− フリートーク Vol.7 −



2001/11/11

 かねてから私のドリームキャスト(DC)の調子が悪い。その症状は、ディスクの開閉をチェックするスイッチの接触不良(と思われる)でソフトが起動しない、というもの。たまに起動することはあってもしばらくするとディスクのフタが開いた状態と見なされてDCのシステム画面に戻ってしまう。今まではフタの位置を手作業で調整して、DCの上にビデオテープを乗せるなどしてだましだまし使ってきたが、それでも対応出来なくなった。今のを捨てて新しく買い直す事も考えたが(PSOやってないから問題ない)、ついにこの日、修理に出す道を選択した(サービスセンターに宅配便で送付)。果たして新たに買い直すより安上がりになるのか、高くつくのか、答えは請求書を見た時に分かる(保証書に店名が書いてなかったので有償修理。買う時にチェックを怠った私のミス(泣))。


2001/11/02

 会社で舟太ページにあったGoogleイメージ検索ネタで、史上最強の早押し王・西村顕治氏の現在の姿を見る。…もはや私の知っている西村氏ではない! 広がった額に短くなった髪と言い、ヒゲと言い、これじゃまるで

ファミ通の浜村編集長みたいじゃないか…。


2001/10/29

 家に帰ったら、某氏に依頼しておいた高校生クイズの地区予選番組のダビングテープが届く。前回までは北海道〜九州、沖縄〜東北といった風に南下・北上していくように順序が組まれていたが、今回は「ラルフの成長ぶりが見られるように」と沖縄→中国→四国→北陸→東北→北海道→中部→九州→近畿の「日程順」で構成されていた(関東大会の番組はもともと存在しないので除外)。まずは沖縄大会の番組を視聴。沖縄はもともとクイズの分量が少ないので30分でもまとめられる。前回の、福澤アナが沖縄アクターズスクールでダンスレッスンを受けているのを流すなどの余計な場面はなく、しっかりとした編集になっていた。でもラルフは初めてという事もあってか、これまでの司会のイメージにとらわれてか、とにかく叫びまくってたように思う。これって、11回の福沢アナと同じだな。

続けて中国大会の番組。全体的に前回と変わらないような編集手法がとられていて、個人的には○×クイズを通過した瞬間の「先行者マニア」チームをアップで映していたのがツボ(この分だと来年は「ちゆ」のコスプレをする人が出て来そうだ(爆)。でもキャラデザの関係上まずオンエアされないだろうけど)。準決勝は島根の対戦を流しただけで残りの3県は結果だけテロップで出すだけだった(問題が全県共通だったのでこれ以上流しても手抜きがバレる仕方ないのだが)。音声が全く聞けなかった決勝では出雲高校と宇部高校が昨年の中国大会の決勝で敗れていた事を映像と共に紹介する。出題された問題が結構難しく、見ていて半分出来たかどうかだった。


2001/10/24

 次の仕事を取るべく久々の面接。私服で出社したらすぐに予め用意しておいたスーツに着替えて10時40分に取引先との待ち合わせ場所である大塚駅へ。そこから15分くらい歩いたところにある相手先の会社の担当者と面接をするのだが、結構細かい事を突っ込まれて返答に困ってしまった。面接終了後、一緒だった担当の人からは好感触っぽいような事を言われて秋葉の本社に帰社。


2001/10/19

 うちの会社は社員旅行なんてのとは無縁である。(派遣業同然の会社なので)殆どの人が客先での常駐勤務で休みも先方次第でケースバイケース。本社には全然来ない人もザラで、全ての社員が一堂に会する事など全くない。そんな訳で、経理から入社以来積み立てられてきた社員旅行費が全額現金で戻ってきた。その額96000円。これだけあれば北海道へも沖縄へも行けてしまうのだが、この金は間違いなく来月分の家賃や通信費、光熱費などの生活費に消えることだろう(泣)。

