破壊神話外伝 現実の戦場

 

  

 その儀式は、彼が死んでちょうど三日後に行われた。
 正確な場所は判らないが、何処かの礼拝堂のようである。ただし、周囲に並ぶ超近代設 備を除けばと言うオマケ付きであった。
 カプセルのような物に眠る人物の顔と体型は皆同じで、身長180cm、体重200kg、推定サイズは上から130・150・150と言う、身長を除けば、市本より二回り近く巨大な体型である。
 その人物が眠るカプセルの数は全部で七つ、空きカプセルが二つ。
 『ニッポンのホトケの顔は三度でも、こちらでは、ミスは九回まで許される』
 その場に居合わせた者の内、背の高い僧服の男がニヤリと笑って英語で呟いた。精確には、オクラホマ地方の訛りがフンダンに使用された米国仕様の英語である。
 『銀の秘鍮が二つあったとはな。マイケル・サーニィの記憶処理を急げ。今回は耐熱処理を皮膚に施しておけ。ミサキカズミ…、我等、神の使徒を敵に回す事がいかに恐ろしい事か、たっぷりと味あわせてくれよう』
 神の使徒には似つかわしくない凶悪な笑みを浮かべかけて、僧服の男は呟いた。
 『もう一つの銀の秘鍮がイチモトカズヤの所にあると言う情報を聞いたが…。有名人ではあるが、奴が術者である情報は全く無い。この街に住んでいる筈だが、我等の捜査網を持ってしても居所も不明なままだ。一体、何者なのだ?』

 

  

 「ふあああぁぁぁぁ…」
 ジーナスの冒険から帰って翌日。
 今の市本には破壊神としての威厳も、戦士としての緊迫感も全く無い。
 公安からの呼び出しも無く、それ程彼に興味を抱かせるような事件も無く、あまりにも暇な時間が経過しているようであった。
 事務所の三階の窓から見える景色をぼぉ〜っと見ている市本の背中はまるで隙だらけでこれが神話の時代にノーデンスをして恐怖させた神を殺す神にして真紅の破壊神のマグナ・ディモスの人間体とは思えない。しかし、今、事務計算をしているシーラには、一度殺気を向けられると、この脳天気な状態が瞬時に変貌する事が判っていた。
 「どーして、こんなにアクビが出るんだろね?」
 「仕事を選り好みしなければ、なくなりますよ。散歩でもして来られてはどうです?」
 シーラは視線を市本へ向けて微笑みながら言った。
 「それもそーだ」
 市本は頭を掻きながら立ち上がった。

 

  

 市本の事務所は、都心に拉置しているが、通常の方法では、見つけられない。それは、人間の方向感覚だけで無く機械のセンサーをも狂わせてしまう超強力な結界に守られているだけで無く、建物自体も特殊な建て方をされているからである。
 結界の外から見える風景は、市本の事務所だけがスッパリと消えている。結界に精神紋を登録された者だけが、市本の事務所を見る事ができ、行く事ができる。
 そして、事務所は登録上は地上八階地下一階となっており、何かの間違いで ――― と言っても殆ど奇跡に近い事なのだが ――― 結界を通り抜けた者は、前述した精神紋が登録されていない限り地上三階建ての建物しか見る事はでき無い。だが、現実に市本の事務所に入ってみれば、八階までのエレベーターが存在し、雲より高い所に位置する屋上まで存在しているのである。
 だが、これだけの事を維持するだけのエネルギーが何処から供給されているのか?
 例え市本の正体が神であっても、人間体である以上は、その人間としてのスペックを超える事はでき無い。シーラもしかりで、魔王とは言え、その能力は無限では無いのだ。
 残された理由は一つ。
 立地条件である。
 市本の事務所は構造上、一階に相当する所が無い。それは、一階にこの街の霊力が集中する物 ――― すなわち、将門の首塚が存在するからである。
 つまり、市本の事務所は、何百年にも渡って蓄積されて来た帝都の怨念によって維持管理されているのである。

 

  

