− 第16回中国大会 −


 昨年(’95年)初めて関東大会の予選を見に行き「他の予選も見たい」と思うようになり、今年はそれを実行する決意をした。まずパソ通で日程などの情報を集め、予算や自分のスケジュールを検討して見に行く予選を決定。まずは中国大会を見に行く事に。7月23日から3日間の夏休みを取り、初日は旅の準備と出発。2日目に大会当日。3日目に帰宅という計画を立てた。まず準備としてタオルや事前に買っておいた広島行き夜行バスのチケットなどの基本アイテムや暇つぶし兼勉強用(参加者じゃないのに)に前日古本屋で買った高校生クイズの1・3巻。そして問題を記録する為に買ったばかりの録音機能付きウォークマンとテープもカバンの中に入れておいた。昼間のうちに入浴などして身だしなみを整え、早めの夕食をとり、午後5時半くらいに家を出た。そして横浜駅に到着し、東口のバスターミナルから午後7時20分(この日勤務してるとこの時刻にこの場所に辿り着けないので休みを取っておいた)発の夜行バスに乗って広島入りする。このバスの中は途中で町田や大和に寄るので割と運行時間がかかる。車内テレビには森田健作主演のくだらない映画が上映されている。その音声は各座席のヘッドホンで聴くようになっているが、私は途中まで見て飽きたところで持参しておいた高校生クイズの本を読み込む。映画上映が終わると消灯時間となり、車内の照明が一斉に落ちる。一応読書灯もあったが使えたものではないので本を読むのをやめ、毛布をかぶって寝る事に。しかし眠りにつくにはかなりの時間を要した。目が覚めたら朝の5時くらいで、外を見るとどうやら岡山県のあたりを走っているようだった。そのあと車内でした事といえば外の景色を眺めたり、ヘッドホンで車内音楽放送(演歌やポップスなど5〜6チャンネルくらいある)を聴いていたり高校生クイズの本を読んでいたり…。広島市内に入り、高速道路をおりて走り続ける。車窓から広島ホームテレビ局舎やアストラムラインが見えたが、100万都市にしては何かさびれてるというか、へんぴな感じがする。周囲がほとんど山や川なのである。そう思っていたらいつの間にか広島バスセンター(広島市民球場の隣)に到着。結局13時間かかった。早朝に外を見たら濃い目の霧がかかっていたので天気を心配したが、見事なピーカンである。降りて外を歩いてみると、何か街並みが別世界のように感じる。何せ今まで一人では平塚より西へは行った事がないのに(横浜市民だ)いきなり広島だもんな。

 しばらく歩いていくうち、8時30分頃に第一会場の広島中央公園に到着。とりあえずその周辺をグルッと回ってみるが、中央公園は思ってたより狭い。まず目につくのは司会のステージに「黒ヒゲ危機一発」のようなタルが置かれている。第1問の正解発表に使うものだという事が容易に理解できる。これは14回の東北と同じやり方ではないか(本の写真で見ただけなのでよく分からない)? 会場を一通り見たら次の会場を調べ、その過程において「宇品港」「絵の島」という単語が得られた。しかし港はともかく島のことが分からない。そしてまた会場の様子を見て回る。参加者の中には黒い甲冑を身にまとい「毛利元就生誕500年」と書かれたのぼりを持っている。このクソ暑い中そんな格好して大丈夫かとも思えてしまう(余計なお世話)。会場をざっと見渡してみて、参加は800チームくらいだろうと見ていた。

