破壊神話 序章

 

 目の前に迫る曙の巨大な手をかわして、高瀬は、その巨大な肉体を支える足を払った。
 彼の予想に反して、その巨大な肉体は土俵から転がり落ちて行った。
 「やった!! 優勝だ!」
 高瀬は勝どきの声を上げた次の瞬間、彼の表情は絶望に変わった。
 白髪の見るからに悪党面した筋肉質の男が土俵に上がって来たのである。唇の両端を吊り上げたその憎たらしい程に自信タップリの表情をした男に彼は恐怖した。深層意識の底から湧き出る言いようの知れない恐怖であった。膝がガクガクと笑っている。
 「市本流念法奥義『念撃波』」
 彼の右手に蓄積された念の集合体が、何の知識も訓練も行なわれていない高瀬の目にもハッキリ見えた。
 「どわあっ!!」
 高瀬は、ベッドの上に飛び起きた。
 全身を油汗が流れている。
 「俺の夢の中でも無敵だと言うのかよ…」
 汗びっしょりになった高瀬は頭を抱えた。
 「強くなりてぇよぉ…」

 

  

 高瀬の職業は、ビル・エンジニアである。誰からも認められない地味な仕事であったが、彼自身はこの仕事に挨…もとい、塵…違うってば。誇りを持っていた。
 建物の空調設備や給排水関係は元より、建物全体の保守管理を賄う大事な職業である。電気は勿論の事、その他の設備全てに精通していなければとても勤まらない仕事であった。
 そして、彼は現状の生活に充分満足していた。給料が安くとも建物がある限り必要とされる仕事である。少なくとも倒産は無い。このまま定年まで無事に勤め終わると年金生活が待っている。
 彼は普通の生活で十分なのである。ひたすらに平穏無事な生活が理想なのである。
 彼は趣味の一環として、創作系同人サークルに所属している。
 このサークルには、コミケでその会誌を手にして、会長の絵を見て、その場で入会を決意した。この会長とは入会以後友人付き合いをしているが、女性に見聞違える程の美形である。彼はその顔の事を他人に指摘されると酷く怒るのだが、自分で自分が必要以上に美しい事は、十分過ぎる程に知っているらしく、サークルの集まりで会長の家を訪れた時、よんどころのない用事で席を外した会長が、自家の洗面所の鏡に向かってウットリしていた姿を一度見た記憶がある。
 自己陶酔性ナルシストの典型であった。

 

  **

 この会長から、ある日、5インチの2HDフロッビーディスクが送られて来た。  高瀬は、MSX2とMSX2+は持っているのだが、このディスクが使用出来るハードを持っていなかったので、知り合いの家で、実行して見る事にした。
 この友人と言うのが、高瀬の夢に登場した白髪の男である。筋肉質であるが、その体型にありがちな鈍重さは動きに感じられず、むしろ、野生の獣の様な洗練された物さえ感じさせる。顔立ちは東洋系たが、その瞳は限り無く透明に近い銀色をしており、職業柄、余りにもその方面に顔が売れている事もあってか、チンビラ程度なら黙って道を譲る。彼の友人である事が幸いして、ヤの付く職業の方の巻き起こす事件には事件自体が勝手に終結しまう為、巻き込まれた事は一度も無い。
 それでいて、国家レベルの事件にはチョクチョク巻き込まれてしまう事は多々発生してしまっている。これは、彼の仕事に直接関係している事なのだ。
 友人は賞金稼ぎを職業としている。
 誰が決めたのか、新聞を読む暇があったらHなパソゲーをしている方が好きな彼には判らない。内閣が入れ代わっても一般市民レベルでの大局は大して変わらないので、彼は政治には疎い方である。従って、彼が気づいた時には、警察機構が分割民営化されていた。
 彼の友人は、大学を中退して職業訓練校で彼と知り合った。しかし、訓練校を卒業してすぐに行方不明となり、彼がビル・エンジニアとしての責任と信頼を確立させた頃、フラリと彼の前に現れた。どうやら、外国へ行っていたらしい。通常の人間には取得不可能な免許を取得する為に、この小さな島国を旅立っていたらしいのである。
 帰国後の友人の活躍は、テレビや新聞を賑わせていた。逮捕率99パーセントの無敵の賞金稼ぎととして。そう言った状況でも、彼はそう言った仕事が存在する事すら知らずに、現代社会を極普通に波風立てる事無く、平穏無事に生きて来た。であるからして、友人が公安の特殊部隊に雇われるプロの殺し屋さんである事も全く知らずに生きていても、生活に支障を来さない以上は、至極当たり前の事だったのかも知れない。
 彼に取っては、自分の生活が破壊されない限りは、何処の国の要人が暗殺され様とも、自分の国の政府が左右どちらに傾こうと何の関係も無い事だったのである。ある意味では、これが一番幸せな人間の姿とも言えるだろう。
 彼がこの友人の事を思い出したのは、彼が会長から貰ったフロッピーディスクを起動させる為のハードを友人が持っていたに過ぎ無かった事にあるのだが、まさか、この何気無い行動がこの様な事件にまで発展するとは、自己平和温存主義の彼には予想出来る筈も無かった。

