市本が猛然と言う勢いで食事をしている最中の事である。
未崎は大きく両手を広げて構えに入った。
「雷鳴よ、大いなるナイアルラトホテップの掌より、絶縁の壁を潜り抜け、真空の路を切り開き、我が手へ集え。重力よ、我が掌に集う雷鳴を電磁の壁にて取り囲み、我が敵なる者を押し潰し、焼き尽くせ!!」
未崎の両手の間に雷撃が球体となって集中して行く。重力制御中に発生する電磁バリア内に雷撃系で最大級の呪文で発生する大電流の雷サージを封じ込めた物を打ち出す大技である。呪文の成立時間を要する為、フレイル達の援護が無ければ使う事が出来無い。当然、消耗する魔力も通常の攻撃呪文とは比較にはならない程に消耗する。しかし、幻夢境全体を司るナイアルラトホテップへの祈願呪文と重力制御呪文の混合呪文の為、成功すれば、相手に多大なダメージを確実に与える筈であった。しかしながら、呪文成立迄の30分の間、彼は全くの無防備状態となるのである。
未崎のその様子を見て、フレイルの移動速度が上がった。サラも武器を破壊力の大きいハーケンに持ち替えた。
高瀬は、もんもんとしていた。フレイルもサラもリギアも美人な方である。そう言った女性達が前面防護の為のプレートメイルのみの姿で戦っているのである。不謹慎と言えば不謹慎ではあるが、戦闘に全く加わる事の出来無い身としては、当たり前の行動だったとも言える。ロリコンのアニメオタクの特撮マニアのメカフェチと言う完治不能の病気群が騒ぎ始めたのである。
この時点で奇跡が起きた。
あるいは起こるべくして起きた奇跡だったのかも知れない。この幻夢境では起きて当たり前の奇跡だった。
三人の精霊の戦士の姿が次々に増えて行ったのである。
『こ、これは何だ!?』
その様子に魔王自身も戸惑っている様であった。が、一番戸惑っていたのは、高瀬だった。意識の底でもんもんと考えていたフレイル達の姿が現実に現れたからである。そして、それ等はそれぞれの姿で魔王を攻撃した。
それは高瀬の想像だけの産物であるが故に攻撃力は全く無い。しかし、魔王にはそれだけでも効果があった。
『質量を持った影と言うのか!?』
突如として現れた自分達の姿にフレイル達も驚いていた。
「誰の技なの?」
振り返ったフレイルが見た物は、もんもんとしたオーラを全身から陽炎の様に吹き上げている高瀬の姿であった。
「前にも一度だけ起きた奴だ」
リギアが周囲の自分達の分身を見て言った。
「どういう意味だ?」
サラが尋ねる。
「え…とね、高瀬さんの欲求が不満すると周囲の女性達の姿が実体化するんだ」
「不謹慎な奴…」
「しかし、ザグールも戸惑っているわ。不謹慎な技だけど、大目に見てあげましょう。一美さんの術を完成させる絶好の機会だわ! みんな、攻撃の手を休めないで!!」
高瀬の不謹慎な発想による意外な援護は、魔王からのフレイル達への直接のダメージを減少させていた。
だが、魔王の持つ暗黒の剣は、人間の精神エネルギーの負の力を魔王の力に転換して吸収するのだ。高瀬の創り出した分身は、彼の負の想念の産物なのである。分身を切り裂き、吸収する事で、魔王自身の力が増大している事に誰も気づかなかった事は致命的であった。
そう言った意味では、未崎の使う暗黒魔術も、その威力が大きい程に、魔王がその攻撃を暗黒の剣で受ける限りは魔王の力を増大させていたのである。
暗黒魔術は、混沌の神々への召還呪文であり、術者の負の想念が魔力の根源なのである。
威力が大きいと言う理由だけで暗黒魔術による攻撃を選択した未崎の最大の誤算であった。これが、自然魔術ならば、確実に魔王にダメージを与えられたであろう。
「出来た…」
呟く様に言った未崎は、魔王の姿に違和感を感じた。必殺技の作成に神経の全てを集中させていた彼は、呪文に入る前の魔王しか見ていなかった。現状の魔王は、高瀬のもんもんとした負のエネルギーを吸収して僅かな間に強大になっていたのである。
高瀬の創ったフレイル達の幻影を切り裂いて吸収する暗黒の剣を見て、未崎は直感に近い状態で敗北を感じたのである。