 ちなみにこの日は会社の親睦会で(来る人数はいつも半分くらい)、同期の一人がネット通販で買ったという「先行者Tシャツ」を披露して周囲の注目を浴びる。しかし当人は先行者を知らないそうで(つまり彼はTシャツのデザインだけで買ったという事)、私や先輩は侍魂やネットランナー、そしてロボットアニメオープニング風の先行者ムービー(これマジで力作! 「よくこれだけのものを作ったよ」とその力量と労力に感心した)を見せて彼に先行者を説明した。ネットではもうあまりにも有名なネタで私の中では風化していたのだが、今回の件で再燃してしまった(笑)。


2001/10/15

 月曜だが会社の方は忌引を取っていたのでまだ実家にいて、11時半に起床。母親が前に着ていた服を洗濯すると言うので帰りは夕方にする。それまでの間はゲームで過ごす。昨日は対戦プレイしたぷよぷよを今度は一人プレイ。そんなにやりこんでいる訳ではないのでコンティニューも何度かする。最後のサタンには一発で勝てたがエンディングのプレイ記録でステージ数18、コンティニュー10回、時間は1500秒台…。ついでにおまけムービーのぷよマスターによる攻略法を見て弟が一言「人間じゃねぇよ…」。私は一応、大会とかだとこのくらいの人は普通にいると言っておいたが。

 次にやったのは『パラッパラッパー』。古ゲーでも私は初プレイ。起動すると音響が全然違う。読んで字のごとく、あたりに音が響き渡る感じで。音ゲーだけあってその辺にはしっかり力を入れているのが分かる。で、実際のゲームをやり始めるがステージ4(ケーキを作るシーン)で挫折。感想を書くと、海外アニメ風テイストの世界観や設定はなかなか好感が持てるが、肝心のゲーム部分は「お手本」がいつ終わり、自分がボタンを叩く番になるタイミングが分かりづらいところがままあったのに加え、それぞれのボタンを押すタイミングの結果(評価)をちゃんと教えてくれないのは痛い。次にプレイする時の参考や対策に出来るような配慮が欲しかった(BEMANIシリーズはその辺しっかりしている)。

文章書きの練習も兼ねて、ちょっと遊びでパラッパの感想部分をコピペ・圧縮し、ファミ通のクロスレビュー風に書き直してみた。原則14字×9行のスペースにきっちり埋めるとはいかなるものか、かねてから試したかったので今回やってしまおう。

海外アニメ風テイストの世界観
や設定はなかなか好感が持てる。
ゲーム部分は「お手本」が終わ
り、いつ自分がボタンを叩く番
なのか分かりづらい所があった
のと、それぞれのボタンを押し
た結果をちゃんと教えてくれな
いのは痛い。再プレイの参考に
なるような配慮が欲しかった。


あえて点数を付けるとしたら6点か。それはともかくこうして一度やってみると分かるが、こうした制約に基づいた文は書くのはかなり難しい。字数が多いからと文を削ると伝えるべき情報が損なわれたり、説明が不足して読み手に誤解を与えてしまうなどして文全体がガタガタになってしまう恐れがあるし、かといってそれを説明するのにちょっと言葉を加えると字数オーバーしてしまったりもする。でもこの作業をやっていくうちに自分なりに文章が洗練されていくのが感じられた(それでも拙い文ではあるが)。今回はゆったりと書いたが、次やる時は所要時間を計って書いてみるか。

 午後4時20分頃、荷物をまとめて実家を出る。父親の運転する車で最寄り駅まで送ってもらい、名古屋駅では会社の人へのお土産に私の大好きな納屋橋饅頭を買ってから新幹線に乗り込む。で、家に着いたのは午後8時過ぎ。丸2日ぶりにネットにアクセスし、#quiz掲示板を見たら原くんが仕事でTGSに来ており、そこで私を目撃していた事が発覚! そこには「逃げないで声かけて下さいよ」と書いてあったが、私は全く気付かなかったぞ。直後のチャットではその原くんがいたのでその件について話をしていた。