 「この辺でいいだろう」
 そう呟いて足を止めた市本の居る場所は、皮肉にも数日前、未崎とイエズス会の死闘が行われた神社の境内だった。
 「気配としちゃ、犯罪者では無いようだが、人間以外も居るようだから、人気の無い所を選んでやったつもりだ。出て来いよ。話だけは聞いてやる」
 「流石にバチカンから関わり無用の指示が出ている男だ。気配を消していたつもりだったが…」
 市本を囲むように何処からともなく、数人の男達があらわれた。その中には、マイケル・サーニィ復活の儀式に立ち会った僧服の男も混じっていた。
 「アルバイトだ。気にするな」
 そう言った市本の口許が笑っていた。これから起こる事に期待しているような笑みであった。
 「銀の秘鍮を渡して貰いたい」
 僧服の男がそう言った瞬間、周囲の温度が急激に低下したような錯覚を市本を除く全員が感じた。
 「却下する」
 僧服の男の手が上がると同時に、市本を囲む男達の袖口から拳銃が飛び出した。
 「念の為、弾丸は全て銀にしている」
 僧服の男が自慢するように言った。
 「確かイエズス会の日本支部長はヴァンパイアだったと聞いた。信仰も無くなれば聖なる組織も悪鬼共の巣窟となる訳だ」
 市本の呟きが何を意味しているのか、理解できたのは僧服の男だけだった。
 銃声が静かに走った。消普器が付いているので、響かないのである。
 僧服の男が満足気な笑みを口許に浮かべた時、市本の周囲の男達が声も無く倒れた。全員の額に穴が開いている。
 「買ったばかりの上着だったんだぜ」
 そう言った市本の上着からプスプスと煙が上がっていた。
 「何をした!?」
 「受け取って打ち返しただけだ」
 消音器で速度が落ちているとは言え、5mと離れていない距離から殆ど同時に撃ち出された銃弾を全て受け取って指弾で打ち出す動作をした為に空気摩擦で上着が燃えたと言う事に僧服の男が気付くまで、多少の時間を要した。
 「残りの人間以外はどんな芸を見せてくれるのかな?」
 そう言って僧服の男と視線を合わせた市本の目から全ての意志の光が消えた。
 僧服の男の目は赤光を発していた。
 「これが私の芸…」
 そう言いかけて僧服の男は今の市本に何も聞こえていないのを確認して言い変えた。
 「邪眼だ」

 

  