「高瀬にその技を使うのをやめさせろ!!! 誰か魔王の剣を封じてくれ!!」
究極魔法の発射体制に入りながら、未崎は思わず叫んでいた。
リギアが高瀬の頭をポクッとハンマーでどついた。
フレイルとサラは、全力で魔王の剣を封じにかかった。
しかし、全ては遅過ぎたのである。
幻夢境に於ける『夢見人』の精神力は、その世界の住人の数倍の強靭さを持っている。その精神力が発する負の想念の強さは並では無いのだ。
『無駄無駄無駄ぁっ!!』
もはや、フレイルとサラの力ではどうにもならない程に魔王の力は増大してしまっていた。
「当たれぇ!!!!」
未崎の手から必殺の一撃が発射された。
直径1メートルはあろうかと思われる電気エネルギーの群が魔王に向かった時、サラは、そのハーケンで魔王の剣を押さえ込もうとした。逆袈裟に振り上げようとされる暗黒の剣は、今、最大の力で持って、サラのハーケンを叩っ斬り、未崎の必殺技を真向から受けた。
「受けられた?」
『返すぞ』
魔王は、そのエネルギーに高瀬から吸収した負のエネルギーを乗せて未崎に打ち返した。
「危ない!」
未崎に向かって走り出したフレイルであったが、間に合わない事は判りきっていた。
魔法発射直後の魔道師程、無防備な状態は無い。
直撃であった。
未崎自らが呼び出したナイアルラトホテップの雷撃は、未崎本人を直撃したのである。
それでも、立ち上がったのは流石であった。
「奴には暗黒魔術や負の想念では勝つ事は出来無い! 奴自身が幻夢境に住む者達の負の想念の蓄積体である事を忘れていたぜ…」
ガクッと膝を崩した未崎をフレイルが支えた。
未崎の呪文は、その殆どが通用せず、サラは武器を折られ、フレイルも疲労状態に陥っていた。高瀬はリギアに殴られて失神しているので問題外である。
『良く戦ったと誉めてやろう』
魔王が口許に笑みを浮かべて、彼等に止めを刺すべく歩き出そうとしたその瞬間、魔王の間の大理石の扉が爆発した様に砕け散った。
「給料の殆どをパチンコに注ぎ込み、給料日を目前にして明日を喰う金も無い時。人、それをボンビーと言う」
彼は、口許に壮絶で邪悪な笑みを浮かべて部屋に入った。
「ボンビーな状態で、口座に僅かでも金が残っているのを見つけた時の喜び。人、それを希望と言う」
彼の顔は唐草模様の手拭いで頬っかむりをしていて、その詳細な部分は何故か判らない。
『誰だ!? 貴様は!?』
「一撃必殺カラクサマン!!」
何処から光が当たっているのか、彼は逆光で登場した。天高く上げられた右手の中指が一本だけ伸ばされている。危ない手付きであった。
その姿を見て、リギアは手を叩いて喜んでいる。フレイルとサラは頭を抱えていた。
彼はフレイル達の状態を見て呟いた。
「だいたい、予想した通りの結果だな」
腰のホルスターから超密度金属製のトンファーを抜いた彼の姿が彼を見る全員の視界から消えた。
「早い…」
フレイルが呟いた瞬間、魔王の剣と彼のトンファーがぶつかり合う音が響いた。予想外の超高速攻撃に魔王とて、受けるので精一杯だったのである。
魔王の一撃が空を斬った。唐草模様の手拭いが両断されて宙に舞う。
憎たらしい程に自信に満ちた顔がそこにはあった。必殺の一撃をかわされた魔王は追い討ちをかけるべく、市本の着地地点へ移動した。魔王の頭上を華麗に跳ぶ市本の移動方向が突如として変わった。左手のトンファーの一撃を剣でかろうじて受け止めた物の、右手の攻撃はかわし様が無かった。絶妙のタイミングに体重が乗せられた、極めて理想的な一撃であった。この一撃で魔王の肉体は反対側の壁へ叩きつけられた。
高瀬を除く4人があれだけ苦戦した魔王が市本の前では赤子同然にあしらわれていた。
「魔王と呼ぶには役不足だな」
市本は未崎の傍らに移動すると、様態を調べた。
「死にかけちゃいるが、死ぬ事は無い」
トンファーを腰のホルスターに収め、未崎の上に手をかざす。
「創造と豊穣を司るシュブニグラトに命ず。この者の肉体の活性化と魔力の復活を…我が敵なる者以外の者に活力を与えたまえ」