中国大会風景

 10時ごろに前説が始まる。そこでは過去3年間の中国大会の第1問とその正解を語っている。そこで思ったのだが、これって今年の第1問の正解をバラしているようなものじゃないのか!? しばらくしてセットの岩が左右2つに割れてそこから海賊の衣装を着た司会者「キャプテン・フックザワ」が現れる。今大会のテーマは「冒険」だそうだ。「結婚しましたーーー!! うまくやってまーーーす!!」などと叫んだりした後(これはどこの予選でも使っていた恒例のネタ。「次は子供だぁ!」と返す勇気ある高校生はいないだろうかと思った)、優勝旗返還が行なわれる。昨年の優勝チームのメンバーは誰も来ていなかったので優勝旗を持って現れたのは米子東高校の校長(前回では石橋高校の教師が優勝旗返還していたが、その時優勝チームのメンバーは3人とも来ていたのに)。そこで思ったのだが、優勝旗は普段はNTVで保管しているのだろうか? それとも本当に1年間優勝校に置いておくのだろうか? そしてピーターパンの衣装を着た女性アシスタント2人が現われ、それぞれ宝箱を持っている。1つめの宝箱の中からは地球儀が取り出され(ここで優勝賞品「世界の国から好きな所10日間」の紹介がなされる)、もう1つの宝箱からは第1問が書かれた紙が入っている。そして参加チーム数が県別に少ない順に発表される。

鳥取県   79チーム
島根県   73チーム
広島県  836チーム
山口県   91チーム
合計  1079チーム

前回は900チーム台だったが何とか4桁チーム数を回復する事が出来た。でもこの発表の後に慌てて受付を受けている高校生を見たけども、(本に掲載されている)この数値を信用するしかない(^_^;)。(このあたりはちゃんと記録してなく、記憶に基づいて書いているので(あ、でも参加者数はちゃんとメモしたものなのでご安心を)進行の順序が違っていたらすまない)。いよいよ第1問が発表される。

オリンピック・マラソン競技の給水地点には、カツ丼や広島名物のお好み焼きなど、選手の好きな物を自由に置いても構わない。

問題文中に「広島名物のお好み焼き」を入れるあたり、この問題を中国の第1問にする言い訳が感じられる。人数的には圧倒的にYESの方が多いようだ。タイムアップの後、いよいよ正解発表。あのタルのセットの出番である。ネーミングは「黒ひげボンバー’96」。YESとNOから1チームずつ選んでステージに上がらせ(ちなみにNOサイドは前述の甲冑を着たチームだった。そういえばあのチームを最初に見た時、スタッフの人と何か話していたような気がする。という事は少なくともこのチームが出て来るのは出来レースだったって事か)、お互いが例のゲームの要領で交互に青と赤の剣を突き刺していく。ちなみにステージ上にいた米子東の校長は「もちろん、NOだと思います」と言っていた。最初に見たときは3順目で人形が飛ぶと思ったが、2順目にそれは来て、青いテープが舞う。これは割とやさしかったような気がする。そして2問目。

大西洋単独無着陸横断に成功したリンドバーグは1931年に日本にも来ているが、この時ももちろん自分で飛行機を操縦して飛んで来た。

この問題に「もちろん」というフレーズを入れるのは何か変だなと思いつつも、NOを選択。2問目以降の正解発表はYESかNOの垂れ幕方式が落ちる関東以外ではおなじみの形式であったが「正解は、これだーーーっ!!」と福澤アナが叫んでいる時でも「ああ、でもやっぱYESかなぁ」と思っていたらYESで見事にハマる。この問題、かなり不正解の方が多かったようで、鳥取と島根で最初の通過チームが現れる。3問目(この問題から走りクイズになった)では確か山口県は全員不正解だった気がする。でも次の4問目で一気に8チーム決まり、広島県も6問目で最初の通過チームが出た。さて、YES−NOクイズの途中で福澤アナが「カウパー線は濡れているかーーーっ」といった言葉を叫びだしている(他にもいろいろ放ったと思ったが、このあたりの事は記録してなかったし記憶にもほとんど残っていない事が悔やまれる(をぃ))。昨年の関東を見た時にはそんなのは一言も発していなかったのに。結婚を境にフッ切れたのだろうか!? 最初の方でたくさん落ちる問題が続き、終わってみれば9問のスピード決着であった。