 イエズス会日本支部長が市本を連れて礼拝堂へ戻った時、マイケル・サーニィの復活は完了していた。
 『主の御心に感謝致します』
 どうやら、ここでは全ての会話が英語で行われているようである。
 『その男は?』
 市本に気付いたマイケルが僧服の男に尋ねた。
 『ミサキカズミのガーディアンに対抗できる我等の強い味方だ。記憶処理が済み次第、そちらへ向かわせる。ミサキカズミを予定通りおびき出すのだ』
 マイケルが礼拝堂を出て行った後、全く意識の無い市本は、精密機械がカチカチと音を立てている傍の椅子に座らせられた。
 『スイッチを入れろ』
 僧服の男の命令で、その場に居た者達が機械を操作する。
 途端に周囲の機器が爆発を始めた。
 「俺としちゃあ、日本支部へ連れて行って欲しかったが…。末端過ぎたな」
 僧服の男は、自分の術に満足し過ぎていた事に気付いた。そして、市本も術者である事に気付いた。
 「言っておくが、俺は術者だなんて自惚れているつもりは無い。単に機器の爆発は、俺の精神エネルギーの逆流をモロに受けた結果なだけだ。尤も、お前さん自慢の邪眼なんざ、ハナッから効いちゃいなかったがね」
 『何故だ? 人間如きが何故、我等を超える力を発揮できるのだ!?』
 僧服の男の問い掛けに市本は顔を上げて嘲笑するように言った。その額には彼が人間であるのと同時に神である事を意味する第三の眼が開いていた。
 「俺が人間だって一言でも言ったか?」
 そう言った市本は、僧服の男の肩越しに九つのカプセルを見た。
 「たかが人間と妖魔が神の真似事をやるってのか?」
 市本の行動を察知して、僧服の男が叫んだ。
 『やめろ! その中のマイケル・サーニィはまだ生きているんだ』
 「人間は…一度死ねば十分だ」
 市本は胸の前で拳を合わせた。念撃波の構えである。ジーナスの冒険で彼はこの必殺技を完成させていたのである。尤も、フルパワー時でなければの話である。フルパワーの念撃波は相変わらず何処へ飛ぶのか打ち出す本人にも判らない未完の大技であったのだが…。
 「我、全ての破壊を司る真紅の神が汝に告ぐ」
 市本は、念エネルギーを右の拳に抽出した。
 「邪なる悪霊よ! 人の世に黒雲をかき起こし、尊厳を脅かすみだらなる者よ…去れ!
 グッと突き出された拳から発射された念塊は、残る六人のマイケル・サーニィの生命維持装置を破壊した。
 「彼の魂を引き裂く我が手は電光の剣なり! 我、その残志を焔に投ず…」
 再び拳が合わされ、今度は掌による広域破壊が行われた。市本流念法では、掌による攻撃は拳や蹴りよりも威力がある。それは、通常攻撃では、破壊力が一点破壊になってしまうのに対して、掌の場合、破壊力が分散するからである。零距離でこれを行われた相手は爆発したように四散するのである。
 「かくして、彼は大いなる無のもとへ転び堕ちる。彼の魔力は消え失せ、彼の呪いは無効となる」
 市本は僧服の男の方を向いた。通常は限り無く透明に近い銀色の瞳が今はなくなっており、三眼全てが青白く輝いている。
 今の彼は、完全に人間では無い事を、イエズス会日本支部長は確信した。
 「しかして無は、もはや彼自身なり。その名は既になく、その子も、その使徒もない」
 市本にその左手で肩を押さえられた瞬間、彼は何故か幸福な物を感じた。
 「その未来と同じく彼の過去もない。故に彼はもとより存在しない! かくして ――― 」
 市本の右の手刀がエグリ込むように彼の心臓を貫いた。
「其は死せり」
 次の瞬間、僧服の男は塵と化して消減した。ヴァンパイアは、その生命の源である心臓を破壊される事によって確実な死を迎えるのである。
 第三の眼を閉じた市本は、大きく息を吐いた。これで全てが終わった訳では無い。
 「後…一人か…」
 市本は疲れたように呟いた。
 「…ったく。金にもならん事に首を突っ込む物ではないな。特に趣味以外の領域は疲れるだけだ」

 

  

 復活したマイケル・サーニィは、以前、未崎と死闘を演じた神社を選んだ。大した理由は無いが、あえて言うなら、作者が東京の地形に詳しくないからである。
 何時も通りに仕事を終えた末崎は、何時も通りに神社の境内を通った。鳥居の下をくぐる時に感じた違和感に記憶があった為、露骨に厭な顔になった。
 そして、境内に立つビヤ樽を見て呆れ頻になった。
 「しつこい人種ってのは判っていたんだが、一度死んだ奴を使い回しするか? 普通」
 「オー、ソレハ違いマース。省資源に協力しているダケネ★」
 「語尾に変なモン付けんじゃね−よ。気色悪い。用件が同じなら、答えも同じだから、二度も死ぬ前にさっさと帰れよ」
 「ワタシタチ、二度も同じ過ちしまセーン。死ぬのはアナタ方だけデース」
 未崎は、以前と違って、ビヤ樽が下っ端を連れて来ていない事に気付いた。巴と静を相手にまともに戦えるだけの味方でも着けたのか?と言う疑問と、それに該当する人物が存在する事を知っている嫌な思いに捕われた。
 「ジキ来るハズですガ、遅いデスネ」
 「巴、静、そいつが来る前に喰っちまえ!!」
 未崎の影の中から角を持つ美少女が現れた。
 が、二人は動けなかった。未崎も同様である。
 イエズス会が用意した『対巴&静用殺戮兵器』。すなわち、市本和也が現れたのである。
 マイケルの背後の茂みから現れたのには違いないのだが、流石に音一つ気配すら感じさせずにそこに現れた時は心臓が止まる思いであった。
 市本がマイケルの横を通り過ぎた瞬間の動きが彼女達には見えたのだろう。二人がピクリと動いた。が、未崎には何をしたのか見えなかった。
 「例え、お前達の国ではそれが許されていても、日本に居る以上は、仏の顔は三度までなんだよ」
 市本がそう言った瞬間、マイケルの顔が爆裂した。彼はピヤ樽の横を通り過ぎる時に、その顔に掌を打ち込んでいたのである。
 おぞまきながらと、忘れていたかのように頭を失った脂肪の塊は、首から血液をプチまけて倒れた。

