひっぱたかれたりしてた(笑)。


2001/02/24

 先週注文したベッドが届く。シーツを敷いたら押し入れからダンボール箱に詰め込んだままの衣類を下の引き出しに目一杯詰め込み、空いたスペースにこれまで使ってた敷布団と捨てずに残していて部屋の隅に放置していた15インチディスプレイを収納。更にベッド下奥側のデッドスペースにまず出さないであろうDC・PS2の箱(説明書・付属品は出しておいた)、そしてスーファミ・PCエンジン(箱・本体)を取り敢えず突っ込んでおく。これで押し入れにも少し余裕が出来た。…でも「捨てる」発想が無く、問題を先送りしている事に変わりは無いのだが(汗)。あとPC88なんかもあって、かなり容積をとっているのでやっぱエミュレータは究極のダウンサイジングだと思ったりもした(88エミュに必要なROMデータはもう吸い出しており、あとはイメージファイルを作るだけ)。


2001/02/27

 会社で日刊スポーツのサイトを見たら今年度の「日本ゲーム大賞」のノミネート作が発表されてたので受賞作を各部門ごとに予想してみる。

大賞ドラゴンクエスト7
最優秀ニューウェイブ賞ファンタシースターオンライン
海外作品賞DIABLO2
ゲームデザイン賞ゼルダの伝説 ムジュラの仮面
プログラミング賞DEAD OR ALIVE2
グラフィック賞劇空間プロ野球
パッケージデザイン賞ぼくのなつやすみ
キャラクター賞ホリ・ススム(ミスタードリラー)
シナリオ賞ドラゴンクエスト7
サウンド賞サンバDEアミーゴ


大賞系は割とすんなり選べたのに対し、部門賞はどれもかなり迷った。大体消去法で2つか3つには絞れるが、どれか一つとなると難しい。こうしてみるとFF9が入っていないが、全く他意はない。むしろ意外だと思ってるくらいだ。グラフィック賞にノミネートされた5作品のうち実に4つがスクウェア製品なのがこの会社の考えを如実にあらわしている。こここそFF9かとも思ったが、一般人へのインパクトを考慮してあえて劇空間を入れてみた(こう書くとキャラ賞の選択は矛盾するか)。


2001/03/01

 今までGGXしか入れていなかったDCだが、初めてDOA2を入れた。まずストーリーモードでかすみを選択。マニュアルを見ずとにかくレバガチャであれこれ遊び、何十回かのコンティニューをしてようやくクリア。次はタイムアタックモードで今度はレイファン選択。やはりレバガチャ+数十回のコンティニューでクリア。タイムは20分台だったかと(^_^;)。その後遅まきながらユーザープロファイリングファイルを作成し、新たに増えていたレイファンの衣装をそれぞれ1回ずつ選んでプレイして本日はおしまい。簡単に感想を書いておくと、キャラの動きが「リアル指向」なので高速な移動(走り込みや大きなバック)やあまり高いジャンプなんかができないので自分のプレイスタイルである「スピード任せのヒット&ウェイ」がやれなくてつかみどころがないように感じた。改めて取説に書いてある技のコマンド表を見るとその多さに閉口して一つ一つ覚えようという気が失せてしまう(これは『鉄拳』でも思ったこと。そう考えると大概の2D格闘ゲームのように単体の技の数を少なめにし、それらを組み合わせるシステムは遊びやすく感じる)。勝負の展開なんかも気が付けば勝ったり負けたりしてて、技を出したモン勝ち…のような気もする。良くも悪くも見せゲーという印象は拭えない。実際、私が前に出入りしてた@niftyの某パティオでは「女性キャラのコスチュームを集め終わったとたんピタッとプレイをやめた」という発言が続出していたし。


2001/03/06

 通勤中、電車の中で新宿から石和温泉の桃の花見へ特別列車で行くというJR東日本の旅行商品の中吊り広告を見た。ここで登場する列車が「快速・桃源郷パノラマ号」という名前なのだが、広告に載ってる車体がFIRE号(パノラマエクスプレス アルプス)である。この列車に乗れるのなら行ってみようかと思い始めてしまった。乗車には乗車券(定期券不可)+快速のグリーン券が必要で、新宿から乗る場合「スーパーホリデーパス」を使えば割安で済むようだが、それでも往復7000円ほど。運行日は4月7・8・14・15日(いずれも土日)。


2001/03/07

 gooで遊んでたらこんなサイトを見つけた。「あれ」はなりゆき&アドリブだったのか。


2001/03/09

 本日は『ドラゴンクエストモンスターズ2』(以下DQM2)の発売日。行きがけに新宿のYカメラに寄って貯まっていたポイントのみで購入。前作に大ハマリしていたので早速楽しみ。私が今の会社への入社当時、社内BBSでDQM大会をやろうという話があったものの実現しなかったので今度こそ実現できたらと考えている。でもあの時も賛同者が私を入れても3人しかいなかったしなぁ。しかもそのうちの一人はもう会社辞めちゃったし。それにしても定価6400円はGBソフトとしては高く感じる。アドバンスのソフトなんかも平気でこうゆう値段になっていくのだろうか。SFCソフトが1万円以上したように。来月出る「イルの冒険」編はさすがに思案中。商売の仕方がポケモンなみにえげつなくなってきた…。(;_・)

 昼食時、代金を専用のプリペイドカードで払おうとしたら…無い!! やむなく割高の現金払いに。Yカメラでポイントカードを出す際財布のカード類や名刺を全部床に落としてしまったのでそれでか。ちゃんと回収したと思っていたら…。しかもソフマップのポイントカード(ノンクレジット版だけど)も無くしてるーーーーーっ(ToT)。普段キャッシュカードやクレジットカードを(給料をおろす時しか)持ち歩かないでいるのが不幸中の幸いか。


2001/03/10・11

 この2日間はDQM2やりまくり、でもそればっかでも辛く感じるので気分転換にGGXもちょこっと(でも30分もやらない)。砂漠・海・氷の世界をクリアして、経験値稼ぎと配合に専念している状態。発売3日でのプレイ時間は14時間半ほど。ゲーマーから見れば決して長いほうだとは思わないが、他にも洗濯したりメシ作ったりもしてたし、一人暮しは楽じゃないのよ。


2001/03/12

 会社でウルトラフィルハーモニーの掲示板を読んでいると、『ハリウッド』のMP3データをDL出来るサイトが紹介されていたので速攻で落としにかかる。だがADSLレベルの回線なのにダイアルアップ並みの通信速度で、しかも一度失敗して2回目でDLに成功。会社の環境ではMOもCD−Rもサウンド機能もなく、いつも持参しているFD3枚に分割・転送。ちなみにそのURLはここ。ファイルサイズは3.6MBほどなのでDLする人はそのつもりで。帰宅後、早速ファイルを結合してプレイヤーソフトを立ち上げて鑑賞。うーーーん、大感激!! ドラムとベースから入る原曲バージョンで、音質も申し分ない。#quizでのチャット中も含め、寝るまで猿のように繰り返し聴きまくっていた。