2001/10/14

 朝9時半頃起床。日曜のこの時間帯は私にとってはとんでもない早朝だ。喪服に着替えるなどの身支度をしてから11時前に葬儀会場である本家へ。門の周りにはたくさんの供花がズラリ。中に入って棺の中の祖父を拝んでから奥の部屋へ。そこでは用意された弁当を食べている何人かの親族がおり、我々一家は挨拶。参列者が出揃い、午後1時ごろに葬儀が始まる。読経は4人のお坊さんによる南無妙法蓮華経の大合唱。親族や一般の人も含めて80人近い参列者。どれをとっても豪勢な(?)葬式で、さすが一族の長だけのことはあると思った。焼香を経て、皆で棺に花を献花する段では私はそれに乗じて祖父の遺体に中指の甲で触れてみる。硬くて冷たかった…。人は死ぬとこうなるんだと改めて認識する。最後は私を含めた男の孫たちで棺を霊柩車に運び、午後2時過ぎに滞りなく葬儀は終わった。ちなみに遺体は名大医学部に献体するとの事。

 一旦実家に戻って普段着に着替えて、葬儀の後片付けの手伝いと、一族揃って食事をする事になっていたのでまた本家へ。そこではいろいろあったが、既に結婚した2人のいとこの旦那さんに初めて会ったり、また別のいとこが来週結婚する事を初めて知ったり(フィアンセも連れて来ていた)、葬式の事などすっかり忘れた明るい話で盛り上がった。先日の件を引き合いに出すまでもなく私を含めた周囲では恋愛ネタになると暗くなる一方なのに(-_-;)。


2001/10/13

 土曜にしてはかなり早い時間帯で起きて、祖父の訃報を物ともせず(核爆)予定通りTGSへ。会場の幕張メッセに着いたのは10時半過ぎだったろうか。今回入口では手荷物検査があってカバンの中を警備員に見せてから入場という措置が取られていた。テロの影響がここにまで及んでいるか。今回の展示物で注目すべきはやはりX−BOXで、今回はいくつかのゲームが試遊出来るようになっていたが、人が沢山いて私は遊ぶ気にはなれず(をぃ)。そしてやっぱり本体はデカかった(しつこい)。画面を見てて目を引くのはDOA3くらいだったかな。ちなみに『格闘超人』の画面は見ていてかなり大味だと思った。ちょっとこれは受け入れられないだろう、と。

 家に戻って夕飯を食べ、喪服や着替えなどの荷物を揃えたら祖父の葬式へ出発。8時過ぎに家を出て、その日最終の「ひかり」に乗って愛知の実家に着いたのが11時過ぎ。親族のうち私だけ通夜に出なかったので一部の人にネチネチ言われる。そして兄貴からは今回にあたって持って来るよう頼んでおいた『DQZ』を貰う。これでやっとプレイできる(ちなみに前作のYも発売から1年以上経ってから始めた)。


2001/10/12

 夕方、父親から電話で祖父の訃報を聞く(何となく想像はついてはいたが)。本来ならすぐにでも実家に向かわなければならない。でも翌日の東京ゲームショウ(TGS)には行きたい。どうしよう…。そうだ! 葬式は14日との事なのでTGSには明日だけ行って、終わったら新幹線で実家へ行けばいいんだ。うん、そうしよう。そしてそれに乗じて兄貴からDQ7を貰えるよう連絡する。


2001/10/10

 この日の夜は大雨洪水警報が出ていて、会社帰りの電車は所々の路線で運休状態にあり、迂回した経路で帰宅。


2001/10/08

 休みの日は大抵ヒッキー状態の私だが、この日は外出。まず床屋で髪を切り、新しい服を買ってから古本屋で立ち読みをして過ごし、最後はテキトーに入ったゲーセンでギタフリをするが、レバー部の入力がすこぶる悪く全然反応しない。おかげで2曲目でFALLEDという何とも腹が立つ結果だった。


