破壊神話外伝 終り…そして始まり

 

 この話は今から遡ること3年前の事です。
 私は某紳士服会社の本社ビルに転属して間もなく、てんてこ舞していた頃でした。
 私たちの業務時間はそのピルの営業時間に合わされて、早出勤務と遅出勤務という変則出勤となっています。
 その日の私は遅出勤務で、出社時間の15分前には近くの駐輪所に愛車であるCB−125Tを停めてビルに入館していました。
 私にとって何気無い一日の始まりでした。そう…その時までは…

 私は最上階にある機械室に行くためエレベータを待っていましたが、エレベータのドアが開くと中から脚立を抱えた清水寺真琴氏が現われて、不思議そうに私の顔を除き込みました。
「アレ?、何だお前未だ着替えていなかったのか。」
「何言っているんです。俺は今来たばかりですよ。作業着に着替えられる訳がないでしょう。」
 私の方こそ何ボケているんだ…と言いたい気分でした。
 取り敢えずエレベータに乗り機械室に向かいましたが、その途中で不隠な気配を感じました。
 地の底から湧き出てくるような音と振動、それを感じて滲み出てくる汗と荒い息。
 私は何とも表現し難い緊迫感に捕われ、足早に機械室…ではなくトイレに駆け込みました。
 どうやらバイクに乗っている間に腹が冷えたみたいです。
 一時の幸福感を味わったあと、トイレには私以外の人物が居た事に気が付きました。
 当初はここの社員かと思い軽く挨拶をしました。
 それにしても初めて見る顔だし、他人にしては親近感を感じると思い、手を洗いながら何気無く目の前の鏡を見てギクッ!としてしまいました。
 そして首をギギギッ…ときしませながら隣の人物に向けると、隣の人物も何かを感じたらしく、私同様首をきしませてこちらを向きました。
「!!!!!!」
 言葉にならない悲鳴をあげました。
 そりゃそうです。自分そっくりの顔が目の前に居るのですから…只違うのは私が眼鏡を掛けている事だけです。

 機械室には私と清水寺真琴氏、そして私そっくりの人物が居ました。
 彼の名前は高瀬晴明。顔どころか名字、生年月日まで一緒でした。
「お前の生き別れになった双子の兄弟じゃないのか?」
 清水寺氏の言葉に私と晴明は怒涛の涙を流しながらヒシッと抱き合った。
「兄さぁぁん!」
「弟よぉぉぉ!」
「忌まわしい戦争の為に生き別れた兄弟が運命に流されながらも…て、俺は桂小○治か。」
「冗談です!」
 私と晴明は息ピッタリに否定しました。