 

  ***

 誰にでも出会いたくは無い人物が居る。
 高瀬にとっての市本がそれで、彼と出会う事で言われ様の無い危険な状態に出会ってしまった事は、数限り無い。
 しかし、高瀬は、未崎会長から貰ったフロッピーの内容を知る為だけに、高価なパソコンを購入するつもりは毛頭無かったし、その為に必要な金も殆ど無い。
 残る手段は一つしか無かった。実行可能なハードを持つ友人に頼む。これだけだった。
 高瀬の生活状態から、友人が少ないのは、容易に想像が立てられる。実際その通りだったのだか…。それでも、市本に自ら会うと言う決断を下すまでにかなりの日数を要した事もまた、誰にでも想像出来た事であろう。
 高瀬は、都心にある小さなビルの駐車場に愛車のCB−125Tを停めると、小さなビルを疲れた様に見上げた。

 

  ****

 未崎一美は、ゲームデザイナーである。大きくはないが結構名前の売れたゲームメーカーに勤めている。
 彼には表向きの顔以外に裏世界での顔があった。所謂、闇の世界の顔と言う奴である。
 彼は魔道師だったのである。
 自然現象には、それを発現させる為の幾つかのキーワードがある。それを解明し、実行させる事を目的とする表向きでは無い文明が古くから人間世界にはあった。それが魔道である。未崎は、表向きには科学文明を操りながら、裏向きには魔道文明を追究する者だったのである。
 彼は、どのような経路で入手したのかは知らないが、1986年に高校生によって作られた悪魔召還プログラムのオリジナルを持っ ている。
 そのプログラムが応用されたのかどうかは、作成した本人しか判らないが、未崎は、コンピュータ信号の中で、人間の脳波にアクセスする信号を見つけた。
 この信号を利用して、実体験した様に感じさせる『バーチャル・リアリティ・ゲーム』を作成した。作成したは良いのだが、これは発表する訳には行かなかった。人間がこれを使用した時のデータが絶対的に不足していたのである。その上、プログラムを実行する為の機器を完全に揃える為には余りにも高価な機器を必要とし過ぎた。
 彼は、取り敢えず手頃な実験素材として、友人の中から高瀬を選んだ。特別な理由として、高瀬の友人に、賞金稼ぎとして有名な『市本和也』が存在していたからである。市本ならば、プログラムを実行するに必要な機材を持っているだろうと思ったのである。
 市本和也と未崎一美との直接の面識は全く無い。しかし、警察が分割民営化してから、新聞やテレビを賑わしている無敵の賞金稼ぎの存在には、注目していた。特に彼が蓄積している各種犯罪のデータには何度かアクセスした事もある。彼のデータで最も未崎を引きつけたのは、実行不能とされながらも、実行された犯罪に対して、魔道と言う非科学的な文明が存在すると想定して、その犯罪が実行可能であり、どんな人物がそれが可能なのか、的確にデータとして残されていた事である。そのデータの中には、未崎も良く知っている魔道士の名前も載っていた。
 市本は、この様なデータを平然と勝手にアクセス可能な状態に置きながら、賞金稼ぎとしての仕事を続けているのである。通常の発想では、これは秘中の秘として、大事に保管されるのが当たり前なのだ。これによって、独自の捜査形態を持つのが、賞金稼ぎとしての特長なのだが、市本のデータは明けっ広げなのである。
 未崎は、市本が並の器量では計り知れない部分を持つと同時に、アクセス不可能なデータが公開されている以上の物を持っていると考えた。
 「一度、会ってみたいが…」
 未崎は、高瀬からこれから市本に会うと言う連絡を受けて、プログラムが同時に起動する様に組み直しながら、ディスプレイを見て呟いた。
 「市本和也…。夢で会ってみるのも悪くは無い。どのような人物なのか…」
 未崎は、ヘッド・セットを頭に装着して、目を閉じた。