 

  

 「巴、静、処理を…」
 そう言いかけた未崎の言葉が止まった。
 巴が刀を構えて進み出たのである。
 「一手所望!」
 武人としての誇りがある者なら人、鬼に関わらず自然と出た結果であった。
 未崎が静を見た。
 「我等には、残像しか見えなかったのです」
 市本が困惑したように未崎を見た。それに対して、未崎は黙って頷いただけであった。市本の実力ならば、巴を殺す事なく決着を着てくれると信じたと同時に、将来、何等かの間違いで市本を敵に回してしまった場合に、巴と静で対処できるのかを知りたくなったのである。
 「悪い奴だ…」
 市本がそう言った時、周囲の温度が確実に下がったように未崎は感じた。
 市本は巴を見て構えた。
 巴は上段に構えている。
 市本の筋肉の付き方から、彼がパワー・ファイターである事は誰にでも想像が付く。だが、問題は、技を仕掛ける時のスピードだった。巴や静の目でさえ、残像としか見えないスピード。
 ――― 一撃目を囮にすれば…。
 巴は、そう思った。
 その時であった。市本が無造作に間合いを詰めたのである。
 「見切った」
 市本がそう言った時、巴はすでに負けていたのかも知れない。
 袈裟掛けに振り下ろした巴の刀に残像を斬らせて市本はさらに間合いを詰めた。
 一度振り下ろされた巴の刀は手元で返され、逆袈裟で振り上げ…られる事はできなかった。
 刀を返す直前の巴の手を軽く叩いて、市本は巴を飛び越えていた。
 未崎の目には、一撃目の攻防は全く見えなかった。しかし、二撃目を繰り出す直前に巴の動きが一瞬止まった事だけは判った。
 「納得できたかな?」
 市本の問い掛けは、巴と静に向けられた物であった。
 その直後、巴はその場に座り込み、刀を持ち変えて一気に自分の腹に突き刺そうとしたが、刀は市本によって止められた。
 「死ぬのは何時でもできる。敵に恐怖を感じると言う事は、それだけ強いと言う事でもある。敵と自分の差が見極められない奴は、何時死んでも可笑しくは無いが、あの一瞬を生き延びる事ができた以上、お前がする事は自決する事では無い筈だ」
 未崎にとって、巴が何故、腹を切ろうとしたのか判らなかった。その疑問を察したかのように静が未崎に説明した。
 「あの一瞬、私達だけに殺気が送られたのです。払もですが、巴はそれに恐怖を感じて動きが止まってしまったのです」
 武人として敵に恐怖して動きを止めてしまう事は死に勝る恥である。
 それにしても、巴と静に恐怖を感じさせる程の殺気を瞬間的に相手を指定してぶつける事のできる市本を見て未崎は改めて思った。
 ――― 化物め…。

 

  

 巴と静がマイケル・サーニィの死体を処理するのを横目に見ながら、未崎は市本に言った。
 「巻き込んでしまったみたいで悪い気もしますが…」
 「始まったのさ。俺達とイエズス会との戦いがね。世界人口の三分の一が敵になったと考えても良いと思うが…。相手に取って不足は無いと思う」
 市本の言葉にある種の不安を感じて未崎は尋ねてみた。
 「何をしたんです?」
 「支部の一つを完全にプッ壊して、日本支部長をたたっ殺して来た」
 当たり前のような顔をして言う市本の前で未崎は頭を抱えて座り込んでしまった。
 「それにしても…」
 「何です?」
 「俺が銀の秘鍮のコピーを持っている事が何で連中に判っていたんだろう?」
 前例(美原和友紀著『破壊神話外伝《一美降魔録》』参照)があるだけに、未崎には、情報の発生源が誰だかすぐに判った。
 「あの…バカ…」
 こうして未崎は、市本と妹の活躍で、昼の日中でも安心して出歩く事のできない状態になってしまったのである。

 かわいそーに…。
 

破壊神話外伝『現実の戦場』  完結