 私たちは彼から興味ある話を聴きました。
 晴明は友人である市本和也から借りた『幻夢境プログラム』なるゲームソフトを自宅のパソコンで起動した途端に、この福○県○岡市天神に現われたとの事です。
 『幻夢境プログラム』とは、もう一人の友人である未崎一美なる人物が作成した所謂バーチャル・ゲームの一種で、視覚的はもちろん、臭い、触覚感も究極的に実際の感覚に近づけているので、剣で斬られれば痛いし、死んだら臨死体験も味わえると言う事です。
 尤も今までは中世ヨーロッパ…というよりファンタジー世界でのゲームが多く、今回のような現代世界は初めてだと言う事です。
「おいおい、俺達はゲームのキャラクターか?」
 清水寺は呆れたように□を開きました。私も当然そう思います。
「やっぱりパソコンが違った所為だろうか、市本さんはPC98だけど俺はMSXだからなぁ…」
 私は晴明のつぶやきを聴き逃しませんでした。
「MSX…とな。」
「MSXがどうかしました?」
 私は再び目を潤ませて、彼の手をガチッと握り締めました。
「同志よ。」
 私はこの一言しか出ず、しかしその一言で全てを理解したらしく言葉の代わりに強く握り返してきました。
 言っておきますが、彼はともかく私には男色の気はありません。因に好きな女優は大場久美子に松原智恵子、歌手では掘江美都子です。
「やっぱりマルチメディアの元祖はホームコンピュータを提唱していたMSXだよ。価格はリーズナブルでハードの改造は一般でも出来たし…」
「ゲームとか業務など特定用途を除けば高速処理や大容量なんかいるか!」
「何が日本のN○Cだ、日本製のコンピュータで世界を制したのはMSXだけなんだぞ、旧ソ連にも売られたんだし。」
「処理能力は8ビットまで、それ以上あっても何の手答えもない!」
「あっ…それちょっと待って、16ビットまで認めてくれない?」
 傍から聴いていると単なる負け犬の遠吠えでしかない意見の交換で、彼は私の意見を制止しました。
「何で?」
「それ言われると俺の機種の立場がなくなるよ。」
「…?…! そうか!」
 私はMSX最後の規格にして、1メーカー2機種のMSXを思い出しました。
 16ビットMSX、しかし8ビットのデータも互換しているMSX。例え上位機種に換わっても今までの財産を放棄する事なく今まで通り使えるという真の意味でホームコンピュータ、マルチメディアの理想的姿勢を現実にしたMSX。
「A1−FTか。」
 彼は静かに頷きました。
「メモリーはともかくハードティスクくらいは欲しいね。」
 私は晴明の言華に胸を抉られるような衝撃を受けました。
 MSXにハードディスクが付けられるのか? そんな疑問を投げ掛ける人、何の為のカートリッジスロットと思いますか。
 正式なハードディスク・インターフェイスはSASI用(と思われます)ですが、西欧ではSCSI対応のインターフェイスが開発されています。
「やっ…やっぱり男ならハードディスクに頼らず基本容量で勝負よ。」
 その時には気付きませんでしたが、もはや論点からずれていました。
「基本容量…ってRAMは64Kバイト…」
「チッチッ…俺のは128Kバ・イ・ト。」
「何を持っている!」
 今度は晴明のほうがショックを受けたようでした。何せMSXの基本RAM容量は64Kバイトが標準ですから、その倍あるということは信じられない事です。
「ML−G30、フロッピーディスクは2基のうえ前面に向いているからラクだねぇ。」
 もはや同志から敵対関係へと移り変わりました。而も『くだらない』論点の元で…
 そしてその論点は更にずれて…
「ふん、彼女の居ない分際で…」
 やけのやんばちです。私に居ないのですから当然晴明も居ないものと思っていたのですが…
「居るよ。」
「へっ?」
 私は一瞬耳を疑いましたが、その後からくる衝撃は痛恨の一撃でした。
 ラッシュを受けその直後のアッパーカットを食らい、無残にもマットに沈んだそんな気分です。
 もはや私には反撃の力すらなくなっていました。しかしこの侭負けるわけにはいきません。
 せめて一太刀でも…そんな思いから晴明の動きを見詰めました。そんな中で彼は一つの癖を出しました。
 嘘はついていないが真実とは程遠い…私がする癖と同じ行動です。
 私はこの一撃に全てを賭けました。
「それでも…童貞だろ。」
 晴明はその言葉に反応して座っていた椅子と共に後ろへ倒れ込みました。
 私の渾身の一撃はクロス・カウンターとなり致命的なダメージを与えることが出来ました。
 勝った!
 何よりも辛い相手とは『自分自身』でしょう。
 それに勝つ事によって人間は強くなって行くと思います。
 私は今、己自身(そっくり)に勝つ事ができました。やはり苦しい勝負です。
「てめーらっ、俺の存在を忘れるんじゃねぇ!」
 私が感動しているときに清水寺が割り込んできました。
「くだらない口喧嘩にページ…じゃない、時間を潰している暇はない。高瀬…晴明だったな、いろいろ聴きたい事がある。」
 清水寺は倒れた晴明に手を差し延べて、起き上がるのを手伝いました。

 晴明の証言で清水寺が興味を示したことが幾つかありました。
 一つは彼が現在東京に住んでいることですが、警察という組織は規模を縮小して『賞金稼ぎ』制度が確立していることです。
 当然ながら私たちの世界ではそんな事は行われていませんので、彼の住む世界は私たちの世界と似ていながら異なる世界ということになります。

 次に幻夢境プログラムについてで、彼自身は詳しいことは知らないようですが、最初に話したように限り無く実際の感覚に近づけた『バーチャル・システム・ゲーム』で、今まではファンタジー世界を体験したとの事です。
 無論バーチャル・リアリティ・システムも所詮はディスプレイやせいぜい立体ホログラフが関の山で、臨死体験等味わえるものなんかありません。
 そして最後に彼の知人についてですが、市本和也という人物は賞金稼ぎを生業としており、性格は粗野にして無謀、『地球は己を中心に回っている』自己中心派の絶対無敵野郎という話です。
 未崎一美なる人物は一見女性…それも絶世に部類する容姿で、普段はゲーム・デザイナーとして、裏の顔で同人誌の会長を行っているそうです。
 ゲームの世界では魔導師役で、問題の『幻夢境プログラム』は彼の手で作られたとの事です。