2001/10/01

 この日から当面の間、秋葉の本社に通う事に。ウチの会社はよその会社から仕事を貰って稼いでる下請け会社で(この業界にそうゆう会社はたくさんある)、技術職のほとんどはそれぞれの客先へ出向している。だから普段本社にいるのは役員陣、営業、経理、そして技術職は持ち帰りで仕事をしている人間と、私のように手の空いた人間に分けられる(自社商品もないし社員全員にいつも仕事がある訳ではない)。で、仕事らしい仕事も無い私はどうしてるかと言うと、社内や自宅から持って来た技術書を読んでスキルアップに励んでいる…と。


2001/09/29

 近場の古本屋で恋緒みなとの『オレ通A to Z』を買ってみる。パソ通をモチーフにした青春恋愛ものだが、こうゆう通信ライフ、学校生活、恋愛を高校時代にしたかったよなぁと思いつつ(私の高校生活(つーか今でも)はもう灰色で…。あ、でも部活はパソコン部だったのでDTP室のような事はしたか。男ばっかのムサい部屋だったが)何度も繰り返し読んでしまった。こうゆうマンガを読むにつけ、上に書いたような事を思ってしまう私は不幸なのか、愚かなのか…。少なくともずっと彼女のいない私はこうゆうのへの依存度が高まっているのは確かだし(爆)。

 夜、初期不良交換のために出していた新品ディスプレイが届いたので接続し直し。そしてこっちにもフレッツ接続ツールのインストールを試みるも、アダプタが見つからないと言われて設定できない。現在私が使ってるPCは PC-9821Xa16/W16 という、LANアダプタを標準装備している機種。今時のPCでは当たり前の仕様だが、発売当時(96年ごろ)としては珍しかった(もともとオフィス向けマシンで、個人レベルでLANを使う事はあまり考えられなかった時代だから)。PCを買い替える時この部分に「もしかしたら後々で使うかも知れない」と思って購入したのは大正解だった(ノートVAIOとのデータ交換にも使ってるし)。となれば今のようにLANで直接モデムを介してインターネットに接続するなんてのは考えられなかった訳で、LANを制御するドライバがそれに順応していないのが想像出来る。そこでVAIOでNECのサイトへアクセスしてLANアダプタ関連ドライバの最新版をDLしてアップデート(更新)したところ、今度はちゃんと設定できた。今度はこっちでも動画ファイルとかのDLで速度を計測したら平均で480〜500Kbpsくらい出た。


2001/09/28

 この日で半年間通ってた川崎の職場を引き払う(予算削減とかで私の契約が切られた)。来週から次の現場が決まるまで秋葉の本社で待機という半失業状態に。その間は実務手当てがなくなって減給されるのでただでさえ厳しい生活が一層厳しくなる事に(泣)。


2001/09/26

 いよいよフレッツADSLの開通日。家から電話局まで距離があるのでサービスマンを迎えての開通試験があり、それに立ち会うために午前中だけ会社を休む。試験は午前中を希望したが、サービスマンがやってきたのは昼12時過ぎ。渡されたモデムや回線を自分で設置したところ、LINKランプが正常に点灯して開通OK。家の電話も正常にかかる事も確認されて15分程度で無事試験は終了した。でもすぐに会社に行かなければならないので自宅でのADSL環境はおあずけ。そして会社でBIGLOBEのADSLオプションを設定し、帰宅後速度チェーーーック! 大きめのファイルをDLする事で計測してみたが、帰りが遅くテレホタイムだった事もあって出る時で400Kbps程度。希望の500Kbpsには及ばないものの、ダイヤルアップやISDNより遥かに早いので導入は正解だったと思っている。これからのブロードバンド(と言える速度か?)ライフが楽しみになる一方、私が自宅でこうゆう環境を手にしたら廃人になるのではという懸念もあるのだが、果たしてどうなるか(^_^;)。