 

  *****

 人質を取って立て籠もる連合赤軍の過激派達を見守る警察の機動隊の横に白髪の男が立っていた。憎たらしい程に自信に満ちた笑みを浮かべ、腰に圧縮金属製トンファーを下げたその人こそ、市本和也であった。
 薄寒い季節にも関わらず、ノースリーブのTシャツにジーパンと言う簡単な姿である。しかし、彼を知る者は、これこそが彼の戦闘体制である事を良く判っている。
 市本は腕組みをして、静かに立っていた。
 賞金稼ぎは、警察の要請を受けて出動する場合と、独自の捜査網によって既に犯罪を犯した者を逮捕する場合の二つに分けられる。
 市本程に名前の売れた者は言わずと知れた前者のパターンである。
 「人質か…。自己の主義を主張する奴が取る策では無いやり方だな」
 市本が警察から連絡を受けたのは、午前8時24分。事件の発生は、午前7時。余りにも遅い警察の対応であった。
 市本はオールディーズの曲を聞きながら、電話を受けた。
 『連合赤軍だ。銀行を襲った。直ぐ来てくれ』
 市本は煙草に火を着けて聞いた。
 「それだけか?」
 『早出の女の子が人質になっている。14項のイに該当する』
 「15項のハもだ。高く付くぜ」
 市本は、トンファーの入った革製のホルダーを腰に巻くと、窓から駐車場に停めているバイクに飛び降りた。
 2サイクルのエンジンにインタークーラーを載せた大馬力のチューンを施した特注のバイクである。市本でさえ、振り回されるパワーを持つそれは、アニマル・ガードとオフロード仕様のサスペンションを持ち、様々な特殊装備を持つその異様な姿は、見る者に威圧感を与え、そのエンジン音を聞いただけで、並の犯罪者はヒビリ上がると言う。
 現場にその独特のエンジン音が響いただけで、犯人の中に動揺が走るのが遠巻きにしている機動隊隊員達にも判った。
 左手が義手の悪役面の刑事がやって釆た。
 古い付き合いの刑事長である。
 ――この顔でよく犯人と聞違えられんな。
 市本はその顔を見る都度によく思う。
 「状況は?」
 「良くも悪くも無しだ。突入の準備はしているが、人質優先との上からの御達示だ。余り無茶は出来無い」
 「宮仕えは辛いな」
 「全くだ」
 「職を変えたらどうだ?」
 「愛しい女房と二人の娘を路頭に迷わす様な事が出来るとでも思うのか?」
 「俺は独身だから判らない世界だな」
 「バカヤロウが…」
 刑事長は市本の口から火の消えた煙草を摘み取ると、近くの側溝へ捨てた。
 「突入は何時が良い?」
 刑事長の問い掛けに市本は苦笑しながら言った。
 「何人だ?」
 「5人だ。狙撃隊も用意してるぜ」
 「人質は?」
 「一人だ。窓際に居る。ここから見えるぜ」
 「良い位置だ。昼飯時を狙う。俺一人で充分だ。人質を取らなきゃ思想が語れ無い奴等に警察の手はいらないぜ」
 市本はそう言って悪魔でさえ尻尾を巻いて逃げ出したくなるような邪悪で傲慢で憎たらしい笑みを口許に浮かべた。
 こう言う時の市本が、本気である事を刑事長は良く知っていた。にも関わらず、彼は周囲の気温が5度くらい下がった様に感じて、コートの襟を立てた。

 

  ******

 市本が事務所と住居を兼ねたビルに戻った頃、事務所の入口で高瀬が座り込んで眠って居た。
 市本は高瀬の肩を揺すって言った。
 「おい、高瀬、起きろ。事務所にゃシーラが居るんだから、中で待ってりゃイイのに…」
 市本は事務所の扉を開けて、事務員のシーラを呼んだ。奥から澄んだ声が聞こえて、事務とは不釣り合いな女性が現れた。
 「帰るまで入口で待つって聞いてくれなくて…」
 高瀬に言わせると世界七不思議の一つに入ってしまう。悪魔よりも悪魔らしい市本の許に居る美人の事務員であるシーラは、少しウェーブのかかった緑色掛かった黒髪を持ち、青色の優しい瞳を持つ女性である。彼女を雇う事になった経緯を市本は決して語らない。
 高瀬が市本の事務所でシーラと二人きりになりたくなかったのには、理由がある。
 何時の事だったのか、忘れたのだが、前にも一度だけシーラと二人きりで市本の帰りを待った記憶が高瀬にはある。
 この時、市本の帰りが遅くなったので、シーラが事務所の奥のシャワー・ルームでシャワーを浴びているのを覗いた高瀬は、シーラの頭に生えている曲がりくねった角と、蝠の様な翼を見てしまったのである。つまり、市本は、本物の悪魔を事務員として雇っていたのである。未崎が知ったら泣いて喜ぶ事実であるが、高瀬は未崎の裏の顔の事は知らないので意味がない。