2001/03/16

 朝、ちょっと体調を崩して会社を休んでしまうも夜には何とか回復。それでも体のだるさは抜け切らない。これは多分精神的なストレスであろうと気晴らしにDCパッドを握ってGGXをプレイ。今度は何度コンティニューしてでもアーケードモードクリアを目指そうと、何回かのコンティニューでやっとこさ8人目ザトーに初めて打ち勝ち、テスタメントも1回で切り抜けて(2−1だったけど)、いよいよラスボスのディズィーに挑戦。…全然歯が立たない。あらゆる技の攻撃力が恐ろしく高い上、テンションゲージの上がり方もやたら早い。まれに1本取れるかというところまで行ってもやっぱりダメ。何度コンティニューしても自分の力量ではどうしようもなく、結局クリアを諦めてしまった。やっぱこのゲーム、より強力なコンボを的確に出せるようにならないとダメだ。でないと勝ち組どころかまともに遊ぶ事すら出来ない。上級者向けだとやってて思ってはいたが、ここまでそれを強烈に思い知らされるゲームも珍しい(まぁ格闘ゲームは良くも悪くもその傾向が顕著にあるが)。でもとても良く作り込まれていて操作性も高いから動かしてて面白いゲームになってるのがせめてもの救いだから今後も一人で細々とやってくつもりだけど。


2001/03/21

 会社でメールチェックすると本社の上司から、今月いっぱいで今の現場との契約が終わるので、4月から本社に戻るようにと言う連絡が。


2001/03/23

 午前中に会社を中抜けして川崎駅へ。と言うのも今月末で今行っている会社との契約が終わるので次の仕事を取るべく面接を受ける事になっていたから。しかしこの日の私は時間が無くて朝食も昼食も食べていなかったり精神的にも絶不調だった。本社の営業と共に面接を受ける人と共に某会社へ。…ズタズタ。詳しくは書かないが、さすがに今回は思いきりヘコんだ。このまま家に帰りたい気分だが(近いし)、また仕事に戻るため新宿へ。


2001/03/30

 日本ゲーム大賞の結果が報じられ、先日ここでやった自分の予想と照らし合わす。

部門受賞タイトル予想結果
大賞ファンタシースターオンライン×
最優秀ニューウェイブ賞ファンタシースターオンライン
海外作品賞DIABLO2
ゲームデザイン賞ファンタシースターオンライン×
プログラミング賞ファンタシースターオンライン×
グラフィック賞ファイナルファンタジー9×
パッケージデザイン賞ぼくのなつやすみ
キャラクター賞ホリ・ススム(ミスタードリラー)
シナリオ賞ドラゴンクエスト7
サウンド賞ファイナルファンタジー9×

結果、5勝5敗。全然ダメぢゃん…(;。;)。PSOがこんなに賞取るのはかなり予想外(私はどちらかと言うとライトな方なんでコアな人から見たら妥当と思うのかな?)。グラフィック賞は予想した時、これはうかつだったかなと思っていたらやっぱりうかつだった。読みが甘すぎました。

 本日で今通っている新宿の会社との契約が終わり、次週から川崎の某社へ(実は先週の面接が受かってたらしい。命拾い)。これで通勤時間がグッと減り(うまくやれば20分程度になると思う)、勤務条件もそれ程ひどくはないようだから家にいる時間もこれまで以上に多くなるだろう。


2001/04/01

 幕張メッセで開かれる『東京ゲームショウ(TGS)2001春』に行く。今回の目玉は当然X−BOX。展示されていた本体を見たら非常に図体が大きく、買ったとしてらまず置き場所に困るシロモノ。ハッキリ言って今回の展示物はこれが全てだったと言って良い。一応『ファイナルファンタジーX』の映像も見たが、召還獣などで戦闘が異常に間延びする悪癖は健在のようで、改めてプレイする気が失せる事を再確認(FFは7の途中で止まっており、最近2作は全く手を付けていない)。いくら映像が美麗でも所詮一発芸なのを分かってないんだろうか。今回のTGSは使用ホール数が少なくなったり注目出来るソフトが殆どなかったりと、業界全体が閉塞しているのが分かるものだった。あとは目ぼしいパンフレット類をゲットして(中でもこれはというのを後日局長に郵送でプレゼントした)おしまい。


2001/04/02

 この日から職場が川崎になる。家からとても近くなったのは助かる。ここではそんなに忙しくなる事はほぼないようなので家に居る時間も格段に長くなるだろう。


2001/04/07

 今夜の#quizチャットでは松企画のオンラインクイズ、題して「逆走FIRE号!!」が行なわれた。参加者はNoda-shu、notinclud、Hayato、USK、SASA、zip、purikun、Love1、TMoperaO、Hina、そして私KYOSUKE。第1チェックポイントはタイムショック。解答はプライベートで出題者である松に送信。10秒ごとに6問連続出題を1セットとし、4セットの合計点が少ない2名が脱落。ただしノダシュー・らぶいちはハンデとして最初のセットに参加できない。問題はかなり易しく(「英語で高校はハイスクール。では中学校は?」とか「小説『バトルロワイヤル』中学生は読める? 読めない?」といったレベル)、落ち着いてやればまず大丈夫という手応え。2セット目でAkahideが、3セット目で自主規制神が入室してそのまま乱入(笑)。

[BIRDmatsu] と言う訳で結果発表。

zip6566 23
purikun6656 23
KYOSUKE 6466 22
Hayato6456 21
SASA6465 21
Hina6455 20
notinclud5536 19
TMoperaO6445 19
USK6535 18
Love1-555 15
Noda-Shu-546 15
akahide-555 15
kami--66 12


まず2セット遅刻の神が失格(爆)。15点3人による同点決勝により、らぶいちが次の敗者に決まった。

2ラウンドは「土合心拍数クイズ」。基本は早押しだが、答えるためには松が提示した文章をプライベートウィンドウにタイプしなければならない。誤答は指定された追加のフレーズをタイプする。終了時にポイントの低い2名が失格。松「ちなみにコピー&ペーストも可能ですが、皆さんを信じます」。最初に打ち込むフレーズはこれ。

駅舎から延びる連絡通路を通っていくと、地下ホームへの長大な階段に通じる。下りホームへは、一直線に延びる462段の階段を降りて行かなくてはならない。階段は5段ごとに踊り場が付いている。階段の片側は、将来設置が計画されていたというエスカレーター用スペースがあるが、今となっては永遠に使用されることはないであろう。階段を降りること約10分で、下り地下ホームに到着する。すなわち、列車が到着する10分以上前に、地上駅舎の待合室を出ないと間に合わないことになる。階段部分は薄暗く、湿気も多い。地下ホームも照明は十分でなく、単独で行くのは結構勇気がいる。近未来SF映画の核シェルターのロケとかに使えそうな所だ。しかし、一日たった5本の列車のために、このような巨大建造物を造ってしまったということは、さすが旧国鉄、やることがすごい。これだけの産業遺跡は、そうそう無いであろう、ってもう遺跡になっちゃったわけでは無いんだけどね。

松はこのフレーズを2分45秒で打ったとのこと。始まって5分経ったあたりから復活者が続出し、私は入力に8分以上かかり最下位。早押しでは押し負けが相次ぎ、あせって自爆する事も。そして誤答して復活するために打ち込むフレーズはこれ。

右側のみ使用のスペースは、エスカレーターを設置するためのもの。トンネル内部はコンクリート打ちっぱなしで、核シェルターの入り口のようだ。階段内部には、「ごみは捨てずに、絶対に持ち帰ってください。」と言う看板があった。階段の中に捨てられたゴミは、おいそれと掃除できないから、これは切実な問題なのであろう。