2001/09/21

 定時になると速攻で家に戻り、押入れに眠るPC88用フロッピーディスクをカバンに入るだけ詰め込む。と言うのも、前の家からPC88用のソフトを持ち込んでおり、狭い今の家では実機を置く余裕はもはや無い。かといってせっかく集めたこれらのソフト類を簡単には捨てたくない。つーか私は「情報にしろ物にしろ整理の基本は捨てる事」が頭では分かってても、なかなか物が捨てられない(引っ越す直前まで10年以上前のファミ通とかをとっとくような)人間なので。そこで出てくるのが88の環境をWindows上で再現させる環境。つまり「エミュレータ」である。そのためには擬似フロッピーデータ「イメージファイル」を作る必要があり、自宅での作業はかなり困難だが、秋葉の本社には5インチ用フロッピードライブ搭載のマシンがある。先月の親睦会で数枚分テスト作成したら正常に動作したので本日の親睦会にかこつけて、一気にイメージファイルに変換してフロッピーを処分してしまおうと考えていた。段ボール箱いっぱいに詰め込まれた数百枚のフロッピーが1枚のMOに収まるのだからまさに究極のダウンサイジング。持って来たのは高校時代に即売会で買いまくってた同人の音楽集が中心。でもマシンのトラブルなど作成作業がなかなか進まず結局終電を通り越し、久し振りの会社泊まりをする羽目に。


2001/09/20

 職場ではTROJ_NIMDA.Aの余波で社内ネットワークが麻痺状態になって、成果物の提出や報告もままららない。社内全域大騒ぎなので当然ウィルスバスターの最新版を入れて全ファイル検索をかける等の対策は講じたが。


2001/09/19

 職場で新種ウィルス「TROJ_NIMDA.A」の感染騒ぎでその対応に追われる。新種のウィルスは毎日のように出てくるが、「Webページにアクセスするだけで感染する」ってのは怖いなぁ。ホント、ウィルスもここまで進化したのかと驚かされる。

 家に帰るとフレッツADSL接続ツールのCD−ROMが届く。でもモニターが使えずデスクトップには入れられないので代替として使っているVAIOにインストールする。


2001/09/18

 一昨日買ったディスプレイが家に届く、前のディスプレイから取り付け直し、いざPCの電源ON。正常に画面が映り、前のよりもいい感じ。しかししばらくして突然画面が消えて、電源部分は正常に動作するが画面には何も映らなくなるという前のと全く同じ現象が起こった。これはいったいどうゆうことだ!? まぁ、初日だし箱や緩衝材はまだ捨ててないので初期不良交換が出来るのが不幸中の幸いか。


2001/09/17

 職場にて、みかか帝国からフレッツADSL申し込みの確認の電話がやっと来た。いろいろ話して来週に開通の見込みとなる。ただ、電話局が家からかなり離れているので(直線で3Km。引越しも考えたが経済的理由により却下)本当に開通できるかどうかは全く不透明。電話では近所で300Kbpsしか出てない例があると聞かされたが(それでもISDNよりは遥かにマシなのだが)、私としては500Kbpsは出て欲しいなと思っている。

 家に帰るも、ここ数日(というか一人暮らし始めてから何度となく)精神的な不安やストレスに苛まれている。そうゆう状況を解消するために私はよく適当に開いた本を朗読しているのだが、その中でもよく読み上げるのが「別冊宝島・おたくの本」にある「おたくに死す」と題された文章である。ここで取り上げられた故富沢雅彦氏の、とりまく状況や考えが自分と重なるというか共鳴する部分が散見されるのが大きな要因であろう。私は富沢氏の事はこの本でしか知らないが(ネットで調べてみた事もあるが、あまり参考にならなかった)、上にも書いたような事もあり、何だか他人事とは思えなくなってくるのだ。特に最近は自分が生きる事に何の意味の無いのだという思いがこみ上げてきて、死ぬ事の恐怖をふと忘れるかのような、死ぬのは嫌だが恐くも無いような妙な感覚が起こり、世の自殺する人達の気持ちが何となく分かるような気さえするのある。