 

  *******

 市本は、高瀬から預かったフロッピーディスクと使用の為の機器の接続方法が書かれている紙を受け取って早速、接続した。
 プログラムを実行する前に、ディスク・コピーをして、内容を調べて見る。
 16進法の数字の並びを見る市本の表情が少し険しくなった。
 「こいつはとんでもないプログラムだぜ」
 そう呟いた市本の肩越しに高瀬がディスプレイを覗き込んだ。全く意味が判らない。
 「そのとんでもないプログラムをMSXで動かす事は出来るんですか?」
 高瀬の質問に市本はディスプレイを見ながら答えた。
 「2+以降のFM音源付きの奴で、実行領域が2メガバイトあれば、ヘッドホンで使用可能な状態に改造する事も出来るが…、本当 に使うつもりなのか?」
 そう言った時点で、市本は、このプログラムを実行した時に発生する事件を予測していたのかも知れなかった。
 「増設RAMが2メガとFM音源か…。幾らかかるかな…?」
 高瀬の頭の中は、既にMSXで実行する為にかかる費用の計算で占められていた。
 ふいに、市本に肩を叩かれて現実に戻った高瀬は、シーラが用意したサラウンド・シートに座らされた。
 「一撃で眠らせてやる。安心しろ」
 市本が呵にも楽しそうに拳を握って高瀬の前で振って見せた。
 「ど、どうして眠る必要があるんですか?」
 「眠っている間にプログラムが人間の脳にアクセスして、夢を見せて、あたかも現実体験しているかの様に感じさせる仕組みになっているんだ。一週間位の時間を掛けて解析したかったんだが、今直ぐ実行したいんだろ? こっちのシステムに、未崎とか言う奴が朝からアクセスしている。察するに幾つかのプログラムが同時に起動した時のデータを取りたいんだろう。これ以上待たせるのも失礼だしな。俺は直ぐにでも眠れる性質だが、お前はそうも行くまい。だから、俺が眠らせてやるんだ。一撃でな」
 「眠りっ放しって訳ぢゃないでしょうね!?」
 「痛いのは一撃を喰らった時の一瞬だけだ」
 「痛くするのはヤですよ」
 「持ち物を点検して置いた方が良い」
 「どーゆー事ですか?」
 「現在の姿のままで夢の世界で再構成される仕組みになっている。夢の世界でいきなりモンスターに襲われて死んでしまっても、無事なんて都合の良い事は保障しかねる」
 市本の言葉に高瀬は、上着の内側に無数に下がるナイフの山を見せて言った。
 「趣味の一つですから」
 「上等!」
 高瀬の額に市本の指が触れる感触を感じた次の瞬間、あーもすーも無く、高瀬は夢の世界へ旅立って行った。
 高瀬を見下ろして、自分もサラウンド・シートに座った市本は、シーラに言った。
 「これから何が起きても騒がずデータだけを記録して置くように。幻夢境転移システムが稼動する。俺は幻夢境の神々には余り歓迎されないかも知れないが、生命の危機に関する様な事態が発生した場合は、本人を目覚めさせてから、接続をカットする事が大事だ。そうしないと、人格崩壊の可能性がある」
 そう言って市本はプログラムを起動させて、眠りについた。
 サラウンド・シートの二人の姿が次第にぼやけて行く。その状況を見ながら、シーラは、黙々とデータの収集に励んでいた。
 

破壊神話 序章  完結 

 


   あとがきです

 これで、主要キャラクターの紹介がほぼ、完了しました。現実世界と幻夢境でのそれぞれの冒険が始まる事になるのです。
 出来る事なら、会員の皆さんが率先してこの企画に賛同して下さる事を祈っております。