暫く市本は未崎の体に手をかざしていたが、立ち上がって自嘲する様に呟いた。
「やはり、人間の姿では命令呪文は無理か」
市本はフレイルを見て尋ねた。
「今の状態で未崎を動かすのはまずい。お前達精霊の力で、せめて体力だけでも回復させる事は出来るか?」
「残念ですが、我々は女神リィ様に仕える精霊ですが、回復系は呪文として習得してはおりません。しかし、どうして?」
「奴を完全に封印してしまう為には、俺は元の姿に一時的に戻らねばならない。倒すのは何時でも出来るが、ここに来てしまった以上は封滅せねば、真紅の破壊神の伝説に傷が付いてしまうんでね」
そう言った市本の額に三つ目の眼があった。
「貴方は…貴方様はナイアルラト…」
「秩序と混沌は表裏一体なのだよ。両方の力は常に均衡を保たれなければならない。俺はナイアルラトホテップの対の存在として生まれた。今でこそ、体内に地水火風の四大主神を封印して、その能力を光の領域に転換して最強の破壊神の名を持ってはいるが、基本能力はナイアルラトホテップと大差は無い」
市本は苦笑して話を続けた。
「今の俺は、ここ迄来るのに確かに消耗してはいるが、実体を現わした瞬間、単体でノーデンス級のエネルギーが開放されてしまう事となる。発動時にシールドを張ったとしても少なくとも、この魔城は崩壊してしまうだろう。今の未崎は担いで動かすには危険な状態だ。今の機会を逃せば、次に復活して来る時にはリィの手にも負えない存在となってしまうだろう。倒す事は出来無い」
「和也、後ろ!」
フレイルと話す市本にサラが呼び掛けた。魔王が立ち上がる所だったのだ。
「静かにしてろ!」
市本はトンファーを抜き打ちに投げた。二本のトンファーは魔王の首を大理石の壁に縫い止めた。
「破壊を司る俺には、命令呪文による回復しか出来無い。せめて、未崎をこの状態のまま移動させる事が出来れば…」
悔しそうに言う市本の横でリギアが言った。
「出来るよ」
「をい!」
「魔城の地下に地脈があって、それがリィ様の神殿迄繋がってるから、あたしが未崎さんと一緒に移動すれば、一瞬だよ。でも、あたしね、一人しか運べないのだもの」
「リギア、エライ!!」
市本は、リギアの頭を撫でてやった。
「フレイルとサラは、高瀬を連れて魔城から脱出しろ。今から三千数えた後に始める。急げよ」
そして、市本はサラを振り返った。
「さらばだ。高瀬を頼む」
ようやくトンファーを壁から抜く事が出来た魔王が吠える様に言った。
『逃がしはせぬ』
「貴様の相手は俺だ」
未崎と移動する為に精神統一に入ったリギアへ突進する魔王目掛けて市本が挑んだ。
『今度はかわす物が無いぞ!!』
リギアは囮だったのである。トンファーと言う攻守一体の武器を失った市本が魔王の目的だった。
横殴りに暗黒の剣を両手で振るう。絶妙のタイミングだった。相手が人間であるならば、この一撃で倒せる筈だった。
しかし、相手は人間では無かった。
市本は大気を足場にしてもう一段加速したのである。
横殴りに襲う暗黒の剣の鍔元を左手の親指と人差指で挟んで止めて、自らの加速に相手のスピードを乗せた右の挙が魔王の骨を象ったヘッドギアに叩き込まれた。
衝撃に大理石の床が割れ、二人は階下に落ちて行った。
ACT.1
高瀬に活を入れた。高瀬はキョトンとして周囲を見回している。
「魔王は?」
「脱出するぞ」
「未崎さんとリギアは?」
「和也の…マグナ・ディモスの好意を無駄にする時間は無い。話す時間すら惜しい状態だ。急げ!!」
「でも市本さんが…」
そう言い掛けた高瀬の足元に市本と魔王が落ちた穴から暗黒の剣の破片が飛んで来て突き刺さった。
それを見て、高瀬はサラを振り返った。
「我々の手ではどうしようもない戦いが始まろうとしているんだ。我々に出来る事は一つしかない。和也が全開で戦える様に彼の戦闘範囲の外へ脱出する事だけなんだ。足手まといしかなれなかったお前でも出来る最大の援護だ。判るな?」
