アメリカズカップ日本チャレンジ基地とその周辺

 2000年ニュージーランドで日本チャレンジチーム大健闘!ピーターギルモア艇長、山崎会長はじめ木村太郎氏、三浦雄一郎氏etcご苦労さまでした。

 次の米杯挑戦が断念されて、この基地も近々記念公園に模様替えすることになりました。将来五度目の挑戦艇がここから進水されることを心から願っています!

隣接して大正時代の建築設計を生かしたレストラン「オンディーナ」はボードウォークに囲まれたマリンレストランそのものです(別ページの「レストラン」参照)。

 平成13年2月3日、4日ニッチャレ基地でガレージセールが行われ実質的な基地撤去が開始された。  大漁旗のファイティングフラッグ懐かしい!13/2/3

 前々回USAサンジェゴの大会に出場した1、2号艇が展示されている。 

 

米杯

 

        1999ルイビトンカップでフランス艇に凱旋して帰港したレース艇「阿修羅」は正々堂々のファイティングフラッグを掲揚。右は、オムロンのログをつけた「韋駄天」…ロビン3では破竹の活躍をしました。

・ニッチャレ基地に戻ってきた韋駄天と阿修羅  H12/11

メモ

アメリカズカップレースの起源は、1851年ロンドンで開かれた第1回万博の協賛イベントとして行われた、ロイヤルヨット「スコードロン」主催のワイト島一周レースであります。単独アメリカから参加したアメリカ号が優勝したのですが、あまり引き離してゴールしたため、その時のビクトリア女王の質問に、側近が「There is no second.」と答えたのは有名な話です。アメリカ号が持ち帰った銀の優勝カップの争奪が「アメリカズカップ」レースとして続いています。 

   ニッポンチャレンジチームは総合2位でルイビトンカップのセミファイルに挑戦

 

    

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