2001/09/16

 壊れたPCモニターを買い替えようと横浜のソフマップへ行く。選んだのは三菱の17インチ・フラット型のダイヤモンドトロン。値段はワランティや送料込みで3万円そこそこ。その後周りの量販店を見て回るが、発売3日目のゲームキューブが普通に売っている。PS2やゲームボーイアドバンスが発売直後の時期に品薄状態になったのとは対照的に感じる。やはりソフトのラインナップが弱いのが明らかな要因だけど、最初の勝負はソフトが充実し始めるクリスマス商戦だから長い目で見ればそれ程大した事ではないのかも。


2001/09/14

 この日は休み(今の職場は祝日が土曜の場合は前日の金曜が振替休日になる)。この日は原くん・自主規制神・松と山梨英和高校の文化祭に行く事になっており、女子校の中に入るのは人生で最初で最後だろうとちょっとばっかし楽しみにしていた。予定では10時に甲府駅集合。朝7時前に起きてゴミを出してから家に戻り、もうちょっと時間があるから仮眠…でも次に目が覚めたのは7時40分(爆)! 10時に甲府に着くためには8時30分新宿発の「かいじ」に乗らなければならないが、着替えやヒゲ剃りなど準備の時間、そして家から新宿までの所要時間を考えると間に合いそうにない。やむなく原くんの携帯に欠席のメッセージを入れてから今度は熟睡(核爆)。次に目が覚めた時には昼の12時を過ぎていた。


2001/09/13

 会社帰りのコンビニで、例のテロを報じるギャロップの緊急増刊が出ていたので立ち読み。この時まだ事件の概要をいまいち掴めていなかったが、こうして写真や記事を見て思ったのは「まさか映画のワンシーンみたいな事が現実に起こるとは」。ついでに、映画みたいとは思っても(これだけでも充分不謹慎なのだが)、「テレビゲームみたいだ」とは全く思わなかった。湾岸戦争の時はこれが本当の戦争なんだという認識で見てたものだけど、今回の件でまたしてもゲームが槍玉にあげられるかも知れないと思うとうんざりしてくるのだが。あ、でもネット上ではこれを題材にしたゲームが出てくるんだろうな。ネット世界のお約束で。


2001/09/12

 この日の朝、出勤直後に見る各ニュースサイトでアメリカ同時多発テロの報を(非常に遅い段階で)知る。家に帰ってから各ニュース番組で、貿易センタービルに旅客機が寸分違わずビルの中にすっぽりと突っ込む映像を見て改めて唖然とする。


2001/09/09

 家でパソを使用中、突然画面が消え、電源ランプは正常だが画面には何も映らなくなってしまった。このモニターも買って4年半。保証期間はとっくに過ぎてるし、天寿を全うしたということか。修理に出すより新しく買い替えた方が得策だな。今なら17インチのもうちょっといいのが3万くらいで買えるだろうし。これからしばらくはラップトップVAIOを使うことになる。


2001/09/08

 2ちゃんねるの高校生クイズスレの探索は続く。何か画像ファイルが直リンされてるので見ると○山○日の○ン○ラをキャプチャーした画像が! (ネタのためとはいえ)そんなもんいちいち取り込みやがってバカかこいつは! まぁこんなので欲情する奴の気が知れるがな。


2001/09/07

 この日は高校生クイズ本編の放送日。8時頃にテレビをNTVに合わせて巨人戦の展開を見てみると巨人のダントツリード。しかも展開もダラダラしてたので(これでは巨人戦の視聴者を高Qに引っ張れないではないか)9時までには終わらず、延長も最大の30分でも試合が終わらないまま中継が終わり、番組は始まる。予選の放送時間は15分ほどで、ここ数年並みの短さ。とはいえ、今回を含めた最近のパターンでは各地の予選があった上で全国大会がある…というのを視聴者に意識させるものにはなっているかな。高校生クイズの魅力は前にも書いたが全国各地で何千・何万の高校生が一堂に会する祝祭性、そして他に類を見ない多種多様なクイズ形式。そして全国大会に関して言えば、それぞれ異なるクイズを勝ち進んだチーム同士が今度は同じフィールドで戦う事。その為にも私は、全国大会にはそんなに力を入れなくていいから予選を重点的に放送すべきだと考えているのだが。