高瀬は周囲を見回して呟いた。
「こりゃやべえ。リギアがおらぬ。ギャグ出来ぬ」
高瀬は、市本と魔王が落ちた穴に向かって笑いながら言った。
「はっはっはっ…。今日の主役は君だ。市本さん。さらばだ。また会おう!」
振り返った高瀬を出口近くで待っているサラとフレイルが頷いて迎えた。
そして、三人は猛然とダッシュで魔城を脱出する事にしたのである。
ACT.2
市本の額の第三の目は、通常の人間には感知出来無い物を見る為に存在する。
魔王と戦いながらも、市本の感覚器は、頭上の三人の行動を把握していた。
高瀬の最後のギャグを聞いた市本は呟いた。
「馬鹿野郎。この世界ではもう二度と会えねーよ」
市本の呟きを決死のそれと勘違いした魔王は、高瀬の上を行く大馬鹿野郎であった。
『貴様、儂と差し違えるつもりでいるのか? この魔王たる儂と…』
戦いは完全に市本優勢の状態である。その状態であっても、魔王は彼に勝つつもりでいるのである。市本の額の第三の目を自分以上の存在である証として認められないのである。
「こぉの…馬鹿ったれ!!!」
市本は魔王を突き飛ばして罵倒した。
「この俺が…、真紅の破壊神が貴様程度の混沌を相手に死んでも差し違えるかよ!」
『し…真紅の…!?』
市本の体格が数倍に脹れ上がる。彼の衣服は、彼の体内から放出されるエネルギー流に、蒸発した。額の第三の目の左右と上へ向かって角の様な感覚器が伸びる。ここで彼は裏技を使った。本来の姿へ戻る為に開放されたエネルギーの固有時を加速したのである。こうする事で相対的にエネルギーの拡散速度を減速させ、破壊地域を最少限に留めた上で変身の完了と同時に放出したエネルギーの拡散を阻止する為のエネルギー・シールドを最少範囲で展開する事が出来るのだ。
その結果として、魔城を脱出する三人は、エネルギー・シールドに押し出される形で城外に弾き出される事となったのである。
真紅のエネルギーの球体の中を三人は見る事は出来無かったが、フレイルとサラは偉大な者を見るかの様にそこに立ち竦んでいた。
ACT.3
マグナ・ディモスのエネルギー流の中で、原形を留めようとする魔王の姿は最後のあがきにも似て無様であった。
マグナ・ディモスは右腕を上げて、手を開くと同時に掌から無数の触手がのたくり出て魔王であった物を格め取った。
魔王を捕えた触手は、出て来た時と同様に瞬時に魔王ごとディモスの掌に消えた。
『たかが負の念積体が四大混沌神と同じ扱いを受けるんだ満足しろよ』
マグナ・ディモスは、そう呟くと、シールド内にあるエネルギーを回収して、シールドを解除して、自分の大きさを40メートル程度に固定した。
崩壊する魔城の中から真紅のエネルギーに包まれた巨大な姿が現れる。
『全ては終わった。後は頼んだぞ』
フレイルとサラを見下ろして、市本=マグナ・ディモスは一度大きく頷くと、転移した。
ACT.4
市本が眠っていたシートに真紅の光が集中すると、裸の市本が帰って来た。
「いかがでしたか?」
奥の部屋から着替えを持ってンーラが来る。
「結構楽しめたよ。一度は中断しようと思っていた。真紅の破壊神の伝説がこれから幻夢境を舞台に再開されるんだからね。何時聞くらい掛かった?」
「六時間ちょっとです」
「一時間当たり一ケ月か…。妥当なラインだろうな。後は未崎と綿密な打ち合わせとプログラムの修正をして、何処か別の地域で、やってみようと思う。そのときも、データのバックアップは頼むよ」
市本は、シーラが記録したバックアップ・データを見ながら呟いた。
「破壊神への変身時のエネルギーの暴走を押える方法を見つけなければならないな。幻夢境は狭い世界だ。変身の必要性がある都度に周囲数キロの地形を破壊したんじゃ、住民も何かと困るだろうしな。幻夢境の神々にも申し訳が立たない」
テーブルの上に無造作に置かれたセブンスターをくわえて火を着ける。
「変身直前のエネルギーを装甲皮膚として転換するのはどうでしょう?」
シーラの言葉を聞いて、市本は夜空を見上げた。口許に笑みが浮かんでいる。