これをタイプするのに3分もかかった。結局最低得点者が私を含めて5人いたので残りの席をかけての1○1×で何とかラスト抜け。

3ラウンド「浦佐捜索クイズ」。このクイズにはブラウザを使う。提示された画像を松から徐々に出されるヒントを頼りにネットのどこにあるのかを探し当て、正解のURLを提示できた6人が勝ち抜け。まず開始3分でHinaが1抜け! 10分経過して4人が勝ち抜けたが、ここから全く勝ち抜けが出ない。40分経過したところで私が勝ち抜けて、TMoperaOがギブアップ就寝。ラストにSASAが滑り込んだ。

4ラウンド「日野春3人バラバラクイズ」はABCを2つずつ振り分ける(「ABCABC」「ACBCAB」など)。1問ごとに順番をスライドさせ、ABC全ての地点で正解させれば(「AABBCC」と振り分けた場合、1か2問目、3か4問目、5か6問目をそれぞれ正解すれば)勝ち抜けとなる。ところで時刻はもう3時半。続きは明日にしようかという案が出るが、結局2セットに分け、私・Hina・zipの3人の対戦で水入りさせることになった。まず私の振り分けは「ABCCBA」。1・3問目を私が正解して真っ先にリーチ。そこからがなかなか正解出来ず、12問目でzipに1抜けされるも、17問目でようやく残りの「B」を埋めて決勝進出を決めた。疲れた…。だってもう4時だもん…。今回の接続時間は3時間半。テレホーダイに入ってないので電話代が恐い…。これを気にテレホーダイ契約を決意したのだった。


2001/04/08

 昨夜の続きをやるために#quizチャットルームへ。挑戦者が私・プリ君・局長の3人しかいないのでそのまま決勝へ。まず3ポイント先取の早押しで1人落とし、残り2人で更に4ポイント先取の早押しで優勝者が決まる。まず最初の3問を3人で分け合い、8問目で私が1抜けし、プリ君がそれに続き、最終決戦。5問やってスコアは4−4。6・7問目をプリ君が正解してリーチ。そして


[matsu] 問題:
[matsu] 身長140センチ、
[matsu] 体重20キロ。
[matsu] 昨年の11月に
[matsu] 発表された、
[matsu] 中国の
[purikun] ?
[matsu] プリ君!
[purikun] 先行者!!!
[matsu] ・・・
[matsu] ファイヤーーーーー!!!
[purikun] なんだこのウイニングアンサー(笑)
[matsu] と言う訳でプリ君優勝!!

(;_;)


2001/04/15

 アタック25を見終えると、まだ新宿の定期が残ってるからと電車に乗る。まず渋谷へ寄ったらハチ公前広場で田中真紀子が街頭演説をしていて(小泉純一郎もいた)、物凄い人だかりだった。おかげで駅に戻るのに一苦労。次は新宿駅で以前書いた「桃源郷パノラマ号」を見る。車体の写真を撮る鉄っちゃんがたくさんいた(^_^;)。各車両を眺めてみるが、座席数が思ったより少なく、これでよく150人の高校生+スタッフを入れられたよなぁという感想を持った(確か今回もあの時も6両編成だったはず)。心行くまで鑑賞したら新宿の街中を散策した。今後新宿へ行くことはあまりないだろうし。


2001/04/28

 某氏に頼んでおいた20回高校生クイズ北海道・中部の番組のビデオが届いたので見る。まず北海道から。まずおまけで大会前日に放送された「ピカピカスピカSTV」(福永アナや福澤アナが出てて、第1問のヒント・クマのきぐるみがサッカーボールを蹴っているところを発表)を経て番組本編。18回・19回の決勝、そして前回優勝の札幌南高校クイズ研の映像(今年の川越高校は絶対こうゆう取材入るだろうなぁ)から始まってモエレ沼公園へ。YES−NOクイズは全5問放送されたのはまずOK。でも準々決勝は問題を1問しか流さなかったのはいただけない。何故かどの局も三択クイズをきちんと流さない。問題を流さなくてもクレーンからのカメラで高校生が前進していくさまを流すだけでもちゃんと絵になるのに。で、敗者復活戦では例の福永アナ登場シーンで高校生が見事に引いてる顔や「フクソン・グレイシー 福永俊介」のテロップがバッチリ流れていた。収録の時も思ったのだが、お題を抽選する時に喘ぎ声みたいのを出すのは気持ち悪いからやめてもらいたい。合間に流れた地元専門学校のCMに「一日体験入学のインターネットライブに大泉洋が来る!」というふれこみがあって、北海道での大泉人気を再確認。見た所提示された条件は全て放送されていた。まったく、STVの持ち物チェックへの注力は尋常ではない。準決勝と決勝はちょっと掻い摘んだ感のある編集だったが十分見た気になれた(あまり時間を取りすぎるとだらけるし)。60分番組でこれだけの内容なら満足。

 続いて中部。岐阜高校・川越高校クイズ研らのインタビューを流してから福澤アナ登場シーンとなるのだが、途中でセピア色のフィルターをかぶせたりと訳の分からない演出を施している。福澤アナのあらゆるセリフにテロップを入れたり、近年のバラエティーで大はやりの、画面の端に各シーンの小見出しを入れたりと「字を入れすぎ」。「ファ」の発音とか「イヤーン」の掛け声とかをいちいち流すな(これは東北も流してた)。大前さんもFQUIZに書いてたけど今回の中京テレビ(CTV)の編集はどうかしてる。そして板谷アナがNTV女子アナの名前を答えるシーンでは答えた人の顔写真が全て映されていた。YES−NOクイズはだいぶカットされてて物足りない感じがしたし、準々決勝の三択も他と同様全くといいほど流さなかった。問題は我々ウォッチャーが見られなかった準決勝だ。司会は本田アナで、各県1チームずつ4グループによる団体戦。各グループの代表チームで早押しを行ない、正解すると1ポイント入った上で名古屋の女子高生50人に聞いたアンケート問題に挑戦。答える前にヒントとして5人いる女子高生のうち2人に何と答えたかを教えてもらえる。各チーム1つずつ答えていき、1位5点…5位1点で、累計15ポイント取った2グループが決勝進出となる。最初に正解したグループは11ポイントに終わるが、あとの2セットでそれぞれ正解したグループが15ポイントに達してあっさり終わった。これはつまらん。ちなみに川越は何もせずタナボタで勝った。決勝ではどの県の対戦も1問目を流したあと板谷アナによる途中経過を説明するナレーションでクイズを省略し、勝ち抜けを決めた問題だけ流して済ませていたが、三重県の対戦だけそれをやらなかった。とにかくYES−NOクイズから一貫して川越高校をえこひいきした編集でもあった。もしやCTVは川越の優勝を知ってああゆう編集をしたのか?