全国大会だが、まず「YES−NOクイズ」から「○×クイズ」になった途端、演出(問題が出る時のアタック音とか鳥取砂丘の「東京行き決定!」の看板とか)もウルトラクイズになった。編成に対する復活のアピールか、ウルトラが作れない苛立ちか、単なるパロディーなのかは分からないが、ずっと高校生クイズ独自の世界観を構築・維持して欲しいなと思った。で、番組全体を通じて特に感じたのが「五箇山はつまんなかった」というもの。「今時の高校生も捨てたもんじゃないだろ」という演出上の狙いは見て取れるが、あれではまるで教育番組で、この場面になった途端にチャンネルを変えた人が多かったのではないかと想像できる。要するに娯楽番組にこうゆう要素を持ち込むべきではないという事(準々決勝の料理とか、かつての替え歌カラオケやテーブルマナーはバラエティー番組としてまだ見られたが)。ちなみに昨年の、高校生が新潟の農家のお世話になる場面も同じような事を思ったものだ。

2回戦の「東西対決」は今年の全国大会の形式の中では一番面白かった。文字があらわれるごとに解答席が回転する演出も視覚的に良かったし。が、敗者復活があったとはいえ、私は全国大会でこのような(偏ったエリアのチームがごっそり分かれる)団体戦をやるのには反対(残ったエリアが偏ると視聴者のその後への興味が大きく削がれるから)。その後のクイズは特に印象が残らず、何となく消化不良気味の作りになっていたなというのが私の感想。決勝も普通の10ポイント先取でもよかったのではないか。最後の連続正解必須をルールに盛り込むなら9ポイントの時点でアドバンテージを設定した方がしっくりくる。

 放送終了後に#HSQにアクセスしたら40人以上の出席者が! 各人の自己紹介に1時間半かかるという前代未聞の展開からスタートし、以後は番組の感想や裏話などでまったりと語る。それと並行して2ちゃんねるの高校生クイズスレッドもチェック。ネタバレありーの下ネタありーのでかなりイカレてた(爆)。


2001/09/04

 深夜、まったりと#quizのチャットに参加していると、なんと「教祖」大前氏が#HSQに参加している事が分かり、早速#HSQに入室。みんなが一斉に「お世話になりました」と言い寄ってくる。それに対し「私はどこの会場でもお世話しているんですね。」とコメント。まさに「大前教」。なお、ここでの氏のハンドルは書かないでおく。自らの体験談(近畿の決勝で負けた第2回と優勝した第6回)やチームメイトのことなど、明日も仕事だというのにこの人の特濃トークにグイグイ引き込まれてしまう。でも「結婚」についての話になると暗くなる一方だった。その辺の教祖の発言を当時のログから抜粋すると

「私は、優勝チームの男のリーダーが結婚した例を1つも知らないのですが。」
「江戸川の青山さんも独身と書いていましたし(筆者注:18回公式サイトの「名Q会」に)」
「リーダーでなければ、離婚をネタにミリオネアに出た人がいますが。」

で、当の教祖はどうなのかという意味合いのネタを振ってみたら…

「岡田さんをとられたから結婚はないな。」

岡田さん第2回で優勝した宮城第一女子高校のリーダー・岡田(現姓・佐藤)明子さんのこと。明治大学を卒業後に仙台放送のアナウンサーとなり、98年に同じ仙台放送の佐藤拓雄アナと結婚。現在は専業主婦。

「って、マジな話、私は何もしていなくても女性に嫌われるのですが、これまでの人生で出会った女性で唯一、岡田さんだけがそういう反応を示さなかった。」

考えられる理由は2つ。こう書いては何だが大前さんは風貌や話し方からして「(カタギの)人に好かれるような人じゃないな。ましてや女の人からは…」という印象を受ける人である(ごめんなさい。でも客観的に見たらそう思うんです)。それを踏まえて一つ目は、そんな人でも普通に接してくれる岡田さんの優しさ。二つ目は、大前さんのような人を理解できるのは同じ境地の者だけであろうという事。とりわけ女性では世界広しと言えど岡田さんだけなんだろうな。やっぱり。