「それは良い考えだ。早速試してみよう」
シーラが振り返った時には、市本の姿は無く、明け放たれた窓から冬の寒い風が入り込んで来ていた。
「年末ともなると、冷えるわね…」
シーラは、窓際に色っぽく座って呟いた。
ACT.5
『ありがとう、異世界の勇者達よ。私の司るジーナスに永遠の平和をもたらして下さった事に感謝致します。感謝の証として、貴方達に貴方達の願いを一つだけ叶える『銀の宝玉』を授けましょう』
女神リィの神殿に戻った高瀬達を待っていたのは、女神の祝福と異世界ジーナスの民衆の喜びの声であった。
『ただし、銀の宝玉は幻夢境に貴方達が存在している時しか使う事は出来ません。私は女神とは言え、このような小さな世界を司る程度の力しか無いのです。貴方達の世界に影響し得る程の力は持っていないのです。貴方達が再び幻夢境に現れた時だけ、私からナイアルラトホテッブにお願いして、宝玉に祈りが込められた時に貴方達の願いが叶うようにして貰う事しか出来無いのです』
高瀬が不平の声を漏らす前に、未崎が言った。
「ありがとうございます。女神様」
未崎の言葉に女神はにっこりと微笑んだ。
『神殿の中央にある法円を踏めば、元の世界に戻る事が出来ましょう。けれど、今はこの世界にて、民衆の祝福を受けて下さい』
ACT.6
女神の神殿を出た所で、高瀬は未崎に言った。
「僕は今回みたいな事は二度とやらないって心に誓ったんだ。幻夢境に来る事が無い以上、宝玉なんて貰ったって意味が無い! それに、市本さんだって死んでしまってるじゃないですか!? あの人の手に負えない様な事を何で僕がする必要があるんです?」
高瀬の言葉に、未崎は薄く笑って言った。
「俺の予感が正しければ、市本さんは死んでは居ない。市本さんは絶対に死なない。今回の事はきっとあの人が決着を着けたんだ」
「ハッ!! 今回の事に決着を着けたのは、あの大きな真紅のエネルギーの化物だ。市本さんじゃない。あんな状況で生きている方が可笑しいじゃないか!?」
反論する高瀬にビンッと指を差して未崎は言った。
「賭けをしないか?」
「賭け?」
「現実世界で市本さんが生きていたら、次の冒険も付き合う」
未崎の言葉に高瀬は笑って言った。
「僕の勝ちだ。次の冒険は無い」
「現実世界に戻ってから判る事だ。どちらが勝つかはまだ判らない」
ACT.7
夜空に閃光が走った。気象庁の発表では、この閃光は人工衛星の爆発だと発表された。
テレビのアナウンスを横に聞きながら、シーラは夜空の閃光を見上げて呟いた。
「市本さんだってば」
ACT.8
宇宙空間で、実体化した市本=マグナ・ディモスは呟いた。
『現実世界で一分か…。幻夢境では、現実世界との相対時間として、半日は持つ…筈だ。シーラの案は使える。実体化した直後のエネルギーを結晶化させて、装甲形態にすれば、周囲の環境破壊を最少限度に抑える事が出来る。尤も、結晶装甲自体が不安定なのが、気になる所だが…。開放されるべき所を無理に固定してしまうんだ。多少の無理はやむを得ないと言う事か?』
彼は、ふと、宇宙の彼方を見詰めた。
『ノーデンス…。判っているよ。俺は混沌を封滅する為だけにお前達に創られた…。悪魔に取って人間は必要だが、混沌に取っては居ても居なくても同じだ。今、俺のエネルギーの干渉で消滅した人工衛星の様に宇宙の塵の一つに過ぎない。塵が幾つ消えても同じ事だ。…しかし、お前達に創られた俺が創造主を超える存在になろうとしているのは笑えるだろう? 俺には、信者も支配空間も無い。人間が滅びても、エネルギーの減少に悩む事も無い。俺は秩序の神々によって創られた混沌なのかも知れない。だからと言って役目を忘れた訳じゃない。だからこそ、幻夢境くんだり迄、出張しているんじゃないか。だが、秩序と混沌は表裏一体。両方のパワー・バランスが崩れた時、何か大きな異変が起きる事も有り得る。その時、お前達は、人間を守り通す事が出来るのか?』