2001/04/29

 GGXのアーケードモードを初めて一発でクリアする。でもラスボスのディズィーは一撃必殺技に頼りきっていたのであまり褒められたものではないが。ところで各キャラの一撃必殺技の中でもやはりミリアの「アイアンメイデン」は段違いに使える。何せ遠方からでも当てられるし(他のは相手に接近してないと当てられないので実戦ではほとんど使えない)。


2001/05/01

 午後1時、原くんを家に招き入れる。引っ越してから家族以外の人間を家に入れたのは彼が初めてだ。目的はその原くんが出演した番組のビデオ鑑賞。まずは『渋谷でチュ!』。その回のゲストは坂本真綾。客がゲストの魅力を語るコーナーでバッチリ映っており、本人は「正視できない」と私のパソコンチェアの上に顔をうずませる。でも番組でのトークはロクに聞いておらず(もうこの番組の目的は果たしたもんな)、坂本が15回高校生クイズに出ていたらしい(16・17回は不明)という話を2人でしていた。そういえばいつだったか何かの声優雑誌に「今年の抱負は?」というアンケートに坂本が「高校生クイズの関東大会を突破したい」と回答してた記憶がある。それに付随して私が「池澤春菜の声ってさぁ、(14回高Qで優勝した)石橋高校の中島さんの声に似てないか?」と言うと、原「いや、もう1オクターブ高い」。どうも彼のいた栃木高校では彼女の声はかなりブーイングものだったらしい。

続いては、椎名へきるがゲストだった「テレホンショッキング」。椎名の登場時に客がほとんど無反応だったり、タモリもいかにもやりにくそうな感じが伝わってきたり、次回ゲストの坂井真紀とのいかにも事務的な会話(原「どんなに調べてもこの二人のつながりが分からなかった」)。いくら武道館をいっぱいにしようと世間一般には通用しないのを再確認させる事になるもので、この回の客はみんな「誰だか知らない」のでハズレを引いたと思っただろう。さぁ、これが林原めぐみだったらどうなるか!? 日高のり子がゲストだった時はちゃんと反応してくれたらしいけど。こうゆう時話題になるのが「最も日本国民に知られている声優」で、きまってあっさりと大山のぶ代という結論に達してしまうのだが。

そしてこの鑑賞会の目玉、原くん+松が出演した『DAIBAクシン!』の「チアチェキ」のコーナーだ。当人の解説+裏話付きで視聴。松は闇駒メンバー扮する「カッタン隊」に拉致られるシーンでマジ蹴りかましてたらしいがオンエアされてなくて残念(爆)。他にも松がチアチェキとの早押しクイズでマジ押ししてたり、原邸のガサ入れなど、あらゆるシーンにとにかく爆笑。自分の知ってる人間が出ている番組を見るのは実に楽しく愉快だ。見終わって、原「喜んで頂けましたでしょうか(稲川淳二風)?」。

 今度は私のビデオを披露する番だ。まずは18回高校生クイズの中国大会。第一問をメモしている私と原くんがアップで映ってるシーンを皮切りに、四国岡山大会・九州大会(原「バトルロワイアルを先取りしている」有明高専の服装や、決勝で林原めぐみを答えさせる問題が出た場面で大盛り上がり)へと続き、さらにFNSクイズ王決定戦のちぴっ子大会と第2回グランドチャンピオン大会(要するに若き日(全盛期?)の松)。「口調が全然変わってねぇー」とご満悦の原くん。そしてまた高校生クイズに戻り、19回北海道の敗者復活戦・東北・中部の敗者復活〜決勝。最後に先日届いた20回北海道・中部で締めくくった。時刻はもう11時半。原くんを最寄駅まで送って今回の鑑賞会は幕を下ろした。チアチェキ、今度は#quizの皆で見ようなぁー>原くん


2001/05/03

 かねてから報じられていた、高校生クイズの特別事前番組を見る。西武ドームのピッチャーマウンドの上でまず福澤アナがさっさと番組引退を表明し、後任のラルフ鈴木アナとのやりとりを中心に構成されている。それ自体は別にどうというものでもないが、注目すべきはやはりYES−NOクイズから「○×クイズ」への名称変更だろう。ここで私が思ったのは、ウルトラクイズがない今安心してこの名前が使えるということか、あるいはもうウルトラクイズはやらないと宣言しているのだろうか、というものだった。それと各予選日程と出場者募集告知も差し込まれているが、昨年の再放送ほどしつこくはなかったな。感想としては、これを見た高校生が「出たい」と思わせるような内容でもなかったなというもの。あと気にかかるのが、スタッフロールに総合演出のE氏がプロデューサーとして名前が出ていたことだ。今回の番組に限るのか、本編でもプロデューサーに就任するのかは分からないが、その可能性は多分にあるだろう。あの移動好きが更に権限持ったら我々がたまらんぞ(爆)。


2001/05/06

 GW最後の日、アタック25を見終えてから家を出て、20分ほど歩いてナムコ直営ゲーセンのナムコワンダーシティーに初めて行く。1Fは体感系ゲームや豊富なレトロゲーム。特に目を引いたのは、タイトルは分からないが電気椅子のゲーム。コインを入れたら左右2本のバーにそれぞれの手を握る。バーからは電流が流れ、徐々に強くなって何ボルトのところで手を離すか…というもの。これにはやたら興味を引いたがプレイはしなかった。2Fはメダルゲームのオンパレードと、マニア向けのアーケードゲームはほとんどなく(せいぜいレトロコーナーに『スーパーストリートファイター2』があったくらい)、明らかに一般の人をターゲットにした構成になっている。実際家族連れやカップルが大半だったし、駐車場完備のゲーセンなどそうはあるまい。でも私がやったのはワニワニパニック1回だけ。


2001/05/20

 『DQM』をやっていて、今の手持ちキャラで「はざまのせかい」をクリアできるかなと、最強の布陣で挑戦。ダンジョンは思ったより浅く、多少てこずりつつも何とかドークを倒した。そしてエンディングへ…。ここまでの所要時間は50時間ちょいで、だいぶ時間のかかった方であろう。今後の目標は更なるモンスター集め・経験値稼ぎ・配合、そしてテリー謁見だ。


2001/05/24

 本日放送のミリオネアに高クイ観戦仲間の石井茂治くんが二度目のスタジオ入り。前回は早押し並べ替えで散ったが今回はトップでセンターへ。ライフラインの使い方も概ね適切だったと思うし、何より11問目での彼の勝負強さに驚き。結果は15問目でドロップアウトして750万お持ち帰り!! ミリオネアにこそならなかったけどこれは立派。やっぱあの問題は考えようがない(知識でしか答えようがない)しね。石井くーん、これで今年は旅費の心配なく全ブロックを回れるね。あとは後日チェックされてもいいように家の改築ですな(笑)。


2001/05/25

 #quizのチャットに入ると、高校生クイズ公式サイトで予告されていた模試がスタートしたそうなので早速アクセス。内容は50問ずつ出題される○×・三択の正解数を競い、トップ10に入るとランキングに名前が入る。私がやってみたら三択でだいぶてこずりながらも79点。その時点での全国ランキング7位に踊り出た。

チャットの合間に『キングオブクイズ』の予選案内を見たらBSデジタル環境が必要であることを知りガクー。てっきりweb上で問題が出るものだと思ってた…。今BSデジタルの機材って最低でも10万近くするし、窓のすぐ目の前にビルが遮っているウチの住宅環境ではBSはおろかCSさえ絶望的。ちょうど南南西の方角にだけ空が見えるからうまくやれば電波拾えるかも知れないが、リスクでかすぎ。


2001/05/26

 休日。給料おろして家賃振り込んだついでに川崎駅周辺を散策。ヨドバシのBSデジタルコーナーへ寄ったら『キングオブクイズ』の再放送をしていて、私が見た時点では11問目にはいっていた。11・12問目は簡単だったが最後の問題は分からなかった。対戦では10対2で慶応クイズ研OBの神野芳治くんが勝利したが、13点に満たなかったので賞金は50万に減額+敗退(それでも総額450万だもんなぁ)。