 あれやこれや晴明から聴いているうちに、売場から電球交換の電話依傾があり、私が電球と脚立を抱えて作業に出ようとして機械室の扉を開けた時、通路の向こうから我々の主任が歩いてきました。
 私は即座にまずいと思い、皆が居るところまで戻りました。
「まずい…非常にまずい、晴明がいるところを見られるとパニックになるぞ!」
 私達は彼を隠す場所を捜しました。
 少ない時間で捜し出したのはボイラーの煙突の点検口でした。
 少し肌寒くなったとはいえ未だボイラーを運転する季節ではなく、取り敢えずここに隠すことが出来ると思い、晴明を押し込みました。

「よぅお疲れさん。何か変わったことはないか?」
 主任はいつもの口調で機械室に入ってきました。私たちは作り笑いを浮かべて何も無かったことを告げます。
 それを聴いて豪快に笑うと、世にも恐ろしい言葉を出しました。
「それじゃあボイラーのテスト運転をしようか。」

   ギクゥゥゥゥ!

「どうした二人共、顔色が悪いが…まさか整備をしていないのか。」
「い…いやぁ、整備は終わっていますが…そのぅ、未だ暖房を入れるには早すぎるかと思うんですが。」
 私たちは主任に対しボイラー運転を行わないように仕向けていましたが、いっこうに聞き入れてくれる様子がありません。
「今のうちにテスト運転をして不良箇所を見附けるのが大事だろう。」
 主任の言っている事は当然だと思います。
 しかし…今運転すると、煙突の中は高温かつ窒素酸化物、一酸化炭素等有毒ガスが充満しますので一運転中で普通の人間ならばまず生きて出ることが不可能でしょう。
「おっ…おい、ちょっと。」
 清水寺は私を側に寄せると、主任に聞こえない声で耳打ちしました。
「やっぱりまずいんじゃないですか、清水寺さん。」
「実はその事なんだが、もしあいつが言っている事が正しければ生きているぞ。」
「?」
「幻夢境プログラムで此処に来たと言っていたではないか。そのプログラムでは死んだりすると強制的に戻らされると言うことは…」
「このままボイラーを運転しても死なないって事になりますね。」
「死んでも恨むなよ。」
 そう心で呟くと起動ボタンを押しました。

 ボイラーは順調に点火、そして一気にフル運転となりました。
 その間煙突の点検口はボイラーの排気圧のためか、それとも中から晴明が叩いているのか始終ガタガタと音をたてていました。
 私達はボイラーの運転状況よりも、その恨みがましく音を立てている点検口を見ているのが精一杯です。

 程無く自動停止すると、主任は満足したらしくオーナーに報告すると機械室から出ていきました。
 私達は主任が完全に機械室を出て行ったことを確認すると、急いで煙突の点検口を開けました。
 そこには煙突に滞留したガスとばい塵しか残っておらず、何処にも晴明の姿はありません。
 私達は殺人者にならなかったという安堵感と、彼が忽然と消えた疑問で一杯でした。

 それから数日後、これといった事件はなく又高瀬晴明と逢うこともありませんでした。
 一方清水寺は何やら原稿を仕上げていたと思うと、美原さんの所へ行こうと言い出しました。

「旦那ぁ、新しい企画が出来たんで、見てくれませんか?」
 清水寺真琴は会長に分厚い原稿を差し出しました。
 原稿の表紙には『破壊神話』なるタイトルが書かれていました。
 美原会長はその原稿に目を通しているうちに薄っらと笑みを浮かべていました。
 私もその時初めて清水寺の原稿を読みましたが、その内容はあの高瀬晴明の証言にあった世界観、人物を基にした新しい『小説』の企画書でした。

 取り敢えず私が体験した奇妙な出来事はこれで終わりますが、私には幾つかの疑問が浮かびました。
 一つは『彼』が何故私の目の前に現われたのでしょう。
 確かに同一人物が目の前に現われたという現象は不思議なことかも知れませんが、さして意味のある事とは思えません。
 否、全ての現象は何等かの意味があるゆえに起きると考えるならば、『彼』が私達の目の前に現われた現象は私達が今だ理解し得ない意味を持つために起きたのかも知れません。
 そしてその意味は未だ解明していません。

 そしてもう一つ。
 彼は『幻夢境プログラム』なるゲームによって私達の目の前に現われました。
 …という事は…
    私達の存在する世界は誰かが作った『ゲーム』の中であり…

 私達の行動はプログラムで決められて…
 そして…
 私達の存在は0や1のデータでしかないのかも知れません。

 

終り…そして始まり 完 

 


 ◆美原和友紀の余計なお世話

 この数年後、虎狩笛氏はめでたくご結婚されました。