 このあと改めて次の会場を確認したが、行き方が分からない。分からないままでそこへ行けなくなると困るので、中央公園の隣にある基町アパート内の商店街の一角にある本屋で地図を買う。中央公園に戻るともうペーパークイズが始まっており、それを横目に中央公園を去る。地図を見ながら非常に暑い広島の街をさまよい歩く。どれだけ歩いただろうか、そのうち県営桟橋行きの路面電車を見つけて乗り込み、車内でちょっとした広島市街地観光を楽しむ。車窓から外を眺めてみると、市街地の大都会ぶりと郊外のへんぴさとのギャップに驚く。あとは原爆ドームを見たり広島は川が多いなぁと思ったり…。終点の県営桟橋に着いたちょうどその頃、高校生を乗せたバスが到着する。ここではペーパーの結果発表が行なわれ、準決勝・決勝を絵の島で行なうようだ。切符売場にある航路図には絵の島への航路が載っていない。そこで売り場で聞いてみる。

「すいません。絵の島への便はありますか?」
「定期便ではありませんが。」

じゃあどうやって行くのだろう? そうこうしているうちに奥の桟橋で結果発表が行なわれるので福澤アナの乗った船に近づいてみる。その船をはかなり小さく、ドサクサに紛れて乗り込む事は出来そうにない。でもそれが出来そうだと思っても実行には移さなかっただろう。陸上ならともかく船の中ではスタッフに見つかったら最後、絶対に逃げられないからだ(あの時はスタッフにすまきにされて瀬戸内海のもくずにされる自分を想像した)。さて結果発表の方法だが、各県1チームづつ呼び出し、そのチームリーダー同士が台の上にある1つのボタンを昨年全国大会での「YES−NO地獄」の要領で同時に押し合う。その船の汽笛がなれば合格で、福澤アナの隣にいる前述のピーターパンによるハンドベルが鳴れば不合格。敗者には記念品としてクリアファイルが贈られる。演出上敗者を残しておかなければならないのにその一部を帰してしまったスタッフが「高校生帰すなって言っただろう!!」と他のスタッフにどやされ、慌てて敗者を連れ戻していたりもしたが、全ての結果が終わった。福澤「君たちもっと勉強しろよー。ペーパーで落ちるって事は、頭悪いって事だぞー」と言い残して船は敗者を見送って(これがさっき書いた「演出」)出港する。ところで福澤アナのアナウンスによると、どうやら行き先の「絵の島」は無人島らしい。どうもあの船はチャーターくさい。絵の島へ行く一般便が無いのでそうなるとこれ以上の追跡は絶望的である。何とか追えないかと手段を探してみるが見つからなかった(手元の地図には絵の島への航路を表わす線が記されているのだが)。

 そうゆう訳で、私の今回の追跡は無残にも失敗に終わった。高校生クイズ追跡の旅をする上でこのリスクを背負うのは当然だが、いきなりそれに直面した。そう思うと、何かどうしようもないような脱力感・敗北感が全身を襲う。もし高校生クイズ追跡をやろうとお考えの方は上記その他諸々のリスクを考慮して頂きたい(苦笑)。しかし私はこんな事態が起きた場合、普通の広島観光旅行へと行動を切り替える事に決めていたのでそれを実行(だってそう思わな金と時間がもったいないやん)。県営桟橋から高速艇に乗って宮島へ直行。厳島神社では明らかに高校生クイズの(中央公園での)敗者と思われるグループをちらほら見掛ける。宮島には3時間くらい滞在し、夕方ごろまた高速艇で本土へ戻り、すぐに路面電車で広島駅へ(平和記念公園あたりも見たかったが時間的に遅いと思ったしその気力も残っていなかった)。午後6時前に駅周辺を歩いていると『柏村武昭のテレビ宣言』なる番組の収録をやっていたようだ(セットを撤収している所を見た)。柏村武昭と言えばあの『お笑いマンガ道場』の司会をやっていた人ではないか。私はてっきり中京テレビのアナウンサーだと思っていたが違ったか。駅ビルの中で夕食としてお好み焼きを食べ(広島風はお好み焼きと言うより野菜炒め(モヤシとか入っているあたり)に薄皮を包んだだけのような代物。この時私はお好み焼きは関東風に限ると思った)、駅周辺を徘徊したりして適当に時間を潰すが、疲れきっていて頭痛がしていたので辛かった。そして午後9時45分発の夜行バスで一旦名古屋へ。そこから鈍行電車で6時間半かけてようやく横浜の自宅に到着したのであった。



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