 昨日やった模試のランキングを見たら満点が続出。やっぱこうゆうのは何回でも挑戦できるというのはつまらんな。メーリングリストを登録した人だけを対象とし、アドレスをチェックする事で1回しか挑戦できなくした方がいいように思う。


2001/05/27

DQMでいよいよテリーとご対面。でもモンスターが強くて今の手持ちモンスターでは全く歯が立たず。


2001/06/02

 突破支援局の2周年特別企画であるインターネットラジオライブを聴くためにアクセスするも、ことごとくサーバーへの接続を拒否されてしまうか、データが来てもすぐにバッファが無くなり一瞬(1〜2秒程度)しか音が出ない。サーバーへの接続を切られる度に再接続を繰り返すこと十数回。それでも事態は変わらず結局途中で聴取を諦めてしまった。原因は接続者が多くてサーバーがパンクしたからなのは明らかだ。他にもダイアルアップ回線でこの手に企画に参加する事が無謀と言えたかも知れない。そろそろADSLの導入を本気で考えなければならない時なのだろう。テレホーダイに入った途端休日の生活態度が不健康になったし(笑)。放送終了後、局長がチャットルームに出てくると(放送中はチャットしていなかった)、聴取者数は常に40人を超えていたとの事。「そりゃKYOSUKEさんはつながらんわけだ」という発言が見られたが、その人数でパンクするか。突破支援局の普段のアクセス数を考えれば、私と同じ目にあった人がもっといた事は容易に想像できるのだが、局長はその辺どう考えていたのだろうか。


2001/06/04

 家に帰ってからタイムショック21を見る。今回は一般からの10チームでビジュアル早押しをやって1問正解でファイナル進出というルール。でもかなりザックリとした進行であまり感心できなかった。どんな人達が出ていたか全然分からなかったし。ミリオネアみたく最初に全てのチーム名とメンバーの顔はちゃんと紹介しておくべきだ。出張タイムショックも間延びした印象であんまり面白くはなかったし(#quizのチャットでも「カイヤ逝ってよし」って発言あったし)、芸能人最強決定戦シングルスなんてもう勘弁してくれよって感じ。最初の10チーム対抗で1時間もたせて欲しかったなぁ。


2001/06/08

 GGXのサバイバルモード、ここしばらくLv20テスタメントで終わっていたが、本日は調子よく自己記録をLv67に更新できた。


2001/06/09

 床屋行くついでにヨドバシのBSデジタルコーナーで『キングオブクイズ』の再放送を今度は最初から見る。番組の雰囲気はチープではあるが悪い感じはしない。問題は全体を通してかなり易しく、(今回の放送を見る限りでは)クイズの勉強をしている人なら13点は楽に取れる。だが裏を返せば視聴者が番組出場を狙うなら全問正解しないと厳しいということでもある。実際、番組HPのランキングを見ると全問正解がゼロで12問正解が数人というパターンが多いので間違えられるのもせいぜい1問ということになる。私も出場者と同じようにポイントを賭けながら見たが、結局正解数10問で16点。番組の勝者は18点とってたのでダメダメです。

 番組を見終えた後ゲーム売場に寄るとPS2(青箱)が36800円で売られており、数箱しか残っていない。これからのゲーム機戦争で価格競争がもう始まっている事がうかがえる。しばらく経ってから『グランツーリスモ3(GT3)』同梱バージョンのPS2(赤箱)が大量に搬入・設置された。値段は39800円。でも私が見たら客は立て続けに青箱を選び、あっという間に赤箱だけが残る状態となった。この価格設定、つーかこの販売戦略は明らかに失敗だったと言えよう。やっぱ欲しくもないソフトに3000円も払いたくないのは消費者として当然でしょう。


2001/06/10

 午後3時、高校生クイズの特別事前番組パート2を見る。ここ数年、新聞のテレビ欄にはあたかも新作番組を作ったかのような表現をしておいて(「再」の文字自体がない)実際はただの再放送というパターンが続いていたが、今回はちゃんとした新作番組になっていて、昨年の半チクな構成とは違ってかなり楽しめる内容になっていた。過去に出題された問題や形式をタレントにやらせるのもよかった。しかも出題は(全てではないが)ラルフに読ませるのではなく当時の映像を使うところが素晴らしい。更に昔のいろんな映像の指し込み具合は昨年のやつよりもずっといい。5回の準々決勝で弘前高校をワンカット映してたし、6回の決勝で東大寺学園がボタンを押して大前さんが答えようとした所(^_^;)、14回の決勝後に「はまお」くんのインタビューシーン(昨年同様それに続いてスーパー八木橋のエピソードに進むのかと思っていたがやらなかった。高校生クイズ史上一二を争うエピソードなのに残念(?))とかが個人的にはツボかと(^_^;)。しかし完璧な内容だったかと言うとそうでもない。11回と13回の準々決勝を紹介していたのにそれぞれ東大寺学園とラ・サールの一発大逆転が流されなかったり、5回東北での相馬高校を紹介しなかったり、2回の決勝で伊勢高校のアップ映像を使っていたが個人的には宮城一女のを使って欲しかった(^_^;)など、挙げ出したらキリがないのだが今一つ掘り下げが足りない感じは否めなった。使った映像も昨年同様明らかに全国放送で使われたものからの抜粋だろうし。他のコーナーについては、ラルフと福留の対談はまだいいとして、第1回で優勝した山形南高校のリーダー・伊豆倉正さんを訪問する企画はいらなかったと思う。それよりもっと昔の映像を流せと思った。そしてスタッフロールにはパート1に続いてプロデューサーとしてE氏の名前が(逆にH氏の名前がなかった)。それはともかく、これなら高校生に「出たい」と思わせるに充分な内容であろうというのが今回の番組全体の感想である。ほらぁ、やれば出来るじゃーん>スタッフ

 でもさぁ、新しいシャウトフレーズ「POWER」って叫びにくいし言葉にキレがないよ。それだったらまだありがち過ぎてヤダなぁと思ってた「BOMBER」の方がいいなぁ。こんなフレーズが向こう10年続くのか…。#quizのチャットでは「BURNING」って案があって、これなら意味的にも充分引き継げるしラルフっぽいフレーズだなと思ったもんだけど。


2001/06/17

 運転免許更新のため二俣川の試験場へ。日曜は特に混むと通知葉書に書かれていたが、受付終了時間に近かったからか特に混んではいなかった。写真撮影と書類提出をして、その合間に局長の携帯にかけて沖縄大会の結果を聞き出してから優良(私の場合は完全に「無」なのだが)運転者講習を受けて更新された免許証を受け取る。そして横浜駅界隈に寄ってデイバッグやら日焼け止めやらの買出しをしてから帰宅。


2001/06/23

 午前7時過ぎ、夜行バスが広島駅に到着。しばらく駅周辺を歩いていると近くに住む吉田友彦さんと落ち合う。しばらく話してから荷物の一部を彼に預け、私は山口へと向かう。山陽本線で3時間かけて小郡へ向かい、さらにそこから山口線で30分かけて(非電化路線に乗るのはこれが初めて)山口駅に到着。所々で見かけた古本屋で立ち読みを繰り返すも目的地の山口高校に辿り着く。これで「全国大会会場の旅・ホーム&アウェイ編」が全て終了した事になる。でも物凄い雨。通りかかったファミレスで昼食を済ませてとっとと同じコースで広島に戻った。山口にいたのは実質3時間。でも移動に往復7時間(^_^;)。今度は吉田さんの案内のもと、広島の市街地を回る。ここでのメインは今年オープンした地下街「紙屋町シャレオ」。その中央広場は昨年の中国大会の決勝地で、その時勝ったチームのメンバー全員の署名が入ったプレートが埋め込まれているのだ。それを見てからは適当に周辺を回り、広島バスセンターから今晩お世話になる吉田邸へと向かう。見るとかなり狭い上にいろいろ乱雑している(^_^;)。予め録画してもらった本日の『TVおじゃマンボウ』や数年前の高校生クイズの番組ビデオを見せてもらってから就寝。