宇笛の意志に語りかけるような□調であった。無限に近い広がりから何の応答も無い事に自嘲するように彼は笑うと自分の体を封印体=市本和也に戻して、大気圏に突入した。
ACT.9
市本の事務所ビルの窓から夜空を見上げながら、ワインを傾けるシーラを見上げる人物が居た。
未崎にも負けないくらいに髪が長い。先端部分は地面に届いているのかも知れなかった。
体型から想定して、女性。20代前半の顔立ちである。顔付きは東洋系だが、髪の色は金色である。ハーフなのだろうか? 何れにしても、この時代、この髪の色は珍しくない。
「何でこんな所に魔界の王と呼ばれる程の悪魔が居る訳!? あたしでさえ、成功した事が無いのに…」
口調では、シーラが悪魔である事を見抜いている様である。
「誰かしら…? 兄貴の友達? まさか。兄貴の友達に魔王を召還出釆る程の奴は居ないわ。悔しいわ。あたし以外で本物の悪魔を本当に召還出来る奴が居るなんて…」
暫くして、あの独特のエンジン音を辺りに響かせながら市本が戻って来た。
シーラが窓からワイングラスを挙げて見せた。市本もヘルメットを脱いで、笑って見せる。その様子を物陰から見ながら彼女は呟いた。
「何よあいつ。まるで炎の海を渡って来たみたいにポロポロじゃない。あんな風体の奴が魔王級の悪魔を召還したと言うの?」
当たり前である。市本はつい先程迄は大気圏に居たのである。
「待って。あの白髪には記憶があるわ…。何処で見たんだろう?」
事務所に戻った市本は、窓から事務所を見上げる女性を見て、シーラに聞いた。
「下手な隠形だな。誰だ?」
「未崎冴香。一応、世界で五本の指に数えられる召還士です。払の正体に気づいて、誰が召還したのか調べているつもりなのでしょう。和也さんが帰る少し前からそこに居ます」
「未崎…未崎一美の関係者か?」
「良く御存知ですね。妹さんですわ」
シーラはコーヒーを入れて持って来た。
市本は、カップを受け取り、冴香を改めて見た。
「兄妹揃って長い髪だな」
「未崎の一族は、髪に魔力が宿るそうです」
「それで兄はあんなに長いんだ。男のクセに…」
「偏見ですわよ」
「へーへー、スイマセンね。なにしろ、年寄りなモンで。ったく、ルシファーの野郎もロクなのを貸してくれねーな。主人に意見するたあ、使い魔としての教育がなってねーな」
「なにしろ、ルシファー様の弟子ですもの」
「そっくりだぜ」
シーラの言葉に市本はコーヒーを一気飲みした。
「季節も冬だなぁ」
「何を年寄り臭い事を」
「年寄りだって言ってるっしょーが。あいつも、この寒空の下大変だなぁって思ったんだよ」
市本は冴香を指差した。
市本を見上げていた冴香は、一瞬、自分の周囲を見回して、その指差している物が自分である事に気づき、自分で自分を指差して市本を見た。
市本がオイデオイデをしている。
「気配を消していたつもりなのに…、気づいて居たなんて、性格悪い奴。気づいて居たなら何で早く呼んでくれないのよ。この寒空の下…お肌に悪いわ」
「性格悪いのはお互い様だろう?」
距離にして百メートル。視線を逸らした一瞬の内に彼女の後ろに移動した市本に、冴香は思わず後ずさった。
「兄の方と違って妹は気配感知能力に乏しいようだな。一美だったら、間違っても俺に後ろを取らせる様な事は無かった」
「どうやって…?」
「魔界で王と呼ばれる程の悪魔の召還主だぜ。並の召還士に気配を感じられるようじゃ、この世界で生きては行けない」
「失礼ね! 払はこれでも過去に何度か本物の悪魔だって召還した事があるんですからね」
「召還場所に囚われる程度の悪魔をだろ?」
「…」
冴香は相手が自分よりも三枚くらい上手である事に気づいた。
―― こうなったら、必殺技しか無い…。
冴香は両手を顔の前に持って行った。そして、その場にペタンと座り込む。
「ふっ…ええええええええーん! この男の人が私をいぢめるーっ!! いぢめたいぢめたいぢめたいぢめた」
ここで冴香は致命的なミスを犯した。