「冗談抜きで、自分が将来結婚できる可能性があるとすれば、この人しかいないんだろうなと思った。」

実を言うと私は、大前さんと岡田さんの結婚をかなり期待していた。事前番組で2回くらい共演し、一緒に講演した事もあるそうなので可能性はあるなと思っていたし、もしそうなったらこれ以上の「クイズ夫婦」はないであろうとも思った。私は私でどんなコメントを書こうか考えてたのに(爆)徒労に終わった(「挙式日あるいは入籍日は11月15日ですか?」とか)。余計なお世話だけど。だから岡田さんの結婚を知った時「何だ、つまんないの」って思った。その意味でも18回の「クイズ結婚式」の新郎新婦役はこの二人にやって欲しかった。どうやら恋愛の神様はクイズが嫌いなようだ。

そんな話が過ぎた午前3時20分頃、高QのCMをやってたそうなので、テレビのスイッチを入れてみる。平日のこの時間帯NTVはいつも訳の分からない洋画を流している。しかもその時我々が見たのは、年頃の男女数人が猥談で盛り上がり(勃○したペ○スとか言ってるぞ)、そのうちの一人の女の子が体をまさぐられるのに耐えかねて泣きながら家を飛び出す…そんなシーンだったと思う。

こんなの流すくらいなら各地方局が作る予選の番組を流して欲しい!

つーか、こんなの流していいのかNTV。1日に2地区分流せるくらいの枠はあるから4日(1週間)で全ての予選の番組を流せるはずだ。これを本編直前の時期にやれば一応は番組の宣伝にも本編への期待を持たせられるものにもなるし、今時の高校生はこの位の夜更かしはデフォということで(^_^;)。ここでチャット内にいたある人の発言を拝借。

少しは、NHKの「ロボコン」を見習おう(笑)

その後の話題は高Qから離脱したものになっていって、話が落ち着いた頃には朝の4時。さすがにこれはまずいので退室して就寝。でもこの方は仕事の関係上滅多にチャットに参加できないそうなので、今回参加できたのはラッキーだったと言えよう。


2001/09/01

 高校生クイズの事前番組を見る。内容は今年も昨年・一昨年の流れを汲むドキュメンタリーと分かっていて憤慨していたのだが(その辺については昨年も書いてるのでここには書かない)、取材された3チームが挑戦した○×クイズの問題を全て流し、しかも中部の2問目で昨年優勝した川越高校押金チームが敗れるところも映していたのはナイス。そして石川の小松高校が準々決勝、静岡の国際開洋高校が準決勝まで勝ち進み、敗れるまでを通じてクイズ形式を始めとした地区大会のプロセスを映していたのがとてもよかった。このように今回は取材されたチームが結構勝ち残ってくれたおかげでかなり見られるものになっていたが、これはあくまでも結果オーライ。やはり各地で行われる予選そのものを重点的に放送し、数多の高校生が一堂に会する事から生じる祝祭性を、そして皆が一から始まって代表になるまでの道のりをきちんと見せる事が本編への期待を高め、これを見た高校生、そして未来の参加者となるであろう小中学生にも「出たい」と思わせる最も単純かつ確実な方法であると私は確信している。近年の急激な参加者の減少に危機感を持っているならばこれはやるべき事だと考えているが、どうか。

 クイズ部分の感想を書いておくと、○×クイズで問題文のテロップが出てから正解テロップが出るまでの時間がかなり短かく、あれだと視聴者が問題文を読み終える前に正解が出てしまう場合があり、人によっては不快に思うかも知れないと感じた。先にも書いたように、静岡の国際開洋高校が準決勝まで進んでくれたおかげで番組を知らない人でも予選の流れを理解できる構成になっていたのは評価に値する。


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