2001/06/24

 起きたのは確か午前5時半くらいだったと思う。身だしなみを整え、荷物をまとめて6時過ぎに吉田邸を去る。しばらく歩いてから広島駅で夜行バスでやってきた局長とHiroくんと合流。雨の中また歩いて第一会場に到着。リハーサルの様子を見るが、今回大画面はなくステージがなんともショボい。でも両脇にある「POWERポール」から巨大な火を吹くのには驚いたが。クイズが始まる頃、局長の携帯に電話が入る。それによるとなんと、今日空路で広島入りするはずだった石井くん、大前さん、ひなくんの乗った飛行機が濃霧の為羽田に引き返したとのこと。10時5分に広島テレビの藤村アナによる前説が始まるが、相変わらずの寒さ。10時25分ごろに鈴木アナが登場。今年は毎回ステージを降りて、高校生に囲まれた格好で第1問を読み上げ、○と×のエリアへと向かう高校生にいろいろインタビューする。正解発表をして敗者を捌けさせる最中にもラルフはステージから降りて高校生に話しかける。この演出は決勝まで徹底されており、非常に好感が持てる。参加者数は1118チームと中国大会では久し振りに1000チームを上回る盛況ぶり。第1問はなかなかいいご当地問題。正解発表は会場後ろを正解が書いてある列車が走るというもの(9回の東北と同じ)。今年の○×クイズはかなり易しく感じる。先週の沖縄も全問正解だったし。でも開幕以来の連続正解数は14問で途切れたが。結局11問で各県8チームが決まった。

 準々決勝は各県2チームずつ4グループに分かれての団体戦で、問題が出てから荷物をコンテナの中にいち早く収納したチームに解答権。正解するとそのグループに専用問題が1チームごとに出され、正解すると1ポイント入って次のチームへバトンタッチ。不正解だとそのセットは終わりで引っ越しに戻る。専用問題で累計8ポイント取った2グループが準決勝進出。でも高校生のレベルが低く、終わるのに1時間40分かかった。我々はすぐさま移動を始め、元宇品にある第2会場の「スノーヴァ広島」へと向かう。路面電車で元宇品へ行き、そこからだいぶ歩いて着いた時には玄関前で準決勝が始まっていて、鳥取県の対戦をしているところだった。

 ルールは県ごとに行ない、壁で3つに区分けされた4段のセットがあり、各段に各チーム、各区画に各メンバーが並んでのボードクイズが出題され、チームの全員が正解なら勝ち抜けとなる。米子東高校は2チーム残っていたが、両方ともここで敗れた。ここで気になったのはどの県の対戦も同じ問題を使い回していたこと。4県全ての対戦が終わった辺りで羽田から急遽新幹線でこちらに向かった大前さんとひなくんが現れる。

 この会場はスノーボード専用の屋内施設で(船橋の「ザウス」みたいな所と言えば分かりやすかろう)、決勝はその中で行なわれる。ルールはゲレンデをソリで滑って早押しボタンを目指し、正解ならその人が抜け、3人抜ければ全国大会進出という、高校生クイズではありふれた企画だが、まるで冬の大会を見ているようだ。5時に始まって、1時間くらいで何とか終わった。帰りはひながレンタカーで来たのでそれに乗る予定が生憎定員オーバー。誰か1人離脱する事になるのだが、ここから広島駅行きバスの運行スケジュールや、残り滞在時間に余裕の無い私が抜けることとなった。7時前に広島駅に着き、マックで夕食を食べてから7時40分発の横浜行き夜行バスで帰った。


2001/07/06

 会社が終わるとそのまま家には帰らず、ワンダーシティーに立ち寄って『太鼓の達人』をプレイ。「ちょこっとLOVE」をクリアするも2曲目の「翔べ! ガンダム」でサビの5連打のタイミングを掴み損なって失敗(;_;)。やはり連打部分を片手でやってしまい、ついていけなかったのが敗因であろう。


2001/07/07

 毎週のようにやっている川崎駅周辺散策の途中、大きめのゲーセンで前日に続いて太鼓に再挑戦。1曲目の「GOLD FINGER '99」をサクっとクリアしてガンダムに再挑戦。前日の失敗を踏まえて今度はサビの5連打をちゃんと両手で行ない、おかげで102コンボくらい出来て余裕のクリア。でも成功率が92%くらいだったから全然「下手」の部類であろう。このくらいのランクならもう少し練習すればパーフェクト取れるだろうし。感想としてはゲームシステム自体が単調で何か底が浅いような感じがした(難しい曲をやってないからそんな事が言えるのだろうが)。あと「太鼓を叩く」をいう行為に快感を見出せる人が世の中にどれだけいるのだろうかというゲームとは別の疑問点もある。DDRとかと違ってパフォもやりにくいだろうし。


2001/07/08

 たび割7きっぷを使って朝イチの新幹線で高校生クイズ北陸大会を見に新潟へ。私の二つ前の席には原くんがいたのでしばらく通路でいろいろ話していたが、東京駅を出発すると自分の席に戻って寝る。この便に乗り遅れないように昨夜はあえて徹夜していたのだった。会場に着いて局長らと合流。今回の目的の半分は今回参加する局長の妹だったりするのだが(^_^;)。ステージの後方には「P」「O」「W」「E」「R」とそれぞれ書かれた5個の巨大サイコロが置いてあり、準々決勝が先週の四国岡山でやった「スーパーPOWERクイズ」である事がハッキリ分かる。そして信濃川を背にした脇の広場に早押しテーブルが16台並んでいるので準決勝まではここでやる事が分かる。どうやら今回移動はなさそうだという話を局長はしていたが、私は信用せずに情報探しをするが、あっけなく調査完了。なんだ、移動あるじゃないか。皆に決勝地の名前を伝え、場所捜しを仲間に任せて私がした事は昨年から使われた『ハリウッド』アレンジバージョンの録音である。一応2回演奏されて録音には一応成功。風の音やガヤが入るのは仕方ないとしても、2回分とも高校生への注意事項を伝えるEディレクター(プロデューサーに就任したんじゃなくって?)の声が入ってしまっているのが何とも心残りだ。その後局長はweb担当の女性スタッフSさんに突破支援局を「公式サイトよりスゲー!」とお褒めの言葉をもらったりもしていた。そこで私をちょっと失言してしまい局長にお咎めをくらう(爆)。テレビ新潟の鈴木えーもんアナの前説を経て10時にラルフ鈴木アナ登場。ところで局長の妹だが、なんと○×クイズを突破し(局長はその事をスタッフに喧伝していた)、準々決勝でPOWERサイコロが頭にぶつかって一時退場するも(爆)何とか勝ち抜け、準決勝進出! ラルフをはじめスタッフやギャラリーからすっかり注目されるも結局そこで敗退したが、ラルフからのインタビューも受けたし、局長兄妹はすっかりご満悦。決勝地は長岡市の「千秋が原ふるさとの森」。残った観戦メンバーは私、原、局長、大前さん、石井くん、自主規制神、ペコちゃん、SASAくんの8人。このうち神とSASAが車で来ていたので分乗して移動。高速道路を使っても1時間はかかり、会場についた時にはもう最初の福井県の対戦が始まろうとしていた頃だった。従来のように公共交通機関を使ってたらとても見られないところだった。自家用車の機動力が十二分に発揮した今回の移動だった。そこでweb担当スタッフA氏が局長に「お前の妹大活躍だったなぁ!」と声をかけていた。6時半に決勝が終わり、長岡駅で神・ペコちゃん・石井くんが先に帰り、残った5人で駅ビルの定食屋で夕飯をいただく。それまでいろいろ喋っていた我々だが料理が出たとたんに黙々と食べ、終わるとまたもとのトークに戻る。適当な時間になったところで解散。新幹線で家に戻ったのだった。