この界隈は、この季節になると殆どの人間が田舎へ帰る為、人通りが少なくなるのである。更に、現在時刻は午前一時。日中ならまだしも、こんな夜更けに起きている人間は、滅多に居ない。冴香のこの必殺技は、人通りの多い所でやって初めて成力を発揮するのである。
市本はポケットから手帳を出して開いて見せた。
「これ以上、無意味な事を続けるつもりならば、俺はお前をプッ殺しても罪にはならないと言う有り難い証明だ」
「げ…! 殺人許可証。日本でも二人しか持って無いってゆー殆ど幻の許可証」
「丁寧な説明悼み入る」
「ほんでもってその夜目にも鮮やかなシラガ頭…」
「もっと格調高く白髪(はくはつ)と言え」
「市本和也!!?」
市本は右手の中指を立てて危ない手付きをして言った。
「我を崇めよ」
ACT.10
「一歩間違えたら、相討ちの戦いでしたわね。低次元だったけど」
シーラが笑いながら言った。
「戦いに高いも低いもあるか。勝った方が強いんだ」
「傍目では『若い女の子を泣かす悪い奴』に見えましたよ。時間帯と季節に助けられたようでしたわ」
「全くとんでもねぇ奴だ。勝目が無いと判ったら、イキナリ泣き出しやがって。これが未崎の妹かと思うと友達ながら涙が出る程に恥ずかしいぜ」
冴香にシーラの入れたコーヒーカップを渡た市本は、彼女を見て聞いた。
「お前、さっきみたいな手で純真な悪魔に契約の破棄なんかさせてねーだろうな?」
「悪い?」
「これだ。流石に未崎の妹だぜ」
呆れたように言う市本に、シーラが言った。
「何処かの誰かさんも、ルシファー様を脅して、王と呼ばれる位の高い悪魔を無報酬でコキ使ってますから、似たり寄ったりじゃありませんかしら?」
「脅したとは失礼な言い方だぞ。人間が滅びると困る奴等にそれ相応の手伝いをして貰っているだけだ」
「滅びて困るのは秩序の神々も同じでしょうに。何も悪魔に拘わる必要もあるのでしょうか?」
「ノーデンス達は嫌いだ。真紅の破壊神だけに全てを任せて、それで良いと思っている。そう言う根性が気に入らん。正義が自分達だけにしか無いと思っている所なんか、何処ぞの国で、色付きの人間は人間じゃないと思っている馬鹿共と大差無い。混沌にも混沌なりの正義がある事に全く気づいていない。その点、悪魔は自分の欲望に素直だから好きだ」
「好きなら好きなりに対処して頂いてもよろしいのでは無いかと申しているだけです」
市本とシーラのやりとりに先程から入る事の出来無いでいた冴香がようやく会話に入る隙を見つけた。
「しっつもぉ〜ん」
「何だ?」
「話が全然見え無いんですけど…」
市本は冴香とシーラを見て、上を見て少し考えた。
「話題を変えよう。何故、あんな所をさ迷っていたんだ? シーラに気づいたのは偶然としても、俺に用の無い奴は事務所の周囲に張った結界に阻まれて近づく事は出来無い筈だ」
「あ゛ーっ!! 貴方だったのね!? あんなややっこしい遁甲陣張ったのは? おかげでめちゃめちゃ迷ったのよ!」
「運命の神(作者)の導きか…。理由を聞きたいな。何が理由で迷い込む事になったのか」
市本の質問に、冴香は少し考えるような仕種をした。
「…っとねぇ、兄貴が三時間超えても起きてくれ無い事から始まったの。通常、魔道師ってのは、自己催眠で短時間で睡眠が終了するように訓練されてるのよね。あたしが生まれてからずっと、兄貴は三時間以内で起きてたの。それが、今日に限って、六時間を超えて眠り続けてる訳。だから、あたしは暇潰しに一人で出掛けたの。そしたら、凄いややこしい遁甲陣に引っ掛かっちゃって、出た所でそこの悪魔さんを見つけたの。びっくりしちゃった。王と呼ばれる悪魔を召還するのに成功したって話は聞いた事は無いし…。後は、貴方が知ってる通りよ」
冴香の話を聞いた市本は、暫く黙って居た。
「未崎はまだ、幻夢境に居る筈だ。俺だけ先にゲームオーバーしちまったからな。後…、一時間もすれば目覚めるだろう」
「幻夢境!! そんな楽しい所へ自分達ばっかりで? あたしだけ置いてけぽりで…」
冴香の目にじわっと涙が浮かんだ。