2001/07/12

 また一つ、歳をとってしまった(;_;)。そんな訳で夜の#quizチャットで誕生日についての話題を振る。そこでのログの一部を抜粋

[******] あえてお祝いを申し上げます(をい
[*******] こんばんは。おめでとうございますー>KYOSUKEさん
[KYOSUKE] おめでとうなんて言ってられるのはハタチまでじゃい!
[KYOSUKE] そっから先はもう歳なんか取りたくないと思うもんじゃい
[***] 19までだと思う(泣)<20になった瞬間かなりブルー入った奴
[****] 今度おめでとうと言われるのは、多分60以上だろう(笑)
[KYOSUKE] これでラルフと同い年とは思えねぇ(泣)


2001/07/15

先週同様「たび割7きっぷ」を使い、朝イチの新幹線で高校生クイズ東北大会を見に行く。それについてはいずれ別に書くが、初めてサーペントくんに会えたのが収穫。北上駅の上りホームに着いたらスタッフと遭遇! Eディレクターに「藤田どうしたぁ!?」と訊かれ、もう今日中には帰れないので野宿するそうだと答えたら「野宿ぅー!?」。接触終了(笑)。残念なことに「Eさんプロデューサーになったんじゃないんですか?」とは訊けなかった(爆)。しかも帰りの新幹線の指定席がなんとスタッフと同じ車両だった。同じ車両の指定席を取ったAkahideくんは自由席に逃げ込んだが、私は平然と切符通りの席へ。スタッフの車内での様子は結構なごやかな雰囲気。でもヒゲのTプロデューサーが完全に私を意識して「何書かれるか分かんないぞ!」と言い回っていたので、いつもは多少はハジケてるのかも知れない(もっとも、疲れ果ててる筈の彼らにハジケられる程の気力が残っているのかは疑問だが)。


2001/07/19

 川崎での勤務が終わると自社の親睦会に出るため秋葉原へ向かうが、先に駅前広場で開かれている「AKIBAX」という新製品展示イベントに寄る。目立つのは各社によるJava機能搭載携帯電話のアピール攻勢。あとはADSLを軸としたブロードバンド関係かな。ところで駅前広場はこのイベントが終わると閉鎖される事になっているのでその見納めの意味もある。この街に将来地上波デジタル放送用に高さ500m級の「新東京タワー」が建つという報道がなされているが、実現するのだろうか? この日はファイナルファンタジーXの発売日なのだが、そんな事はどうだっていい。

 そして本社にて、ボーナスが手渡された。額は0.9ヶ月分ってトコ。それでも全然期待してなかったので結構満足した。


2001/07/20

 夜、世田谷の松邸に初めて遊びに行く。壁に木材をふんだんに使ったログハウスのような内装でかなり立派な家だった。松の部屋に入ると大量のCDと音楽ビデオが並んでいて、彼の音楽に対する思い入れがうかがい知れた。私の他には神とノダシューが来ている。また、松が流しているインターネット生放送のラジオ番組のナレーションもちょっとだけやらせて貰った。番組が裏モードに入ると私も喋っていいことになったが、口下手な私は何も喋れずさっさと切り上げてしまった。そもそも私の目的は「松邸襲撃」であり「ラジオ出演」ではないから。その後は松のマシンでテキトーにネットサーフしてから毛布を借り、4人で雑魚寝。


2001/07/21

 まだ松邸。4人の中で私だけひょこっと起きて、またネットサーフしてから昼過ぎに松邸を去り、そのまま家に帰った。


2001/07/22

関東大会。


2001/07/29

 本日は参院選。昼過ぎに近くの小学校へ投票に行く。しかし昨年暮れの引越しの関係で投票者名簿がちゃんとしておらず、選管側の応対にだいぶ待たされてやっと事を済ませる。夜に速報を見ると自民完全勝利で「クソつまんねー」。深夜になっても保守党が議席を確保しておらず、今回の選挙最後の楽しみは「扇千景落ちろ」だったが、明け方になって扇の当選が決まり、一つも面白くなかった。念のため書いとくと、私は基本的に無党派です。


2001/07/30

 今週は丸々夏休み。昼間川崎へ行って新しい服とかを買ってきて、夜は冷蔵庫を空にする為にちょいと大食いする。夜11時過ぎにブレーカーを落として家を出て、まずは横浜駅へ。一旦改札口を出て、「青春18きっぷ」に31日分のスタンプを押してもらうのを待つ。周りには同じ目的の人たちが数十人いる。12時を待って再びホームに上がり、「ムーンライトながら」に乗り込む。

指定席を探していると松と遭遇。この列車に乗っているウオッチャーはこの2人だけで、神と石井くんは「ニセながら」で向かうとの事。列車が静岡に入ると、完全に高校生クイズの参加者と分かる集団が次々と増えていく。私の席のすぐ後ろのデッキでクイズを出していて「一般の」乗客にうるさいと言われていた。途中で神と合流し、車内では寝たという感覚のないまま金山に到着。


2001/07/31

中部大会が終わり、大須の適当に立ち寄った店でみそカツきし麺セット(だったと思う)を食べて、誰かさんが交通費をケチって名古屋駅まで歩く。駅前のゲーセンで松が『ギターフリークス』の「FIRE」を皆の前で演奏。この曲は今年の○×クイズ最初の移動の音楽なので、#quiz音ゲーキングの彼が(特にゲームを全くやらない教祖に説明する意味で)皆の前で実演してみせたのだ。時間がないので大半のメンバーはここで退散。残るは私と松と教祖の3人に。松はさらに『ポップンミュージック』の「スタートレックのテーマ」「ルパン3世のテーマ」「笑点のテーマ」と“日テレ縛り”の選曲で披露。でも松よ、ゲーム素人の教祖相手に「神かも」レベルで演奏するのはどうかと思うぞ。続いて「パラパラパラダイス」も「FIRE」とつく曲を選んで披露して終わり。これをきっかけに教祖がせめてギタフリの「FIRE」を少しはプレイしてくれる事を祈りつつ完全に解散。教祖は明日も仕事なので東京へ(明後日は九州大会なのに)、松は県内にあるというお友達の家へ、私は初めて訪れる江南市の実家へ向かうべく名鉄新名古屋駅へ。最寄駅で前もって連絡して迎えに来て貰った父親の車に乗り込んで実家へ。この家は新築7ヶ月で(前に住んでた家は社宅だった)、既に行った兄弟から聞いてはいたが、やけに豪勢なシステムキッチン、部屋数、大きめの池がある庭など、これからの余生を過ごす老夫婦二人が住むには非常に広く、立派過ぎる(^_^;)。私の寝泊りにはまだ畳の匂いがハッキリ残っている和室の8畳間が用意されていた。


2001/08/01

 借り物の電気自転車で10年ぶりに来たこの地を軽く回る。ハンドルをこぐと普通の自転車よりも加速感があるのが分かり、少し楽。でもこの日は親と一族の本家へ行って親族への挨拶をする事になっているので早めに帰る。やはり10年ぶりの本家では叔母や、まだまだ元気な祖母に会う。少し内装の変わったこの家を回った後、祖父と対面…といってもすっかり寝たきりで明らかにボケが入ってる状態で、両親らが私を紹介しても全く認識できていないのが分かった。この土地に住んでる親族が交代で看護していると聞いてはいたが、こうして見るといかに大変なことだと考えさせられる。


2001/08/02

 また自転車で今度はもう少し遠出。今でもあるもの、なくなってしまったもの、昔はなくて新たに出来ていたものなどが頭の中を交錯していく。その途中でよく行ってたゲーセン(+バッティングセンター)に立ち寄って、GGXとギタフリに興じたりもした。さらにかっ飛ばして木曽川の河川敷・すいとぴあ江南にも行った。


2001/08/03

 この日は電車で少し遠出。今回の目的地は岐阜県各務原市にある「かかみがはら航空宇宙博物館」。途中マックに寄ってバリューセットを買い、おまけのカードの袋を開けたらキャンペーン用PS2ソフト「ハッピーディスク」と交換できる「WINカード」が入ってた。閑話休題。入場料1000円を払って中に入ると様々な飛行機が展示されており、中には「鳥人間コンテスト」で飛んだ飛行機(の復元)なんかもあった。他にも宇宙シミュレーター(CGの視点に合わせて機体が揺れ動く、後楽園ジオポリスの「ハイパーイリュージョン」みたいなの)、ハンググライダーシミュレーター(グライダーの操作に合わせてCGの空を飛ぶ。ちなみに私は摩天楼さながらの高層ビルが立ち並ぶ「未来都市」を選んだがビルに衝突しまくり。意外に難しかった)の他、「無重力体験コーナー」なるものも。宇宙飛行士の訓練なんかでもやる、XYZそれぞれに軸回転するリングの中心に人が入って回転するアレだ。何人か並んでたので順番を待つが、皆思うように回れなそう。いよいよ自分の番になり、係員のお姉さんに足と腰をベルトで固定されてからスタート。狙うはもちろん360度回転で、思いのたけ腕と足をそれぞれ逆方向に力を入れる。しかし、何とか逆さまになれるのがやっとで、不完全燃焼のまま持ち時間が無くなってしまった。平日なので来てるのは子供が中心だが、大人がやっても同じような調子で、360度回転はかなり難しいのが分かった。閉館時間が過ぎ、かなり暑い屋外で数十分待ってからその日最終のバスに乗ってそのまま帰宅した。それにしても前日のすいとぴあ江南といい、今回は(平日開催のため仕事で行けなかった)19回中部大会会場の旅になってしまった。


2001/08/04

 いよいよ実家からの出発日。午前中に駅まで送って貰ってから18きっぷを使って東海道本線を更に西へ。そして私はかねてから行きたいと思っていた所があった。それは高校生クイズ近畿大会の構成作家の著書『クイズは創造力』に書いてあった、京都府伏見区藤森にある「京都青少年科学センター」。京都駅で奈良線に乗り換え、東福寺駅で更に京阪本線に乗り換え。藤森駅で降りて徒歩5分くらいのところにある。私は道を間違えて相当時間を食ってしまい、着いたのは午後3時ごろ。目的はもちろん前述の本に書いてあった「秒の世界」と呼ばれる早押し測定装置だ。作動スイッチを押し、合図のランプが点灯するかブザー音が鳴ったら素早く手元のボタンを押す(ジャンプする、というタイプもあった)。実際にやってみると思いのほかいいタイムが出せない。大体が0.16〜0.18秒で、一瞬でも緊張が途切れてるとあっけなく0.20秒をオーバーしてしまう。閉館までの大半の時間をここで費やし、200回くらいやって最速タイムは0.12秒を2回出せただけだった。他にも地震体験コーナーやバランスとりゲーム(全方向に傾く台の上に立ち、どれだけ台を並行に保てるか)なんかもやってみた。

 科学センターを出ると今度はやはり一度行きたいと思っていた京都駅ビルへ。長いエスカレーターを登って頂上エリアの空中庭園から京都の街並を一望してからビル内のジョイポリスへ。ギタフリをやろうと思ってたら無かったので仕方なくGGXを始めるが途中乱入され、相手はあれこれ迷ってソルを選択。最初「こりゃ終わったか」と思ってたが、そこそこやれて何とかストレート勝ち。格ゲーの対戦で勝ったのは本当に久しぶりだった。でも4人目あたりのポチョムキンがやたら強く感じてここで敗北。ジョイポリスを出て改めて駅ビルを一通り回ってみたが、何のことはないただの伊勢丹デパートで、観光で来るような所じゃなかったなと言うのが私の感想。駅に戻り、今度は大阪駅。3年ぶりにまんだらけ大阪店に寄ろうとしたが、午後8時を回っており閉店となっていた(;_;)。仕方が無いので今夜泊めてもらう事になっている市内の局長邸へ。そこでゲームボーイアドバンス(GBA)を初めて触って『マリオカートアドバンス』をプレイさせて貰う。電源を入れてみて「これはもはや携帯ゲーム機の画面じゃない」(^_^;)。何コースかやってみたが一位は一度も取れず。今度は持参したDQM2に差し替えてみるが、画面そのものは通常のGBカラーと何ら変わらず。でもGBAの液晶の方が幾分か見易かったようにも思った。更に今度は持参したGBポケットにマリオカードアドバンスのカートリッジを差し込めるか確かめたら見事に差し込めた。もちろん電源は入れず、すぐに引っこ抜いたが(さすがにそんなリスクは負えんよ(^_^;)。局長の制止もあったし)。


2001/08/05

近畿大会。惨敗(泣)。


2001/08/12

 今年の夏コミには最終日にだけ行った。前日も行こうと思ってたが、雨が降ってたので一気に行く気をなくしていたのだった。並びたくなかったので遅めに家を出て、会場のビッグサイトに着いたのは11時20分頃だったように思う。10代の頃は果敢に始発電車で行って4時間並びを当たり前にやってたのに。もう年…というよりもコミケに対するモチベーションが回を重ねるにつれて萎えてきているのが分かってきていた。何だかな…。いつも最後は筑駒クイ研のスペースでひなとかと話をしながら閉幕を迎えるのだが、今回はその友人が参加していないので4時を回る前に会場の外に出ていた。帰りのバスは見事な渋滞に巻き込まれ、浜松町駅につくのに2時間はかかった。


2001/08/13−15

 実は15日まで夏休み第2弾。実に夏休みの多い会社だ(でもその分残業で補填しなければならず、結局しわ寄せで何のための休みか分からない)。この3日間でかねてから計画していた「鈍行FIRE号の旅」(世間的には「青春18きっぷで行く甲信越一周の旅」だな)を敢行。それについてはいずれ「全国大会会場の旅」に書く。


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