「あーっ! 泣くな。うっとおしいから。次は連れて行くように未崎に言ってやって置いてやる」
「本当?」
「俺は戦略的な奇襲戦法はやっても、嘘だけはついた事が無いのが誇りだ」
「枕言葉が気になるけど、信用しといてあげるわ」
「運命的に出会う宿命にあったのなら、未来の戦いでお前の力が必要になると言う事なのだろう。現実世界では未崎と俺が出会う必要が無かったが、幻夢境では知り合う事となった。創造神(作者)が必要としている出会いなのなら、運命として受け入れるしか方法は無いだろう」
市本の言葉を理解しているかのように冴香は何かを考えている仕種をしている。そして、口を開いた。
「一つ言ってもいい?」
「ん?」
「あたしは、訳の判んない事を堂々と話す人は嫌いなの。あたしに何かを話す時は、もっと判り易い話にしてね」
「ふ…む。努力はしよう」
市本は素直に頷いた。
ACT.11
女神の神殿の中央にある法円の間の前で、フレイル達三人が待っていた。
「もう…、帰るのですね」
「戦士は次の戦場を目指すだけの事だ」
フレイルの言葉に、未崎が静かに言った。
「あー、リギア、何時かまた会えるといいね。何かこの場に合った言葉が思いつかなくて…何を言えばいいのか判らないけど、今はさよならと言うしか無いと思うんだ」
高瀬も未崎と同様にシリアスな台詞を言おうとしたが、所詮はギャグキャラの悲しい宿命で、特別にカッコイイ台詞を口にする事が出来無かった。
しかし、リギアは違った。
「また会えるといいね」
である。
サラが未崎に言う。
「和也は先に帰った。…と、思う。今はそれだけしか言う事が出来無い」
「判ってる。彼は死ぬ事を許されて無いんだ。市本さんは絶対に死ねない。…と、僕も思っています」
「何時から気づいた?」
「あの無敵の強さを見た時から。多分、そうだろうと思っていました。あんな強さは何らかのバックアップも無しに出来る事じゃ無い。幻夢境の神々よりも格が下だったら、あんなに無敵になれる訳が無い。そう思っただけです」
「そうだな」
サラは苦笑するように言った。
未崎はフレイルを見た。フレイルも未崎を見ている。所謂、キックオフ状態と言う奴である。
「じゃあ…な…」
「また…」
未崎はフッと笑うと法円を踏んだ。
「さらばだ。また会おう…」
最後の最後で高瀬の台詞がやっと決まった。
渦巻く光の洪水の中を未崎と高瀬は通り過ぎた。
「賭けを忘れるなよ」
遠くに未崎の声が聞こえた様な気がした。
ACT.12
最初に高瀬の目に入ったのは、市本の事務所の天井の照明であった。
「シーラさんに市本さんが死んだって事を言わなきゃならないんだ…」
そう呟いて視線を構に移した高瀬はそこに並ぶ顔ぶれを見て絶句した。
―― 負けた!!
最初に心に浮かんだのは、未崎との賭けに負けた事である。
彼の敗因は、市本を人間と同一に考えた事であった。確かに、あの状況では、並の人間なら死んでいて当たり前であった。
「何で…平気な顔して元気一杯なんです? あの状況じゃ…死んでいても可笑しく無かったのに…。幻夢境で死ぬってのは現実世界でも死ぬって事でしたよね…? どうしてそんなに元気なんですか!?」
「俺が並以上だったからさ。俺は一撃必殺カラクサマンなんだぜ。無敵の不死身のヒーローなんだ。昔からヒーローは絶対に死なないと決まっているのさ」
市本は目覚めた高瀬に右手の中指を立てて危ない手付きをして見せた。
高瀬は視線を市本の横に立つ人物に焦点を合わせた。シーラである。
「シーラさん、ウェーブやめちゃったんだ」
「創造神達(会員の皆さん)が描くのが面倒だって、創造主神(会長)に指摘を受けちゃったの。序章のイラストはおかっぱ頭だったしね。描き易い髪型の方がイイでしょ」
「僕…すんげぇ約束を未崎さんとした様な記憶があるんですけど…、夢の出来事って結構忘れる事が多いんですよね…」
そう言い掛けた高瀬は、目の前で腕をプン回す市本を見て訂正した。
「全て記憶しております」
破壊神話 第一章最終話 後編 完結